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甘味城下物語  作者: 紅弓
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神無月 金平糖は幸を贈り 桜の香を焚き付ける


神無月 金平糖は幸を贈り

    桜の香を焚き付ける


 そろそろ冬になる、そんなある日の夕方、今年最後の栗拾いと山菜取りで一日中山にいて泥だらけになった紫季たち三人は銭湯へ向かった。

「あ、先生!」

 銭湯の前の道で、向こうから成と陸が歩いてくるのに出会った。

 銭湯は城下に一軒だけで、町のほぼ真ん中にあるので、あんみつ城側に住んでいる紫季たちと、くずきり城側に住んでいる成たちは夕刻に度々銭湯の前で行き逢うのだった。

「やあ」

ふたりも桶に、手ぬぐいやら石鹸やらを入れている。

「三人とも、またずいぶんと泥だらけになったな」

「汚れてんのはよく働いた証拠だな!」

 陸は言いながら、三人に負けないくらい黒く墨が擦れた腕と顔、それになぜか足を見せた。どうしたら足まで汚れるのか?

「泥も墨もしっかり流してから湯船に浸かるんだぞ」

「はい」

 女湯へ向かう蓮華と入り口で別れ、脱衣所でさっさと身支度を整える。夕刻の銭湯はいつも混んでいる。紫季はあがったときに自分の着物が分からなくならないように、かごの端に帯を蝶結びに結んだ。

「あ、ちょっとまって!」

 『じゃあ・・・』といって脱衣所から湯殿へ行こうとした成を陸が慌てて止めた。

「どうした陸?って、まだ脱いでもなかったのか?」

 成が振り返ると、陸はまだ来たときと同じ恰好のままだった。

「っていうか、帯が解けねーんだって」

「え?先に入ってるぞ」

 成は陸を脱衣所に残して、紫季をつれて中へ入っていった。

「いいんですか?」

「大丈夫さ。子供じゃあるまいし」

 子供たちには優しいが、陸には意外と冷たい成であった。

「陸殿の着物は変わった柄ですね」

 片結びでなかなか解けない陸の帯を解きながら竜胆が改めてその着物を眺めた。初めて会った日と同じ、漆黒の地で裾に白くどくろが染め抜いてある。ただそれだけの着物なのだ。

「ああ、最初は普通の絣だったんだが、腰に挿してる絵筆とか、懐の硯から墨がこぼれて黒くなるんで、どうせなら真っ黒いのを着ようと思って」

「なるほど」

「で、これをお買いになったのですね」

「いや、この柄はなかったから、最初の絣を染め直したんだ」

「なるほど」

 話しながら湯船に浸かる。こう広いと泳ぎたくなるが、今くらいの時間だと人が多くて無理だ。竜胆の小さい頃は、人の少ない早い時間に着てよく泳いで遊んでいた。

 湯船から上がり、髪の毛や身体を洗う。今日は髪の毛のあちこちに落ち葉や枯れ枝が引っかかってなんだか砂っぽい。

「どうした、紫季?」

「え?」

「いや、何か考えていたみたいだから・・・それとも、蓮華と離れて寂しいか?」

 竜胆が頭を洗いながらからかった。竜胆も紫季の気持ちをお見通しなのだ。

「竜胆っ!」

 からかわれた紫季は顔を真っ赤にして、桶に汲んであったお湯を竜胆の頭の上にぶちまけた。竜胆は長い前髪を掻き揚げてぶんぶんと首を振った。

「だって、いつも二人で一緒じゃないか。それこそ朝から晩までだ。蓮華は俺とは繋がないで、紫季と手を繋ぐしな」

 竜胆は髪の毛から滴るお湯を絞り、いつもの桔梗色の細い布で大きな髷に結った。女みたいな髪型になった。紫季も髪の毛が湯船に浸からないように髷に結おうとしたが、竜胆のようにうまくいかない。

「どれ、やってやるから」

竜胆が見かねて紫季の髪の毛を結ってくれた。見かけによらず器用なのだ。二人して身体を洗って、湯船に戻る。

「蓮華ー!紫季が寂しがってるぞー!」

「んなっ?り、竜胆!」

 紫季は慌てて竜胆の口をふさごうとしたが、既に遅い。

「そろそろあがりますかー?」

竜胆の声に、壁を隔てた女湯から蓮華の声が返ってきた。

「そうしよう!」

竜胆は叫び返すと、手ぬぐいで身体を拭いて、さっさとあがってしまった。

「竜胆、なんてことを―――ちょっと待ってください」

 紫季は慌てて竜胆の後を追いかけた。着物に着替えて、髪の毛を拭きながら二階へ上がる。二階には碁盤やら将棋盤なんかが置いてあり、大人たちが遊んでいる。蓮華が駆け寄ってきて、紫季を自分の傍に座らせた。

「紫季さまの髪の毛きれい」

 蓮華は自分の手ぬぐいで紫季の濡れた髪の毛を丁寧に拭き始めた。

「蓮華は紫季のこと大好きだもんな」

 自分で自分の髪の毛を拭きながら竜胆が言う。竜胆は紫季ばかりかまう蓮華に、少しやきもちを妬いているのかもしれない。

「兄上ったら!」

 蓮華は少し怒ったように言ったが、紫季の髪の毛を拭く手を止めることはしない。三人がしばらく話していると、これまた濡れた髪の毛を肩に垂らしたままの紅季が侍仲間とやってきた。

「おう、紫季!」紅季はにこりと微笑んで手を上げた。

「はじめまして、常真竜胆です」

 竜胆が慌てて立ち上がって、紅季に頭を下げた。幻の侍兼親友の父親に初めて会ったのだ。紅季は普段は忙しい上に、城の中での仕事が多く、城下にはめったに出てこないので、なおのこと幻の存在になっていたのだ。

「俺は秋村紅季。紫季の親父だ」

 紅季が竜胆に向かって笑いかけ、それから紫季の背中にぴったりくっついて髪の毛を拭いている蓮華のほうを見た。

「こんにちは、常真蓮華です」

 蓮華がにこりと微笑んだ。紅季も微笑み返した。

「幸せそうだな、紫季」紅季が意味ありげな視線を飛ばす。「蓮華ちゃんは、将来祈菊みたいな美人さんになること間違いなしだな」紅季が言うと、蓮華ははにかんで、紫季の背中に隠れるようにしてしまった。

「じゃあ、また後でな」

 紅季が侍仲間と将棋をさしに行ってしまうと、竜胆が訊いた。

「祈菊って誰のことだ?」

「私の母上です」

「ああ、紅季殿の奥方様か」竜胆は納得したように頷いた。「そんなに美人なのか?会ってみたい」竜胆もやはり男だ。美人と聞けば見たくなる。

「どうでしょう・・・どっちにしろ、今は月に住んでいますから、そう簡単には会えませんよ」

「月って、空のお月様のことですか?」蓮華が不思議そうな顔をして訊いた。

「ええ、母上は天女で、月に住んでるって、父上は思っているんです。本当は、私が三つのときに病で亡くなりました」

「すまん・・・」

 いけないことを聞いたと思ったのだろう。竜胆が珍しく暗い顔をして頭を下げた。

「いえ・・・でも、不思議なんです」

「不思議って?」

「私は母上のお葬式をした記憶がないんです。泣いた記憶はありますけど、母上が死んでからを見ていない気がするんです・・・病で死んだというのは、後から周りの方に言われて・・・正直なところ、母上が病だったという記憶もありません」

「紫季は元気なときの祈菊殿しか見てないってことだな」

「ええ・・・だから、亡くなったのではなくて、本当はやっぱり月に住んでるのかもしれません」

「そうですよね」

 蓮華は紫季の髪の毛をきれいに乾かして、今度は自分の持っていた櫛で梳いて、きれいにまとめて結った。

「出来上がり」

「ありがとう」

 銭湯から外に出ると、空は橙から淡い群青へと変わり始めていて、うっすらと白い月と、きらきら輝く一番星が見えた。空気が澄んで、山はきれいに紅葉していた葉が落ちて、ずいぶん寒々とした色になった。頬を撫でる風が冷たい。

「じゃあ、また明日な」

 陸は銭湯の前で蓮華に言った。

「はい」

蓮華はここのところ毎日陸と一緒に双雲寺(そううんじ)に通っているのだ。そんな蓮華と陸に、紫季は少しばかりやきもちを妬いてもいたのだが、それは黙っておいた。それに、蓮華が双雲寺へ行くようになったおかげで、あのとき蓮華には六日に一度にしようといわれた道場へ、結局竜胆とふたりして三日に一度通っているのだから。

「では、こちらもまた明日ということで」

「はい」

 成も紫季と竜胆に言って、陸とふたり連れ立ってくずきり城側の町の中へ帰っていった。

紫季はいったん“桜月”に戻るつもりで、たすきや木刀を店におきっぱなしで来ていた。店へ戻る途中に、金平糖職人が道ばたで金平糖を売っているのを見かけた。

「きれい!」

 蓮華は金平糖を見るのは初めてだった。庶民があまり買うことのない高級品なのだ。金平糖職人がいることも珍しい。紫季はあちこち回ってきたので何度か見かけたことはあったが、紅季も自分もさほど甘いものが好きなわけではないので、買ったことは一度もない。

「買うかい?」

 職人に聞かれると、蓮華は首を振った。「お金持っていないから」竜胆の家は特に貧乏でもなければ裕福でもない。竜胆も蓮華も普段金を持ち歩いていることはない。

「これで買えるだけください」

 紫季は懐から財布を出して、四角い金貨を何枚か出した。紅季が昼飯を食うようにとくれた金だが、昼餉はいつも竜胆の家でご馳走になっているので、ずっと使わないまま持っていたのだ。職人は紙の袋に金平糖をきちんと計って入れてくれた。

「どこかで見たような顔だなぁ」

 金平糖の袋を渡しながら職人が言った。

「秋村紅季の倅です」

 誰かに似ていると言われたら、いつもこう答えることにしている。十中八九当たっているからだ。紫季を知っている人は少ないが、紅季のことを知っている人間は多い。どの国へ、どの町へ行っても自分は常に紅季のおまけのような存在だと、紫季は思っている。実際、人からもそう思われている。

「なるほど。瓦版に出ていた人相書きに似てたんだな」

 と、ほとんどの人が同じことを言う。紅季の実物を見た人は少ないが、その腕前と、流浪の侍だと言う噂だけが一人歩きし、紅季の人相書きはいたる城下の瓦版に、本人の許可なく登場しているのだ。

「よく言われます」

「本当によく似ている」

 そう言って金平糖職人は紫季に渡しかけた袋をもう一度開き、ざらざらとさらに金平糖を足した。

「そんなつもりでは・・・」

 紫季は慌てた。紅季の倅だと名乗ると、しばしばこの手の優遇を受けてしまう。だが、紫季にとって、これはあまり喜ばしいことではない。秋村紅季の息子だということが、少し重荷になるときもあるのだ。

「いいや、これはほんの御礼さ」

「御礼?」

「ああ、実は、ここで金平糖を売ることを許可するように、殿様に掛け合ってくださったのは紅季殿なんだ」

「そうでしたか・・・では、ありがたく頂きます」

「おかげさまで店は繁盛してるって、伝えておくれな」

「はい」

 職人にさよならを言って三人は再びゆっくりと歩き出した。

「はい、蓮ちゃん」

 紫季は金平糖を袋ごと蓮華に渡した。

「食べてみて」

 紫季は自分でも一粒口に入れ、竜胆にも投げてやった。竜胆は放り投げられた金平糖を上手く自分の口の中に入れたが、少し味わうと眉を寄せて渋い顔をした。

「甘すぎる」

 甘味屋の息子なのに、竜胆は甘いものが苦手だ。だから、煮詰めた糖蜜や餡子の味見は紫季と蓮華の役目なのだ。竜胆は餡蜜の一皿も食べたことはない。

「わかっているけど、金平糖なんて初めて買ったから、竜胆も食べてみたらいいかと思って」

「ありがとう・・・不思議な舌触りだ・・・ちくちくするな」

「食べていいんですよ」

 蓮華が袋を大切に持ったまま自分では食べようとしないので、紫季が一粒つまんで口に入れてやった。

「甘い・・・おいしい」

「全部あげますよ」紫季は蓮華の嬉しそうな顔を見ているだけで幸せだ。

「でも・・・」

「いいから」

 店へ戻ると、蓮華は両親にも金平糖を分けた。それから、いつも持ち歩いている薬を入れるための小さなびんに入るだけ・・・といっても十粒くらい入れて、それより大きなきれいなびんに残りの金平糖を大切に入れて蓋をした。

「はい」

 大きなびんのほうを紫季に差し出した。

「蓮ちゃんが持ってて。蓮ちゃんにあげたんだから」

「本当にいいのですか?」

「うん」

「じゃあ、こっちを紫季さまが持っていてくださいな」

 蓮華は小瓶を紫季の手に握らせ、お店の奥の、砂糖壷が並べてある棚に大きなびんのほうを並べた。それから、いつものように紫季と手を繋いで城門まで歩いた。

「紫季さま、訊いてもいいですか?」

「なにをです?」

 紫季が聞き返すと、蓮華はいいにくそうに言った。

「えっと・・・祈菊さまのこと」

「母上のこと?」紫季は予想外の質問に驚いた。

「やっぱり、辛いですよね・・・ごめんなさい。今の、忘れてください」

「いいえ、辛くなどありませんよ。母上はほら、あそこにちゃんと住んでいますから」紫季は金色に色づいたきれいな月を指差した。

「紫季さま・・・」

 蓮華が紫季の手をぎゅっと握った。紫季も優しく握り返してみた。

「どんなことが訊きたいですか?」

「祈菊さまがどんなお方だったのかを・・・」

「そうですね・・・あまり憶えていませんが、優しかったですよ。父上は天女だなんていっていますから、結構美人だったのかもしれません。料理もお裁縫も上手くて、いつも桜の花の香りがしたんです」

 紫季が母親について覚えていることと言えばそれくらいのものだった。顔をはっきり覚えているかと問われたら・・・見分けるほどの自信はない。背格好の似た人がいれば、間違えてしまうだろう。

「桜の香り?」

「ええ、毎日朝に桜のお香をたいていました。あ、そうだ・・・」

 紫季が首にかけていた小さな布の巾着を取り出して、中から桜色のお香を取り出した。巾着も香も祈菊の形見だ。

「これ、五つあるから、蓮ちゃんにふたつあげる」紫季は桜色の香を自分の持っていた薄い青色の小さな布きれに包んで蓮華に差し出した。「母の形見の桜のお香」

「そんな大切なものもらえません」蓮華は受け取ろうとしない。

「蓮ちゃんに持っててほしいんです」

 紫季が蓮華の手にしっかりと握らせた。

「・・ありがとうございます」




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