Artemis 〜月光の煌き〜
恒久の月の光の如く。
絹の羽衣を纏った少女は野に立ち、白痴の様に銀色の櫛をなびかせ、唯、地を踏みしめ、きらびやかに舞っていた。
「―――お主は何故、舞うのか。」
彼女の姿を、丁度井の水を汲みに忍び込んだ盗人の少年が眼にして声を掛けた。
少年の声に驚き、彼女ははたと足を留め、彼を振り返る。
「―――お主は何故、其に於いて舞うのか。」
振り向いた銀髪の少女に、再度問掛ける。彼の眼には、少女の姿がそれほど楽しげに見えたのだ。
今宵は満月。月の光に照らされた少女は、ボロを纏った少年を魅了するに十分過ぎる程の妖艶。
「―――クス。」
と少女は微笑む。
微笑んだ少女は、すぐに彼に答えた。
「そなたは、生きて地を踏むことを嬉しきこととは思わぬかえ?」
少女の意外な答えに少年は、手の、枸ちかけた木桶を突き出して答える。
「・・・この乱世に、生きることを苦難と思わぬ者がおるものか。見ろ、この一酌の井の水すら、ままならぬ。何を嬉しきと思えようぞ。」
木桶の水は、満月を映してゆらりと揺れている。
「―――生きるが苦難か。其の様な物、水辺を行けば足る程あろうに。」
少女は尚も楽しげに微笑う。
「河原には死人が浮いて飲むに耐えぬ。腐臭は気を病ませよう。口にするには値わない。」
「―――汝もヒトぞ。口に出来ぬもあろうか。生きることより其が病むとは、如何なものよ。」
「―――仕方あるまい。生きるとは其のようなものだ。・・・お主は何ぞ。見る限り、地の者とは合い見えぬが。」
少女は口の端を緩めると、纏った羽衣をひらりと翻し、一度くるりと舞う。
「―――我もヒトぞ。そなたと同じじゃ。地を踏むことも出来るし、かように―――ほれ、舞うことも出来る。其れの何と幸せなことか。」
少女は尚も跳び撥ね、銀を翻し煌めく。
「・・・案じた。―――この両の眼には、妖か物の怪の類に映えて仕方ない。お主、生まれは?」
少年は、汲んだ水を手に、更に問う。少女は地につけた足を軽やかに踏むと、一言放つ。
「―――そなたの知らぬ場所じゃ。」
と、答えた彼女は、宙を仰ぐように月を見つめた。
「―――俺の知らぬ場所?異国か?名は?」
「―――名、か。―――そうじゃな、我の名は―――月・・・うむ、月詠じゃ。良い名であろう。」
「―――では、月詠。お主はこんな焼け野原で何をしていた。」
「待て。我が名乗ったのならば、そなたも名乗るのが道理であろ。―――そなたの名は?」
「・・・俺の名は―――。」
とまで答えて、少年はふと気付く。少女の舞いは見るに奪われるほど美しかったが、辺りには人の気配一つ無い。月の光のみが、元は集落であったであろう、その焼け出された野原を映し出している。
「―――どうした?そなたの名は?」
少年はふと脳裏に過った言葉を振りほどき、答えた。
「―――俺は、助六だ。」
少年の名を聞いた少女は、舐めるように少年を見つめると、口にした。
「―――助六か。うむ、良い名じゃ。して助六、そなた、我に何をしていたかを問うたな?」
少女は柔らかに微笑むと、少年に背を向け、また月を見上げた。
「―――月を―――見ておったやも知れぬな。」
「―――やも知れぬ?知れぬとは、如何なことぞ?」
少年は、少女の不思議な答えに、身を乗り出して更に問う。すると少女は振り向き、答えた。
「―――クス。そなた、生きることを苦難と申したであろ。では、何故に生きるか。」
少年は、少女の笑みにぞくりと肝を冷やし、一歩退く。
「―――畏れなくとも。そなたを捕って喰おうとも思わぬ。我は、そなたが生きる理由を識りたい。生きるとは、如何ようなことか。」
少年は唾を飲み、眼の前の少女に魅入られたかの如く、動けずに居た。
「―――お主、真にヒトか?」
少年は震える躰をやっとのこと抑え、発したが、少女はクスリと微笑い、少年を見据えたまま微動だにしない。
「月を―――そなたの眼は、この満円の月を、どのように映すであろうな。」
微かに表情を曇らせた少女の姿に、少年は畏怖とも違う、なんとも言えぬ感情に心を奪われる。
「・・・さりとて、我は―――。」
瞬間、つむじ風が吹き抜ける。
少年は強い風に顔を背け、一瞬視界を取られる。
「―――月詠っ!?」
風が止み、次に少年が少女を探した時には、其処に彼女の姿を見つけることは出来なかった。
満円の月の光が如く。
煌めく恒久の月の光の下、少女の面影を探し、少年は立ち尽くす。
少女は何を見、何を考えていたのでしょう。
作者自身の中でも、少女が何者でどこに消えたのか、はっきりとした答えが見えないまま完結してしまいました。
もし、皆様の頭の中で、少女の姿が見えたのでしたら、皆様はどのように思われるか、考えて下さるととても嬉しく思います。
玄武でした。