ジロー、クラッシュ
39.ジロー、クラッシュ
「大丈夫……」声が聞こえた気がした。気を失ったのか?
「大丈夫ですか?」
『何が?オレのこと?』ぼんやりと白っぽい空が見えた。その端に影になった顔?
『大丈……』声が出てない
「大丈夫…」
よくわかってないが、反射的にそういった。記憶がない。
頭がグラグラする。状況がわからない。体がフワフワする。夢の中?
ゆっくり体を起こした。
『サーキット?』『コケた?』周りがよくみえない
「歩けますか?」
『誰?…どこだ?いこいサーキット?アラカワスポーツウェイ。アラカワ……』
コースから出なくちゃ。左肩に異常を感じた。ひどく痛む。
「大丈夫」立ち上がってみた。体も意識もボワ~ンとしてる。でも、強い痛みが、頭と身体を覚醒させる。おぼつかない足取りで、スタッフの釜田の後をフラフラしながらついて歩く。
『夢じゃないんだ、コケて、でも…覚えてないグラグラしてる』トランポの軽自動車があった。
『そうだ、ここに停めた…二本目走り出して……』
「腕、上がりますか?」って聞かれた。
『ヤバイかな。』って思ったけど、面倒にならないよう無理して平気なふりで手を挙げた。顔がゆがむのを無理やり抑え込んだ。その時、鎖骨が折れて重なっちゃっているのがわかった。グキグキ音がした。これじゃあ、医者に行かないと治らないって思った。スタッフは、ジローの様子からおかしさを感じたようだが、本人が大丈夫と言ったので、事務所に引き上げて行った。サーキットは、基本自己責任だ。
『ラップメーターのセンサーの調子が悪くて……戻って差し込みのところをビニールテープ巻き直して……でも、その前も後も走ってて違和感があったな……』ジローはボーっとした頭で、何が起こったのかを思い出そうとした。『センサーがラップ拾い出したからガマンして走り続けてた……そしたらNSR80に抜かれた……でも、そのNSRがそれほど速いペースじゃ無かった。だから、ついていけると思った。それまでよりも少し速くアクセルを開け、追いかけた。ひとつふたつ3つ。コーナーを抜け、ストレート。差が開かない。でも、さっきまでより確実に速い。ラップも削れてる。45秒台に入るか?そして、1コーナー……?どうやって入った?どうやって回った?わからない……覚えてない……その後の記憶は……釜田さんの声だ。記憶が飛んでる。』
ジローは、ひとしきりボーっと軽トランポの後ろに突っ立ったまんま、記憶をたどった。そして今からやらなくてはならないこと。とりあえず、ツナギを脱いで……ファスナーを下ろした。腕が痛くて抜けない!肘が上げられない。『ヤバイ、誰かに引っ張ってもらうか?』しかし、今更スタッフを呼びにも行けない。
「ガッ!グッ!!」息を止めて無理やりツナギから左肩を抜き、腕を外した。ボゥっとしている頭に太い針を突きさされたような痛みが走った。そのせいでもう少し、思考がはっきりした。
やっと脱いだツナギを車に投げ入れて、次。『マシンを積まなくちゃ。』ラダーを後ろにセットして、マシンをその後ろに移動する。前にある坂を、マシンを押して上がれるか、不安になる。しかし、『絶対、上がらないと。』左肩に衝撃を与えないように神経を集中しながら、ハンドルを握った右手に力を込め、少しバックして、勢いよくラダーを駆けあがる。踏み台を蹴り、荷台に足を掛け、蹴りあがる。
「今日、最高の集中力」
痛みを堪えながら作業を終え、軽トランポを発進させた。
信号待ちの停車時に、左鎖骨部分を触ってみた。
鎖骨の折れた所が完全に重なってボッコリと盛り上がっている。
「重症だな。医者に行ったらすぐに帰るってわけにはいかないか。一旦うちに帰って車置いて、タクシーだな」そう考えていると、携帯が鳴った。とりあえず車を停車して着信を見た。いこいサーキットからだった。仕事の依頼なら、連絡しとかないとマズイかと、ジローは、少し迷ったが折り返しの発信をした。
「中曽根設備の斉藤です。何か有りましたか」痛みを我慢しながら、ケガに気付かれないよう明るめのトーンで話した。
「何か有りましたかって、こっちのセリフでしょう!」ツバメがデカい声で電話に出た。「アラカワの小松崎さんから連絡有って、いこいの常連さん、コケてケガしたみたいって。名前聞いたら、斉藤って、ジローさんじゃんって。だから電話したんでしょ」
「あっ、そう。心配してくれたんだ」ジローは、業界のネットワークの素早さと親密さに驚いた。
「で、どうなの?ケガ。」ツバメは、怒ったようにそう言った。
「あっ、と。左、鎖骨、骨折かな。完全に折れちゃってるね」
「やっぱり、やるんだよね」そう言った。「で、どうするつもり?」詰問だった。
「あっ、一度ウチに帰って、車置いて、水海道センター病院の整形外科かなって思っています」
「あそこの整形は午後休診だからダメだよ。いこいサーキットでケガした子たちがよく行く筑波第3病院が評判いいから、そこ行こう。アタシ、アパートに迎えに行くから」
「エッ、筑波じゃ……」言いかけるジローの言葉を遮るようにツバメが言葉を続ける。
「そこの医者、バイク乗る人なんだ。確認しておくから。運転は、大丈夫?事故らないように、早く帰ってきて。」そう言ってショーは電話を切った。ちょっと強引なツバメの言葉が、ジローにはすごくありがたかった。