ジロー、追い上げる
31.ジロー、追い上げる
1周通過時でビリから3番目。21位。
すぐ前のもう一台を狙う。右に直角に近く回る1コーナーを廻りながら、後に張り付く。すぐ、もう一度大きな半径で回る2コーナー。コーナリングスピードは、明らかにジローのほうが速い。
前走者が、次の右3コーナー、ヘアピンカーブに備え、左側に走行ラインを取った。ジローは、右側をまっすぐ突き進む。
3コーナーが迫る。左側から、前走者が、ジローの前に被ってこようとする。
ジローのマシンが、コースの右端と、前のバイクの隙間を、間一髪すり抜ける。
しかし、すぐ前に、鋭く右に曲がるコーナーが迫る。
フルブレーキング!ツバメに教えられ、何度も練習したブレーキング。
バッとジローの周りの気が膨らむ。血が波立つ。体中の毛が、逆立つ。かっと見開らいた目が、恐怖からすぐ前の路面に張り付く。それを、次の瞬間、無理やり剥がし、コーナー出口に向ける。
マシンのスピードを体で感じ、ガバッと右に体重を移動する。右足のステップを踏みつけ、ハンドルを右下側にひねり、マシンをバタッと寝かせる。
「くっ!」
クリッピングポイントからマシンが膨らむ。そのまま立ち上がる。緩い右4コーナーにマシンを立てて入り、すぐまた急な左5コーナー、すぐにもうひとつ、左6・7コーナーの複合コーナーに突っ込んでゆく。
左、左とマシンを倒し、コーナーを抜ける。
「クリアァー。フー」
詰めていた息を抜いて、また、酸素を補給した。さすがに練習とは違い余計な力と緊張からスムーズなコーナリングとはいかない。それでも、抜いたマシンとの差は、かなり開いた。
ジローのマシンとぶつかるのを避けるため、後ろのバイクがアクセルを緩めたのだ。
「ヨッシャー、」
ジローは、加速しながら、次のコーナーの入口を見つめた。
次の周も、なんとか2台抜いた。
その2台抜くのにもたついたせいか、少し前との差がある。途中の3コーナーで、2台が転倒していたから、順位を7番、上げたことになる。コントロールラインを抜けて3周が終わった。またツバメが応援するストレートエンドまで来た。16番手だ。4周目のスタートだ。
前は、かたまって3台。少し離れて、もう一台。
「あれは、桃川だ。」
前は、8・9、そして、最終コーナーと続く複合コーナー。大きなヘアピン状の右コーナーになる。その入口を、3台を引き連れて飛び込んで行く桃川が見えた。
少し古臭い、時代遅れの黒い革ツナギ。桃川も、ショップの社長、宮本に借りたレーシングスーツだ。
「とりあえず、桃川君の前を狙う」
ジローも、コーナーへ飛び込んだ。
さすがに、少しでも前を走っているライダーは、今までよりも速い。追いつくのは何とかできたが、抜き去るほどのスピード差が無い。少しでも隙を探そうと、観察しながら走る。
3台の塊が、お互いの隙を狙いながら突き進んでゆく。
メインストレート。4周クリア。3台の塊を追いかけて、フルスロットル。直線の3分の2を過ぎたところで、前のマシンとの差が狭まる。ツバメの掲げるタオルが、目に入る。5周目。
スリップストリーム。前のマシンが、空気の抵抗をさえぎってくれる。その分、自分のマシンのスピードが上がる。非力なミニバイクは、その効果が大きい。
ショートサーキットとしては、長い253mの直線が、前のマシンとの差をじわじわと狭めてくれる。
ジローのマシンが、1コーナーの入口で、その塊の後に追いついた。
前の3台は、真ん中が前の隙を狙い、それによって生じたリズムの変化を後ろのマシンが狙う。
ビリビリとした駆け引きと緊張感。その中にジローも突っ込んでいく。
複雑に続くコーナーを、次々とクリアして行く。先頭が転びでもしたら、後ろ3台とも突っ込んで、大きなクラッシュになるだろう。接触をしないで走っている様が、アクロバティックで刺激的だ。
塊のまま、最終コーナーを立ち上がって、直線に帰ってきた。5周が終わる。
ツバメが応援している。それに応えたい。
ジローが自分から仕掛けていかないと、抜く隙を見つけることが出来そうもない。
「やっぱり、3コーナー、ヘアピン入口までにイン側で並んで、前に出るのが、一番安全か」
直線から右1コーナーを4台が、マシンを右斜めに倒しながら、接近したまま一列に抜けていく。コーナーの内側の縁石がタイヤの右端をかすめ、後ろへ過ぎていく。
マシンは、少し左アウト側にラインを取り、右2コーナーのクリップをクリア。
すると、すぐ前のマシンの後輪が、予想よりも多めにアウト側に進んだ。
『何か有る』瞬間、ジローは感じた。と同時に、カチッとスイッチが入った。
全身の感覚が、更に一段、鋭くなった。今までにない感覚。
全身の毛が逆立って、一本一本の先端が周りの空気を捕まえようとする。
時間の進む速度が、急にゆっくりになる。
体の下で、マシンのタイヤが、路面を蹴る。その音、エンジンの回転音、必要な音情報が、体に響く。
目が、前のマシンのタイヤ1本内側に、明るさを捉えた。
瞬間、そこが、自分が走るべきラインだと確信した。
五感で捕らえた情報量が、格段に増えた。それを瞬時に処理する。と同時に、体が動いている。
右手でアクセルを開きながら、体は、ブレーキングに備える。
2台前のマシンが、インから離れない。突っ込む。
『仕掛ける』ジローが、そう思った瞬間、4台中、先頭マシンが、アウト側からブレーキングしながら、3コーナーに。
その内側、後ろから1拍ブレーキングを遅らせたマシンが並びかけた。そして、フルブレーキング。
外側になったマシンが、突っ込んできたマシンに気づき、倒しこみが遅れる。
抜きにかかった内側のマシンのスピードが、速すぎて、ブレーキがわずかに間に合わない。クリッピングポイントを外れる。
外側に飛び出すのをなんとかこらえ、遅れて、マシンの向きを変えた。
イン側が開く!
その隙を、ジローの前のマシンが飛び込んだ。
それにあせったか、前の2台が軽く接触して、バランスを崩し、失速した。
ジローは、冷静に無理なく、その隙を突き、2台を抜いた。
ジローの露払いをしてくれた前のマシンは、突っ込みの速度が速すぎた。
結果、次の5コーナーの内側に付いて失速する。
コーナリングのスピードをコントロールしたジローのマシンは、スムーズにアウトに振ることが出来た。
スピード差が、格段に違う。
前のマシンを後ろから、右サイドを眺める。そして、6コーナー、外側から。
アクセル、オープン。スピードを載せて、7コーナー。
外から、スピードを生かして、前を塞ぐ。そして、集団から抜け出た。
視界が開けた。前にいた3台を、3・4・5・6・7の複合コーナーで、一気に抜けた。
目の前が開けて、気持ちのいい空気にジローが包まれた。
今の感覚は、何だったのか?
ひとつかふたつ、上のゾーン。ジローが出せる能力以上の走りが、何故か出来た。
思い出すと、すばらしく、鳥肌が立つような快感。
その余韻に浸る暇は、今はジローにはない。その感覚を頭に刻み込んで、ジローは、前のマシンを見つめた。