青戸、いこいサーキットに来る
19.青戸、いこいサーキットに来る
ジローのサーキット通いも3カ月9回目になり、ライディングも様になってきた。
ただでさえへんぴな所にあるサーキットは、真冬になると路面凍結や、路面温度が低温になることからスリップしやすくなる。そのため、しっかり晴れないと走りに来るライダーが少ない。そんな日でも、午後3時を過ぎると気温が下がってくるため、午後から来る客はほぼいない。
そんな貴重に晴れた日、ジローは仕事をトシ一人に任せ、一人でいこいサーキットに来た。朝10時ごろから走り始め、午後3時には早めの撤収を始めた。そのジローと入れ替わりにコースに入ったのが馬場だ。コース上は、馬場一人、貸し切り状態だ。その走りは、レーシングスピードというにはほど遠いゆっくりとしたペースで走る。コーナーでのバンクもほんの気持ち傾いている程度。膝をすることもない。
「バレのルーティンだな。今日はいつもより走りがうれしそうだな」いつの間に賀茂田がいつものように竹ぼうきを持って、後ろに立っていた。
「なんか見てるとじれったくなっちゃうけど」ジローには馬場の走りの違いが判らない。
「バレの頭の中に、イメージがきっちり出来てるようだ。身体の動きが、一定のリズムを持ってるぞ」
「もっと、ガバッとアクセル開けたり、ストレートからギュギュっとフルブレーキングでパタッとマシンを倒して、ギャギャギャンとステップこすってザザッとリアヤタイヤ滑らせてザーーって膝こすってコーナリングってしたほうが、楽しいんじゃないのかなあ。まあ、オレはできないけど」
「人それぞれ、楽しみ方はいろいろだな。それに、もしかしたらバレだって」そう言いかけたところで、馬場がピットアウトしてきた。それと同時にスポーツカーがいこいサーキットに入ってきた。ポルシェボクスターだ。「うちには不似合いな車だな」
事務所前に止めたポルシェから出てきたのは青戸一博だ。ブランドのジャケットとパンツ、高級腕時計とセレブ感のあるファッションだ。サーキットで会う時は、スポンサーロゴの入ったポロシャツか、トレーニングウエアなどで、おしゃれとは縁が無いような服装だった。青戸が事務所に入ると、中にはツバメが一人だった。「コンチハー」
「カズ君!もう、大丈夫なの?退院した時、知らなくてごめんなさい。」事務机で事務処理をしていたツバメが驚いたように顔を上げた。
「もう、大丈夫。何度も見舞いに来てくれてありがとうね」そう言いながらカウンター前のイスに腰掛けた。
「足、どう?痛みとか、動かしずらいとか。」ツバメはカウンターの中から出てきて、青戸の足先を眺めた。
「まあ、ケガから4ヶ月だからね。全快ってわけじゃあないけど、普通の人並みには動けてるよ。筋肉は、落ちちゃってるけどね」
「ごめんなさい。何かいるものがあったら、何でも言ってもらえれば。トレーニング用具とか必要なんじゃない」
「大丈夫だよ。それに、もう謝らなくていいから。僕、ツバメ姉ちゃんに感謝してるくらいなんだから。ケガのおかげで、違う世界を知ることができたんだよ。僕でも金儲けができるって知って、今すごく楽しいんだ。」
「楽しい?本当に?バイクレースより?」その問いに青戸はニコリとした。
「比べるもんじゃないでしょ。金を稼ぐって、生きていくには必要じゃない。意外とこっちの才能あるみたいなんだ」
「何の仕事なの?」
「投資家。入院中同室だった関谷さんが投資家で、本とか貸してくれて、いろいろ教えてもらったんだ。関谷さん、資産家で、不動産賃料とか定期収入があって、そのうえ株の売買とかで利益出してるんだ。僕もセンスあるって言われたんだ。関谷さんの会社で働きながら、自己資金作って、少しずつ大きくしていく予定。今はまだ関谷さんがまだ入院中のだから、関谷さんの雑用していて、ついでに自分の知識もためてるところ。あのポルシェも関谷さんの遊び用の車を借りてるんだ。オートマだけどね」
「レースは?トレーニングとかまだできないの?」
「バイクは、もう卒業。事故ったら、やめるって親との約束があったんだ。こういうきっかけがあったんだから、金稼ぐことをがんばるのも有りかな」
「アタシがぶつけなきゃ、今頃全日本で戦えるチームで走れてたのに」
「レースしてる時も、結構金のことってストレスだったんだ。迷惑も心配もかけるじゃない。プロライダーになれるわけじゃないし」
「そんなの、やってみなくちゃわかんないじゃない」
「ウソ言わないでよ。日本チャンピオンだってなれないんだから」
「カズ君なら、きっとなれるよ。才能もセンスもずっとあるんだから」
「才能は、金儲けのほうがあるみたい。ツバメ姉ちゃんも、バイクに乗らないなら、引退して違うことやってみたら。自分の周りの世界が変われば、自分自身も変われるよ。」
「楽しいの?」そう言われた青戸の顔が一瞬曇る。
「見舞いでツバメ姉ちゃんが持ってきてくれたチョコ、上手かったよ。結構高いやつなんじゃない?今度は僕が買ってきてあげるよ。ツバメ姉ちゃんは、ちゃんと飯食ってんの?フェラーリかランボで来るから、飯でも食いに行こうか」そう言って事務所を出て行った青戸。まだ左足を引きずっていた。