ジロー、引き上げる
15.ジロー、引き上げる
「バイク、コケたんですか?」
CBR250Rのライダーに声をかけられた。
「ハハ、そうなんですよ。」
「全然気が付かなかった。」ジローが意識した時には、すでにコースからピットへ出ていたのだ。そうと見知らず焦ってこけた。間抜けなジローだった。
「思ったよりも、壊れなかった。」ジローが先にそう言った。そして、恥ずかしさから自分がコケた話題から離れようと、「バイク見せてもらってもいいですか?」そう言ってそのライダーのマシンに近づいた。
CBR250Rにラップタイマーが付いていて、28秒いくつかが表示されたままになっていた。
「これ、今のラップですか?」ジローが振り向いて聞いた。
「あっ、そうです。」
「今くらいで28秒台なんですね。」
「そう。速い人だと26秒ですね。」
「ここはよく来るんですか?」
「そうですね。結構来ますよ。他もたまに行くけど、ここで速い人は、他でも速いし、遅い人は、他でも遅い。どこでも、同じ。場所じゃなくて腕って言うかそんな感じですよ。」
その人は、結構キャリアのあるライダーのようだ。
「僕も子供のころからミニバイクに乗ってて、NSF100もたまに乗るけど、ノーマルだとシートが小さいから、ケツがカウルに当たって調子悪いんですよ。だから、僕が乗るときは、大きめのシートカウルに付け替えて乗ってます」
「へえ、そうなんだ」
「レースのレギュレーションでも認められてますから、大丈夫ですよ」
「オレは、まだレースなんて」
「レースって言っても、そんな難しいことじゃないですから、やってみると面白いですよ」
ジローにとっては、いきなりかなり高いハードルを目の前に見せられた話だった。
その人は、しばらく休んだらまた走りに出ていった。
その走りは、コーナーを丁寧に廻って、立ち上がりアクセルを開け、ものすごい加速であっという間に次のコーナー。そして、丁寧に廻る。しばらく見ていると、一周回るリズムがずっと変化しないのに気付いた。技術的なことは良く分からないが、安心感のある慣れた走りに見えた。そんな走りができるようになるといいなとあこがれるような走りだった。
その間トシは、バイクを軽自動車に積み込んだ。ジローも着替えと荷物の積み込みを済ました。
事務所に顔を出した。一瞬人が見当たらない。すると、カウンター奥の机上のパソコンモニター上から、頭のてっぺんが見え隠れしている。
「スイマセン」ジローは、そっちに向かって声を掛けた。
「あれっ、もう帰っちゃうんですか?」ツバメが、机の陰から立ち上がった。ジローが着替えを済ませていることに気が付いてそう聞いてきた。少し、息が上がっているようだ。
「コケちゃったんですよ。」照れ笑いしながらそう言った。
「ケガ、大丈夫ですか?」ピンクのタオルで顔の汗をぬぐいながらそう言った。
「大丈夫。今日は、これで帰ります。また来ますんで、よろしくお願いします。」
そう挨拶した。
「回数券、ちゃんと使ってくださいね」
「必ず使いますよ。えっと、下妻サーキットでレースに出てますよね。次、いつ走るんですか?」
「今シーズンは終わっちゃったんで、でも次はまだ決まってないです」
「今も、トレーニングしてたんですか?」
「エッ、いや、ながら腹筋してただけ。事務仕事の時でも、出来る限り筋肉使いながら仕事してるってこと」ちょっと照れたようにツバメが言った。
「へえ、やっぱ、バイクでも筋肉は必要なんだ。」
「腹筋は、かなり必要です。腹筋に力が無いと、バイクの上での身体の安定性も無くて、バイクコントロールも不安定になるって。背筋も無いと、姿勢の維持ができないから、これも必要ですね」
「何回くらいやってるんですか?」
「今は、200が、2セットずつで、朝、昼」そう言いながら指を折る。「千、4・5百くらいかな?」
「そんなにー!」
「でも、集中してやるわけじゃないから。ちゃんとしたトレーニングの時は、もっとやるときもあるかな」その言葉に驚くジロー。
「走るの決まったら教えてください。観に行きますから」驚嘆しながらそう言った。
「あっ、は・い」ツバメは、あいまいな表情。そこに違和感を感じたが、それ以上は何も言わずに、事務所を出た。そして、トシと一緒にいこいサーキットを後にした。
「トシ、お前腹筋何回できる?」トシが運転する車の中で、ジローが聞いた。
「30、いや、10回できるかわかんないっすね」
「だよな。オレもとりあえず30回目標だな」
「ジローさん、筋トレやるんすか?本気でバイクに乗る気なんすね」
「トシよ。本気ってのは、最低腹筋千回からみたいだぞ」
「千回っすか!」トシの驚嘆の表情を見て、少し満足するジロー。
「千回の道も30回からってな」