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甘味城下物語  作者: 紅弓
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文月 侍は城に招かれ 紫季は甘味屋にて朝餉を食す

文月 侍は城に招かれ

   紫季は甘味屋にて朝餉を食す

 

「乗り出すな!落ちるぞ」

 峠の高台から町を見下ろした紫季が、あまりの景色のよさに思わず声を上げる。

「すごい所ですね、父上!」

 目をきらきらと輝かせて言う紫季に、紅季はふっと微笑んだ。すらりと背の高い紅季とは違って、小柄な紫季の身体が、柵を越えて落ちそうになるのを片手で捕まえる。

「広い国だ・・・でも、その国全体がここから見渡せるような、そんな不思議な感じがします。城が二つもある!父上はどちらの城で働くのですか?」

 眼下の町には臙脂色の瓦屋根の家や、群青色の屋根の店が所狭しと立ち並んでいる。人通りが多く、賑やかな通りがあるかと思えば、子供達だけが遊んでいる空き地のようなところもある。その町を見下ろすようにして、東と西にそれぞれ大きな城が建っている。東の城は朝日のような橙色、西の城は夜空のような藍色の瓦屋根だ。

「東の城はあんみつ城、西の城はくずきり城だ。俺はあんみつ城で働くのだ。紫季も今日からこの町に住むのだぞ。どうだ、気に入ったか?」

「はい。すごく楽しそうなところです。ここならうまくやっていける気がします」

 そう言って振り返った紫季は色白で、細く長い眉、端整な顔立ちは紅季にそっくりだ。ただ、大きな茶色い瞳だけが母親に似ている。

「そうか」

 息子の言葉に紅季は満足そうに頷いた。今度こそ、うまくやれ。心の中で言い聞かせた。

「では、峠を下って町には入るぞ。急がなければ日が暮れてしまうからな」

 紅季はそう言って歩き出した。

「はい」

紫季も慌ててその後を追いかけた。


 二人が町に入った頃には、もう日が沈みかけていた。町中があんみつ城の屋根と同じ紅色に染まり、小さな子供たちが家へと駆けて行き、紫季と同じくらいの年頃の子供たちが竹刀や木刀を担いで戯れあいながら、すたすたと歩く紅季と、その後ろを小走りについてゆく紫季の傍を通って行った。

「父上」

 前を歩く紅季に、紫季が控えめに声をかけた。

「何だ?」

 紅季は周りにわき目も振らず、ただ真っ直ぐと目指す城のみを見ている。紅季はいつもそうだ。ただ目指すところだけ、目的だけをはっきりと見て、そのためだけに前に進む。

「この町には、どれくらい居るおつもりですか?」

「さあ、わからんな。またすぐに他のところへ行くかもしれないし、しばらく居るかもしれないし、ずっとここに居るかもしれん」紅季は言ってから、ふと足を止めて息子の方へ振り向いた。「紫季は、どうしたい?」

 紅季の切れ長の眼に見据えられ、紫季は眉を寄せて考えた。

「・・・どうって、何をですか?」

「いろいろな土地を流れ歩くのは嫌か?」

 紅季の問いに、紫季は下を向いて少し考えた。

「いいえ、いろいろな人と出会えるのは良いことです。出会った人の数だけ、生き方を勉強することができますから」

 およそ十歳の子供がいうことではないような答えが返ってきた。

 昔からだが、紫季はほとんど手をかけずに放って育ててきたというのに、自分の息子にしてはいささか出来がよすぎる。紅季は紫季が話すのを聞きながら、心の中で首をかしげた。

「紫季」紅季がしゃがみこんで紫季の目をしっかりと見つめた。

「はい」

「天下に人は大勢居る。お前が目標にするべき人も、必ず居る」紅季が口の端を引き締めて笑った。「もしも、お前が目標にするような何かを見つけたら、俺はそこに腰を据えてもいいと思っているからな」

「はい、父上!」

 紫季もにこりと笑い返した。

「さあ、もう大丈夫だな?これから殿様へ挨拶に行く。大人しくしていろよ」

 紅季の言葉に紫季は素直に頷いた。


 翌日、眩しい朝日に目を覚ました紫季が隣を見ると、紅季はすでに居なかった。布団はひきっぱなしで、その上に、いつも寝巻きにしている浅葱色の着物が帯と一緒に脱ぎ捨てられている。

「父上・・・」

 慌てて出て行ったのではない。紅季はいつもこうなのだ。だらしがないというか、なんというか・・・。

 紫季は自分も着替えて髪の毛を縛ると、寝巻きと布団をきちんとたたんで部屋の隅に寄せ、紅季のも同じようにしてから部屋を出た。

「・・・・・・」

 紫季は部屋を出てから真っ直ぐに伸びた廊下を突き当りまで歩き、そこから急な階段を下りた。だが、階段を下り切った所で、ふと足を止めた。腹は減ったが、どこで朝食を摂ったらよいのか分からない。場所があれば自炊でも何でもするが、勝手の分からぬ城の中ではそうはいかない。こういうときに紅季はあてにならない。

(新しい城に父上も戸惑っているはずだから、せめて迷惑をかけぬよう、自分のことは自分で何とかしなければ・・・)

 廊下にはたくさんの人が行き来しているが、誰も紫季に注意を払う者はいない。誰かに訊こうにも、皆それなりに忙しそうだ。

「仕方ない」

 紫季は一度部屋に戻って愛用の木刀を引っさげて外へ出た。金はある。ならば、外へ出れば食物屋くらいはあるだろう。夕方までに城へ戻ってくれば、紅季も心配することはない。


 城から出ると、両側に白くて丸い石の敷き詰められた幅の広い道を通って、大きな門をくぐり抜けて町へ出た。一人であちこち歩き回るのは好きだ。新しい町へ来たときはいつもこうしている。

 紫季は人通りの多い通りを目指して歩いた。

 しばらく行くと、紺色の暖簾をだした、わりに大きな店が見えた。暖簾には紺地に白で『桜月』の文字が染め抜いてある。店の端には『あんみつ』の旗がかかっている。

「・・・甘味屋では、朝飯は食えないか・・・」

 紫季が店の前で暖簾を見上げていると、中から桔梗色の着物を着た少年が出てきた。紫季よりも背が高いが、きっと年は同じくらいだろう。紫季は十歳にしては小柄な方だから。

「いらっしゃいませ」

 紫季に気づいた少年が唇の端を引き締めてにこっと笑った。太めの眉に大きな目、きりりとした顔立ちをしている。

「・・・・・・」紫季はなんと答えようか迷った。

「・・・どうした?」

 少年の方も不思議に思ったのが、首をかしげて紫季を見た。

「あの、実は朝食を食べられるところを探しています。どこかいいお店はありませんか?」

「それなら、ここで食べていくといい」

 少年がにこっと笑って暖簾をくぐって店の中に入って行った。だが、紫季はその後姿をぼうっと見ていた。

「おい、何してるんだ?早く来いよ」

 紫季がついてこないので、少年がまた出てきて紫季の手を掴んで店の中に入れた。

「あの、でも、ここは甘味屋でしょう?」

 甘いものが食べられないわけではないが、出来れば目覚めには、普通の朝食がいい。

「大丈夫だ。俺が作るから」

「はあ・・・」

 紫季は戸惑いながらも少年に言われて窓際の席に座った。半分は座敷になっている。さっぱりとした、きれいな店だ。竹を半分に割ったものに品書きがしてある。餡蜜、葛きり、汁粉、団子、心太、善哉、饅頭・・・どれも朝飯になりそうにない。

「おい、何が食べたい?何が好きで何が嫌いだ?」

 店の厨房らしいところから少年が顔を出した。

「嫌いなものはありません。朝食の役目を果たしてくれるものであればなんでも良いです」

 紫季の答えに、少年はにこと笑ってまた店の奥へと姿を消した。しばらくすると、炊き込みご飯に焼き魚、味噌汁、漬物・・・まるで定食のようになって出てきた。

「朝飯の残りを取り繕ったもので悪いな。でも、味噌汁は作りたてだし、漬物もかなり美味いと思うから・・・魚は今朝俺が釣ってきたんだ」

 そう言って、少年が紫季の向かいに腰を下ろした。

「ありがとうございます。頂きます」

 紫季は行儀よく手を合わせてから箸を動かした。どれも美味しい。

「どうだ?」

「美味しいです。料理が上手なんですね」

「これくらいは朝飯前だ。ところで、見かけない顔だな」

「昨日、この町へ着たばかりです」

 紫季は赤出汁の味噌汁をすすりながら答えた。味噌汁の中身は木綿の豆腐とわかめだ。

「そうなのか。もしかして、あんみつ城に新しく来たお侍の息子だとか?」

「父をご存知ですか?」

 紫季は食べかけた漬物を箸から落としそうになりながら聞いた。少年は紫季にお茶を淹れてくれたあと、奥に引っ込んで忙しく何かし始めた。

「秋村紅季殿だろう?」

「ええ、どうして知ってるんですか?」

「どうしてって、有名だ。腕はいいのに、流れ歩いてばかりで、決まった土地にはいつかない。俺たちにとっては伝説的な侍だ」

「あの父上が・・・まあ、侍としては一流でしょうけど」

 父親としては三流以下です。紫季はその言葉を飲み込んだ。そんなことを言っては、憧れの侍像が崩れてしまうだろう。

「ご馳走様でした」

 全部残さず食べ終わった紫季は、お盆を店の奥の流しに持って行って、皿を洗い始めた。

「悪いな、そんなことさせて」

 少年は大きな釜で、何かを茹でているらしい。釜に見合った大きな棒でしきりにかき回している。

「いえ、慣れていますし、どうせ暇ですから」

 紅季は料理は好きだが後片付けはいつも紫季に押し付けてくる。部屋を散らかすのは好きだが部屋の掃除と片付けは紫季任せ。着物を汚すのは得意だが洗濯は紫季任せ。という父親なので、家事には慣れっこだ。しかも、紅季が料理をするのは気まぐれなので、食事の支度も大概は紫季の担当だ。紫季は皿を洗い終えると、自分が使った卓も台拭きで拭いた。

「なにしてるんですか?」

「小豆を茹でてる。あ、そこのそれ、取ってくれ」

 少年に言われて、紫季は大きな壷を取った。

「ふたを開けて、全部この中に入れてくれ」

 紫季は言われたとおりにした。壷の中身は砂糖のようだ。釜から甘いにおいがしてくる。小豆は汁粉や善哉になるのだろう。

「美味しそうですね」

「出来たら一杯食べてもらおう。俺の代わりに味見をして欲しい」少年がにこりと笑った。「常真竜胆だ」

「私は秋村紫季です」紫季もにこりと笑った。


 紫季が“桜月”を出ると、もう夕方になっていて、空はきれいな緋色に染まっている。紫季は夕日を眺めながら城へ帰ろうとしたが、“桜月”を出て、わずか五分ほどで道に迷ってしまった。

「紫季!」

 しばらく迷って、日がすっかり落ちて、一番星が見え始めた頃、紫季は誰かに後ろから襟首を掴み上げられた。

「父上!」

 紫季は自分を捕まえている紅季に向かってにこりと笑った。

「まったく、お前はどこに行くつもりなんだ?」紅季が呆れた顔で言った。

「どこって、もちろん城へ帰るところですよ。父上は?」

「俺も城に帰るところだ」

 紅季は眉をしかめて息子を地面に降ろし、さっときびすを返して紫季が向かっていた方向とはまるっきり反対方向へと歩き始めた。

「父上?」

「なんだ?」

「城に帰るのではないのですか?」

 紫季の言葉に、紅季はふぅーと深い溜め息をついた。

「だから、城はこっちだ」

 それから城まで、紅季は一度も足を止めなかった。紫季もすたすた歩く父親の後ろをすたすた、半ば小走りになりながら付いていった。足の長い紅季はもちろん歩幅も広い。しかも、紅季は歩く速度が速い。だから、小柄な紫季はついて歩くのが大変なのだ。

「まったく、方向音痴のわりにひとりで歩き回るのが好きなんだから・・・って、俺がお前を一人で歩かせているのかもな」

 紅季が笑った。母親のいない一人息子の紫季をいつもほっぽりっぱなしにしていることに、多少の責任は感じているようだ。

「私は別にかまいませんよ。ところで、今日はもう仕事は終わったのですか?」

「ああ、今日は初日だから、城下をざっと見回っただけだ」紅季と紫季はそろってあんみつ城の城門をくぐった。「だから、お前も一緒に連れて行こうとしたんだが、部屋に戻ったら既にいなくてな」

 二人は食堂へ行って、用意された夕餉の膳に手を合わせた。その仕草がそっくりだ。

「城下の町はどうでしたか?」

 塩のふられた焼き魚に箸を伸ばしながら紫季が訊いた。焼き魚に玄米、それに梅干と油揚げの味噌汁が今日の夕食だ。

「あん?」

 紅季は紫季の言葉に、飲んでいた味噌汁にむせ返って、味噌汁の椀をひっくり返した。

「大丈夫ですか?火傷しませんでした?」

 紫季は慌てて台拭きを持ってきて、こぼれた味噌汁と味噌汁で濡れた紅季の着物や手を拭いた。やっぱり、世話を焼くのは紫季だ。

「ああ、すまん・・・町はどうだったかって、お前は今までどこにいたんだ?」

 紅季は気を取り直して、玄米を口に運び始めた。

「私は、“桜月”という甘味屋にいました」

「甘味屋?俺はまた、お前も城下を散策しているとばっかり思っていた」

「ええ、本当はそのつもりだったのですが、たまたまその甘味屋で朝食をご馳走になったので、お礼に手伝いをしてきたのです」

「甘味屋で飯をねぇ・・・って、金は持ってなかったのか、金は?」

 紅季は自分の分をこぼしてしまったので勝手に紫季の味噌汁を飲んだ。

「持ってましたよ。でも、甘味屋は甘いもの以外は売らないから、金はいらないと言うので、それでは申し訳なくて、それで手伝いをしてきたのです」

「そうか・・・」紅季はふと箸を止めて、嬉しそうに話をする息子をじっと見詰めた。

「なんですか?」

「いや、お前が嬉しそうに話すのを久しぶりに見たと思ってな」

「そうですか・・・あ、それで、その甘味屋の常真竜胆という少年と友達になりました」

 紫季は嬉しそうににこりと笑った。紅季はその笑顔を見て、何故だか妻の()(ぎく)を思い出した。顔立ちは自分と似ているはずなのに、微笑んだ紫季の顔は祈菊に似ている。

「お前が誰かを友と呼ぶのを、俺は初めて聞いたぞ」

「・・・・・・」父親の言葉に紫季はしばらく考え込んだ。「確かに初めてかもしれません。ですが、竜胆は友達ですよ」


 つづく・・・


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