第二話:邂逅
【目には目を、歯には歯を】
ハンムラビ法典
少年は黒い外套の奥に潜む、黒、どこまでも黒いがゆえに濁ってしまった黒い瞳を、虚空に向けて神経を散漫にする。彼の処世術だ。こうしていなければ、復讐に取り憑かれる。
無機質の内に潜む、憎悪。少しでも意識してしまえば、今のように、何の抑えも聞かなくなってしまう。
だから、少年――セエレは、必要なことすら適当に考える。集中した意識が、方向づけられないように。
そんな彼の周りに、いつの間にか人が集まっていた。それは、今挽肉にした帝国兵とは違う、白銀の鎧を着た人間達。
「先程は、助かった。貴公のお名前をお伺いしたいのだが」
一番先頭に歩きだしてきた、白髪に蒼い瞳。高貴そうなその雰囲気は相対するだけで相手を威圧する。
はずなのだが、
「…………」
セエレは何の反応も示さない。無。無無無。無、である。ただ、大剣を背もたれにして体育座りをしたまま、その黒い外套に潜む黒い髪を見え隠れさせる。
息以外、何もしていない。ようするに、今の女性の言葉に対するリアクションは、何も起こさなかった。起こす気が無かった、と言うべきか。
その対応は予想外だったのか、若干、相手には分からないぐらい、だけども自分には分かる程度に顔を引き攣らせたが、相手は一応恩人であるし、あの絶大な戦闘能力を持っているわけだから、下手には出れない。
なので、もう一度、
「貴公の、お名前をお伺いしたいのだが?」
と、繰り返したのだった。だが、若干、自分では気づかないが、周囲の人間にははっきりと分かるぐらい声が強張っている。
流石に今回は反応するだろう、と女性も、周囲の鎧を着た人間たちも、そう思った。
だが、
「…………」
今度は、呼吸すらも止まったのではないかと思うほどに、静寂が辺りを包むだけだった。
このことに業を煮やすのは、無視をされた本人ではなく、騎士団長ウィリアムである。大きく顔面に入っている傷をピクピクと震わせながら、シェラに、
「シェラ様。ここはひとつ、俺が」
と、自分でも分かるぐらい強張った声が出た。
すると、シャラも固まった筋肉をぎこちなく動かし、ウィリアムのほうを振り向きながら、「頼むわ」と強張り、引き攣った笑みを浮かべてそう言った。
鎧をがしゃがしゃと鳴らしながら歩み出たウィリアム。しかし、騎士のような不器用な人種に、器用な言葉で相手の注意を引くようなことができるはずもなく、シェラの言ったことをそのまま言いだす。
「先程は御救い頂き感謝する。貴公のお名前をお伺いしたいのだが?」
「…………」
言わずもがな。
やはり、無反応である。ウィリアムのこめかみがぴくぴくと痙攣しているかのごとく波打つ。
「シェラ様」
平静を装っているつもりが、やけに声が強張る。
「なにかしら?」
「切り捨てても?」
「駄目よ」
このやりとりすら、不気味なほど引き攣り強張った声で行われたのだった。
ウィリアムはギシギシとぎこちなく身体を動かし、再度、無反応の少年の方を向く。
……不敬罪で叩っ斬りたい……ッ!
なんて、凄まじい衝動に駆られるウィリアム。しかし、騎士道は伊達ではない。そこいらの、なんちゃって・ナイトとは違うのだ。
「…………あ」
ぼそっと。普通にしていれば絶対に見逃してしまうような声だったが、今この時においてこの場の人間の感覚は常人を遥かに凌駕している。
「…………だれ?」
まず、そこからである。
だが、そういえばだが、自己紹介などしていなかった。その方が失礼である。
「失礼した。俺の名前はウィリアム=シラルクと言う」
「…………そ」
それだけ言うと、またぴくりとも動かなくなってしまった。どうやら、人に対する礼儀と言うモノが完全に欠如しているらしい。
「……貴公のお名前をお伺いしたい」
そこで、ぴくぴくと震えるウィリアムの後ろからシェラの声が響く。
「……セエレ」
以外にも、あっさりと名前を教えたセエレ。ここでまた無言タイムが続いたなら、もう物語はここで終わっていたのだろう。
「今回は助けていただき感謝する。是非、王国でもてなしたいのだが」
「…………え」
意外性の欠片も無いただのうめいているような声が漏れてきた。抑揚などなく、上ずってもおらず、ただ単にドレミでいうと、ミぐらいの高さで、え、と呻いた。
それは驚きであったのかもしれないし、次に続く言葉があったのかもしれない。
「……でも……アンジェラ、が、」
ゆっくりとした口調で、しかしながらどこか焦っているような、そんな感じで話すセーレ。声の高さは中性的で、男なのか女なのかは分からない。
「その、アンジェラ、というのは?」
シェラが新たに出てきた固有名詞に対して極めて慎重に質問する。予測はついているのだが、一応といったところだ。
「…………」
何かいけない質問でもしたのだろうか? と思わず首を傾げてしまう。ようするに、また沈黙タイムが始まったわけだ。
何が何だか分からない、と言った様子で、シェラは何となく空を仰ぎ見た。
そして、見えた。遥か遠方の空に、紅き影が。それは、まだ豆粒程度の大きさだった。しかし、一秒ごとにその大きさは巨大化していき、やがて、
「ゴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
一頭の巨大な紅竜の姿となった。
そのフォルム。まさに最強。横に広がる紅き翼はここに集まっている兵を全て包み込みそうなほど広く、それでいて薄っぺらさを微塵も感じさせない。
強靭な両足に、翼爪。それらを覆う、紅と黒の鱗。頭には日本の黄金の角が恐怖を象っている。
それは、セエレのすぐ後ろに降り立ち、またも彼の前に立つ人間たちを威嚇するかの如く咆哮した。
ある者はそれだけで気を失い、ある者は気丈にも持った武器を構える。
巨大な爆音に体を打たれつつ、なんとか王女としての体裁を保ったシェラ。ウィリアムも、一番近くで咆哮を受けたはずなのに、若干たじろぐ程度で終わった。
『人間共! 何の用だ!!』
竜は、高位ともなると人語すら操れるらしい。
そんなことに少しだけの感動と、恐怖を混ぜた感情が沸き起こる。
ここで、この存在の『質問』に対する『返答』を誤れば、この平原どころか、後ろに控えるヴェナス王国が地図からも歴史からも消えてしまうだろう。不本意にも、王女の愚図で愚鈍な返答の所為で。
シェラは、口内が急速に渇いて行くのを感じた。だが、これ以上喋らないでいるのも、怒りを買うことになってしまう。
よって、彼女は、
「こ、今回は、救っていただいて、礼を言う」
まずは、ベタで、当たり障りのない所から入ることにしたらしい。しかし、その声色には十分恐怖の色が窺え、いつもの彼女からは想像できない。
『それだけならば、去るがよい。我の怒りを、買わぬ内に』
その声には、威厳が満ち満ちていた。
だが、ここで引き下がるわけにもいかない。目の前の少年、もしくは少女、および紅竜には恩がある。黙って去れる、というのはいただけない。
「今回のことについて、我が国で貴殿等をもてなしたいのだが」
『……人間ごときが、我等をもてなす、だと?』
全身がぞわりと総毛立つのを感じる。
敵意ではなく、明確な殺意が、シェラに向けられる。あからさまな怒りが、殺意が、この場を支配していった。
『人間程度の下等種族が、どうやって我等をもてなすというのだ、言ってみろ』
声を荒げることなく、紅竜、アンジェラは人間の王女に問う。
一気に指の先まで体温が冷えかえる。じっとりとした冷汗は湯水のごとく沸いてきた。
震える指先を渾身の力で握りしめ、血が滲むのを感じながら、シェラは言った。
「人間の流儀に則って」
その、気丈な言葉がいけなかったのかもしれない。
全身に叩きつけられる威圧感の格が、別格になる。いや、全く異質のものと言ってもいいぐらいの、濃密な何かに。
『フ、フハ、フハハハハハハハハハハハハハハハッ! ――無へと還り、輪廻の狭間で悔いるがよい』
紅竜の口内に、膨大な魔力が収束していく。少しでも魔術をかじったことがあるのなら、その恐ろしさは充分に感じ取れる。いや、全く知らなかったとしても、その脅威だけは、分かってしまう。
その収束の余波だけで、身体が掬いあげられそうな烈風が吹き荒ぶ。
そして、轟ッ!! という、酸素を食い破る炎の息吹。
『我の一撃で死ねるとは、身に余る光栄だな、地虫よ』
おそらく、この一撃で、この平原は吹き飛ぶ。明らかに、大型爆撃艇に使った魔力よりも、その威力や質は別格である。
大国を一夜の内に火の海へと変えた、竜の火炎。当たれば、影すら残らない。
『死ね、下等種族』
終わる。そう思った瞬間、
「アンジェラ、…………おかえり」
なんとも間抜けな声が、紅竜に対してかけられた。
そして、驚いたことに、フッと収束していた魔力が消え去る。
『うむ』
凄く機嫌よさ気に、そう返事をする紅竜。
それを見た王国の諸氏有象無象は、口をぽかーんと開けて、放心していた。
とりあえずは命は助かった。それだけは、分かったらしい。
「アンジェラ…………殺しちゃ、だめ、だよ。……帝国のやつら、以外は、あんまり」
『気にするな、セエレ。人間など、帝国以外にも掃いて捨てるほどいる。この程度の数、いちいち記憶しておくのも馬鹿らしいほどにな』
それはそうなのだが、これを我が国の思想家たちが聞いたら激怒すること間違いなしだろう、とシェラは場違いなことを考えて気持ちを落ち着かせていた。
「…………じゃ、ボクも、だね。アンジェラは、ボクのこと、そうなん、だね」
『お前は我に選ばれた、「タイセツ」だ。教えただろうが、それは』
「…………フォローは、いいよ。そんなに、焦って言わなくても」
『~~~~~~ッ』
二人(?)はヴェナス王国軍を無視して話しこむ。その紅竜の怒りの矛先がこちらに向いてきそうでものすごく恐怖を感じる。
「…………それに、アンジェラ。……よく、見て」
『む? ……白か。我等の管轄外だが』
今の二人(?)の会話、まったくもってちんぷんかんぷんである。頭の上に疑問符を浮かべながら、それを口に出すのは憚られた。
たった今、拾われた命を、むざむざ危険に曝そうとは思わない。
『……ふん。奴は気に喰わんが、恩を売っておくのも、悪くない』
「…………アンジェラ、ありがとう。……大好き」
『――ふん』
どうやら悪い気分ではないらしく、可愛らしく(?)鼻を鳴らした。
そして、またもシェラに意識を集中させてきた。だが、敵意などはなく、ただの視線なのだが、やはり根源的な恐怖を煽ってくる。
『おい、小娘。我等を連れていけ。興が乗れば、次も手を貸してやろう』
その言葉に、息を呑んだ。
周りの惨状を省みるに、この戦力が手を貸してくれれば――どんな戦争にも勝てるに違いない。
垂らされたのは、甘い餌。その話には、どこか、裏があるようにも思える。
だが、この惨劇。この二名がいなければ、惨劇どころではすまされなかったはずだ。だから、何かがあると分かっていても、シェラはその提案を飲むことにする。
「……用意をしろ。ウィリアム、早馬を出せ」
「はっ!」
そういえば、馬車などで行くよりも、この二名の場合は空を駆けた方が早いのではないだろうか?
「その、どうするのだ? その、大きさ」
『ふん。なめるな、小娘』
瞬間、彼女または彼の身体が、煌びやかな紅蓮の炎に呑まれる。
直後、その体は小さくなり、やがて形を成す。およそ、一六五センチ程度の二足歩行生物に。
紅竜のように紅く染まった腰まである髪の中に、二束黄金の髪を持つソレは、瞳まで紅玉のように紅く、抜群のプロポーションを誇る肢体を、真紅のドレスで覆っている。
その光景に口をポカーンと開けたまま、立ちつくす王国軍諸氏。
「下等な種族の姿を借りねばならないが……まあ、便利な面もある」
この不遜な物腰、間違いなく紅竜である。
「女ァ!?」
「五月蠅いぞ。それに、竜に明瞭とした性別などない。ヒトの種として、メスの方が優れているからにすぎん」
豊満な胸の前で腕を組みながら、そんなことを言った。
――負けた……ッ!
何がとは、言わないであげよう。ただ、少し自信のあったモノが負けるというのは、この上なく悔しいものだ。
「……アンジェラ…………綺麗」
「もっと褒めてよいぞ。悪い気はせんからな」
「……けど、その『脂肪の塊』は……いつも思うけど…………邪魔」
「ッ!?」
それはアレが大きな女性にとっては禁句だ。その上今の発言、セエレの『貧相』な身体が好き、というのを露呈させた。
「かまわん。この程度、戦闘において手枷にもならん。あと、これは女にとっては美点だと教えたはずだろう?」
「……うん。けど…………うん、はい」
アンジェラにすごまれて自粛したようだ。もちろん、無言の圧力である。常人ならばそれで気絶するレベルなのだが、二人からすれば日常もいい所のじゃれあいにすぎないのか、平然としている。
「……けど、やっぱり、動き…………はい、ごめんなさい」
やっぱり諦めきれなかったらしい。ぼそっと言っただけなのだが物凄い形相でにらまれてシュンとしてしまった。
「……名前、なに?」
「え? 私か?」
うん、と珍しく間を置かずに行った。そのことに驚きながら、シェラは、「シェラ。シェラ=アズール=ヴェナス」と言った。
すると、セエレは座ったままシェラの鎧の胸部分を指差して、
「…………あれぐらいが、ちょうどいい」
――勝った……ッ!
まあ、鎧の下にはサラシで巻き上げたそれなりの胸があるのだが。
女性的には完膚なきまでに負けている。貧乳はステータスという俗語すら生まれていないこの世界ではなおさらだ。
「…………一緒に、寝てやらぬぞ」
「…………ごめん、なさい」
そんなこんなで、仲直りは出来たらしい。この間、セエレは座ったままで顔すらも上げていない。
「さあ、連れていけ小娘。おっと、違ったな、貧乳娘」
……どうやら、気苦労がまた一つ増えるらしい。
シェラは、周りには分からないぐらい、しかしながら自分でははっきりと分かるぐらいに肩をうなだれた。