第四話:親子
【人間が復讐心から解放されること、これがわたしにとって最高の希望への橋であり、長期の悪天候の後の虹である】
フリードリヒ・ニーチェ
「……アンジェラ、人、いっぱい」
「当たり前だ。無駄に世界を覆ってる生物の代表格が人間だからな。それに、今いる場所は腐っても王都だ。人がいなかったらもうそこは国ではない」
馬車が不規則に揺れるが、振動はそれほど感じない。おそらく、衝撃緩和系の魔術でも行使しているのだろう。
セエレは窓枠に顎を載せて、カーテンの隙間から外の風景を眺めている。馬車の外では大勢の民衆が涙ながらに隊列を成して戻って来た軍隊を眺めていた。騒がしくないざわめきが馬車の外では起こっていた。
「我々は今回、決死の出撃だったからな。一人一人が、その肉の一辺までも壁になる気概を持ち、戦場に赴いた。それを送りだした家族たちも、また、な」
向かいに座るシェラが慈母のような笑みを浮かべながら、民衆に視線を向けていた。
セエレは、彼女の話には耳を傾けず、ただ一心不乱にその民衆たちを眺めていた。
「よく、よく帰ってきてくれた!」
「お父様。私は別に死にに行ったわけではありませんよ? あくまでも勝ちに行ったのですから」
今の言葉は、おそらく国王である父を心配させないための嘘だということは簡単に想像できた。
セエレたちは王国の王都に着くや否や、そのまま城の玉座の間に連れてこられた。そこは荘厳という言葉がそのまま似合う場所であり、シェラと国王、親子の対面の温かな場面にしてはお堅い雰囲気で埋め尽くされていた。
そこで今まであまり口を開かなかった王妃が声を出す。
「それで、そのお隣の方々は?」
話しを振られたセエレは、相も変わらずぬぼーと猫背で突っ立っていた。隣に立つアンジェラは、腕を組み片足に体重をかけて王と王妃を睨みつけていた。
シェラは慌てて、「はい」と間を取り持つ言葉を発した。
「この二人は此度の戦において、我々を勝利に導いた者達です」
「……なんと。ならば、竜に騎乗していたというのが」
「はい。この少年です」
「…………」
注目を浴びたセエレは、相変わらずぬぼーと突っ立っているだけで、あまつさえ欠伸をかました。その行為を見たシェラの頬がかなり引き攣る。
「そ、その、竜というのは?」
「そ、それはですね」
「我だ」
ド派手な真紅のドレスを揺らしながら二歩ほど前に歩み出るアンジェラ。
王のアンジェラを見る目が少し厳しくなったかと思うと、瞬時に何かを見極めたかのように柔和な笑みがこぼれる。
「なるほど、高等な竜は人化できると文献で見たことがあるが、本当だとはな」
「ふん。そこで我のことを疑っていたなら――灰すら残らなかったがな」
目の前の現実を受け入れられない奴に肩入れする必要などないと言わんばかりのアンジェラ。
「このたびは、誠に感謝する」
「ならばさっさと終わらせて我等を部屋に案内しろ。窮屈な馬車に放り込まれてこちらも我慢の限界なのでな」
「はは。シェラ、案内してあげなさい」
「は、はい」
シェラは引き攣ったままの笑みで二人を振りかえると、ひったくるように二人の腕をとって歩きだした。
「どうしたのだ貧乳娘。憤慨するようなことでもあったのか?」
「全面的にな! せめて一国の主と相対する時ぐらいはちゃんとした態度をとってくれ!」
シェラに案内(という名の連行)されたその部屋は、二人が泊るにしては広すぎる場所だった。正確には一頭と一人だが、サイズは変わらないので同じことだ。
アンジェラはそんなシェラに対し、呆れたように溜め息をついてから、腕を豊満な胸の前で組んだ。
「はぁ。なにを今更、と言ったところだろう。貴様に対してこの態度なのだから、それぐらい当たり前だ。それに、これぐらいのことで憤慨するようでは、人の王と言うのは器が知れるな」
シェラは心の中で、『お前が言うな』とツッコんでみたが、それを口に出せばきっとこの城は爆発するだろうから、硬化魔術でも使ったかのように口を噤んだ。
歯軋りをしたい気持ちを押さえ、代わりと言わんばかりに口を開く。
「だが、臣下の手前というものもあるんだ。そんなことでは、王としてどうなんだと言われてしまう」
「それならば、そこまでの国だったということだ。我等が介入するまでもなく、近い将来に滅びるだろう。まあ、実際に滅びかけていたがな」
「ぐ……っ」
ぐぅの音も出ないとはこのことか。一般論で言えばアンジェラの言っていることの方が正しいように見えるが、極論で言えば断然アンジェラの方が優れている。正しくはないが、ちゃんとした筋道は通っている。
「満足したか? ならば、祝宴の用意が出来るまでここには来るな。分かったならさっさと出ていけ」
「……くそ」
シェラは踵を返し、最後まで黙っていたセエレを一瞥すると、そのままドアの方に足早に歩いていった。
その背中には、ただただ悔しさが滲め出ていた。
「…………アンジェラ。言い過ぎ、だと思う。……べつに、気にする必要無い」
「あそこで王族としてのプライドが許さず、我に襲いかかっていたら、この国からまず滅ぼしていたがな。気丈な娘だ」
シェラが去った部屋で、二人は一つのベッドの端に隣り合って座っていた。セエレは相変わらず黒いローブを目深に被り、アンジェラはその妖艶な肢体の曲線美がしっかり分かる服のままだった。
「セエレ。我は今日が終わればしばらくの間ここから去る。いいか、我が教えたことを守るんだぞ。……そうだな、口に出して言ってみろ」
唐突にそんなことを言い出したアンジェラの視界の中では、びくりと僅かに肩が揺れたセエレの姿があった。明らかに動揺している。
しばらくすると、おずおずとぼそぼそと、ゆっくりとした口調で『アンジェラの教え』を口にし始める。
「……死なない。……無闇に人を殺さない。……戦場以外で狂気に落ちない。……レジスタンスのことを話さない。……言った」
「よく出来たな。偉いぞ」
「……へへ」
「そうだな、しばらくぶりの屋根がある場所だ。ゆっくり、するか」
「……うん」
あからさまに、セエレの雰囲気が変わる。アンジェラのそれも、他人に醸し出しているそれより幾分も柔らかくなる。
そして、アンジェラは、セエレ以外には決して見せない慈愛に満ちた笑顔を見せるのだった。彼らの後ろ姿は、そう、ちょうど『親子』のそれと、同じように見えた。