第一話:復讐
【復讐の知能、人間が今までに一番頭を働かせたのが、この部分である】
フリードリヒ・ニーチェ
王国と帝国の間に広がる平原。ジェネシス平原。
白の鎧を着た人間と黒の鎧を着た人間が、お互いを牽制するように広大な平原で対峙している。
その上空には巨大で楕円型のフォルムをした飛行艇といくつかの魔物が飛び交っている。
「第一グリフォン空撃部隊、撃墜されました!」
「第二第三部隊も時間の問題です!」
一人の女性の前にいくつもの報告が飛んでくる。その全ての報告が悪いものばかりだった。
銀髪の女性は青い瞳を宿した目を歪ませながら戦場を睨みつける。
そこでは天を駆ける、鷲の翼と頭部、獅子の体を持った魔物、グリフォンがいた。それら数十の群れが今現在、高速飛行艇に追い回されている。
「第一から第四までのペガサス空撃部隊を出せ! 出し惜しみして迎え撃てるような相手ではない! 相手はあの帝国だ!」
そのとき、彼女の視界に十ほどのグリフォン空撃部隊が飛行艇に樽型爆弾を落とすのを目撃した。
しかし、それでも彼女の訝しい顔は治らない。
樽型爆弾が楕円形の飛行艇にぶつかると凄まじい爆音を上げた。それもそうだ。対攻城用の大型の爆弾だったのだ。あらゆる対象は吹き飛ぶ――はずだった。
黒々しい爆炎が消えると、そこには少しの傷も付いていない大型飛行艇の姿があった。
「……魔術障壁か。チッ、忌々しいことこの上ない」
飛行艇の弱点と言えばその大火力と引き換えに失った速度である。一度照準を合わせられるとその巨体と艇速度の所為で攻撃が避けられない。
しかし、そんな弱点はあの魔術障壁によって尽く打ち消されていた。
飛行艇の表面に振動させる魔力の波を作り、それで衝撃を打ち消す魔術障壁。
破れないわけではない。しかし、周りを飛び交う高速飛行艇が近寄ることを許さないでいる。
今度はこちらの主力であるペガサス空撃部隊が出撃した。数はおよそ六十。彼女の国が誇る自慢の部隊だ。
彼女の国はヴェナス王国と呼ばれる古き良き大国家であった。昔からペガサスやグリフォンなどの育成で発展し、それを部隊に織り交ぜることで空中戦闘において最強と呼ばれていた時代もあった。
しかし、時代の流れは古き良きを吹き飛ばす。
ペガサスより速い速度で空中を駆け巡り、魔物を使った爆撃では考えられないような威力を誇る飛行艇。その機体には竜の紋章が彩られている。帝国の象徴だ。
最初は実用化は無理だとされていた。それには大量の浮遊石という魔石が必要でそれを採掘できる鉱脈がどの国にもバラけていたからである。
造船できたとしても一、二隻。それも時間制限付きで。それが昔からの定説であった。それに研究を傾ける者など誰もおらず、特に注目されることも無く埋もれていった。
そう、帝国以外は。
帝国は、その浮遊石の人口精製術を開発。成功。大量の浮遊石を手に入れた。
それで一気に飛行艇の量が増加。爆発的な全力増強。その一個小隊が戦地に赴けば戦争が終わるとされていた。
しかし、この数はなんだろう?
大型爆撃艇が十隻。高速飛行艇は百隻近く空を飛び交っている。
負け戦だ。
これは王国にいる民を逃がすための、いわば時間稼ぎ。
勝ちなどないし、逃げるという選択肢さえない。
彼女の名は、シェラ=アズール=ヴェナス。ヴェナス王国の第一王女だ。ドレスの様な鎧に白銀のロングソードが腰に提げられている。
別に、生贄になれと言われたわけではない。
別に、国を守れと言われたわけでもない。
別に、命が惜しくないと思うわけではない。
だけど、民を守りたいと思ったのは、事実だ。
彼女が戦場に来るだけで士気は鰻登りだった。それこそ、どんな強敵にでも勝てるかのような。歓声は怒号と化し、地響きを起こした。
だが、それだけだった。
相手は、今現在ルブルム大陸で軍事最強と言われるヴェスペリア帝国。一昔前の、時代遅れの最強が勝てる相手ではない。
(……攻めてきた理由が、これまたふざけているんだよな。たしか、『貴国の豊かな資源が云々』だったはずだ……。舐めている)
彼女は血が滲むほどに奥歯を噛みしめる。ギリリ、と歯の軋む音がわずかに響く。
だが、そんな音は戦場に響く爆音と悲鳴と怒号で簡単に掻き消された。
そんな彼女の後ろで爆音にも負けず劣らずの大声で、
「シェラ様ッ! すでに時間は十分稼ぎました! 一刻も早く離脱を!」
精悍な顔つきの浅黒い肌を持った男性。彼女を守る近衛騎士団の騎士団長、ウィリアム=シラルク。銀の短髪と浅黒い顔の肌に大きな傷を斜めに入れた強面だ。
「ダメだ。今ここで引いてしまえば前線で戦う兵士はどうなる? 『やっぱり王族は』と思うのではないか? それならばまだいい。士気が下がるのだけは避けねばならない」
そんなウィリアムの言葉に顔も向けずじっと戦場を睨みつけるシェラ。力強く握りしめた手の中には、いつのまにか白銀の剣が握られていた。
「シェラ様。あなたが今ここで死なれても、避難した民の士気が下がるのは確実。戦場にいる兵士も、王国に残した残存兵力も、僅かの希望も絶えます」
「第二王女のシルビアは賢い。私が居なくなろうと大丈夫だろうさ。それに国を継ぐのは私ではないんだ。第一王子のキリハが継ぐんだ。私が死んでも、一つの国との繋がりが途絶える程度だ」
そんなことを事務的に淡々と述べるシェラ。
それに、今回のことで飛び火を恐れた同盟国のほとんどはその同盟を取り消してしまうだろう。人徳より軍事。そんな世界だった。
そんなシェラを悲しむような眼で見つめるウィリアム。彼の着こんでいる白銀の鎧がカタカタと震えているのが聞こえた。
そして、震える声で、
「……あなたは、まるで分かってはいない。あなたの存在は、それだけではない!!」
言うが早く、ウィリアムは強靭な腕力を使ってシェラを引っ掴む。
それを見たシェラは驚きの声をあげながら、何とか抵抗しようとする。
「誰か! 一番速いペガサスを連れてこい! あと護衛に十名ほど付け!!」
陣営の中、周囲の兵士に向かって叫び散らかした。それを理解したのか、周りの兵士たちは無言で頷くと準備を進めるために散っていった。
「クソッ! ウィリアム、貴様!」
「国に戻ったなら、いくらでも罰をお受けいたしましょう。しかし、ここで死なれては、罰する罰もお出しにはなられないでしょう? ここは、どうか……どうか!!」
――生き伸びてください!
涙を讃えた顔で、彼はシェラに向けていった。
その言葉に、シェラは、何もすることができない。
少しすると、立派なペガサスが連れて来られた。ペガサスの質としては特級モノだろう。
シェラはペガサスに強引に乗せられた。しっかりと手綱を握らされる。
周りには数頭のペガサス。それに乗った近衛騎士の面々。
「ウィリアム、貴様……」
ウィリアムは、そのどれにも乗ってはいなかった。
「……なあに、ちょっと、野暮用があるのですよ」
気障ったらしい言葉を吐き、彼は剣を抜く。
そう、憤っていたのはなにもシェラだけではなかった。国を守りたいと、民を守りたいと願っていたのはシェラだけではなかった。
誰しもが、そうだった。
「いいか貴様等! シェラ様に髪の毛一筋ほどの傷を負わせれば、俺が黙っておらぬぞ!!」
ウィリアムは爆音のような叫び声を上げる。もう、聞くことはないだろう声だ。
そのことを周りの騎士たちも分かっているのか、ヘルムの上からでも分かるように、彼らは嗚咽を漏らして泣いていた。
そして、「はいッ!!」と魂の返事をする。
やがて、ペガサスたちは歩を進め出した。
後ろを振り返るシェラ。
後ろを振り返らないウィリアム。
その生き方はあまりにも対照的で、合同関係だった。
願うはただ一つ。――守る。
一陣の風が舞う。それは、戦場を駆け抜けた。
そして、守るべきものを乗せたペガサスは、静かに空へと浮かび上がった。
「ウィリアムゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!」
◆◇◆◇◆
『見つけたぞ、セーレ。帝国の傾国艦隊だ』
「…………」
その声に応えない黒いローブを身にまとった少年。そのフードの奥ではブツブツと何かを呟いているのが聞こえる。
『死ね』『殺す』『地獄に堕ちろ』と、汚い言葉を次々に並べているようだ。
そんな少年にため息をつきながら、その存在は凄まじい速度で空を駆ける。
『地上には地虫どもがうじゃうじゃいるな。……我の焔で焼きつくそうか?』
そんなことを口に魔力を込めながら言う、存在。
「……アンジェラ、勝手なこと」
これもまた、ぼそりと相手に伝える気がないかのような声で言った。
彼は背中にかけた武骨なようで繊細な一メートル五十センチほどの巨剣に手をやりながら、
「……アンジェラは、羽虫。ボクは、地虫。……いい?」
『分かったから、そう急かすな。我らの初陣だぞ? 華々しく決めようではないか』
「…………ボクは、殺せれば、いい」
また、ぼっそりと呟いた。
そんな殺気立つ少年を背中の上に乗っけたまま、アンジェラと呼ばれた存在はさらに速度を増す。
『高度を落とす必要はあるか?』
今現在、存在からしてみればかなりの低高度を飛行している。ほんの八百メートルほど上空だ。
「…………魔術で強化するから、大丈夫。……行こう」
『ふん。まったく、可愛げのない奴だ』
そういうと存在は一気に速度を増した。
そんな存在にも聞こえないような小さな声で少年は呟く。
「…………虫けらども。……磨り潰してやる」
◆◇◆◇◆
「クソ、クソッ!」
シェラは上空を飛行しながら悪態をついていた。
彼女が乗るペガサスの尻を追うように、高速飛行艇がその名の通り高速で追跡を駆けてくる。
小回りであればペガサス。速度で言えば高速飛行艇。
彼女の周囲にいた騎士たちも、ペガサスとともに撃墜されてしまった。
「私は、生きなければならないんだ、死ぬわけには、いかないんだ!」
彼女を逃がすために自ら死地へと赴いたウィリアム。
そんなウィリアムの遺志をついで、命を投げ捨ててでも彼女の盾となった騎士たち。
あの時吐いた自分の言葉がやけに卑しく思える。
自分は、自分が思っていた以上に、大切な存在だった。『死んでもどうせ』などと吐いていた自分が恥ずかしい。
色々な人に支えられてきた。色々な人に大切に思われていた。
そんな思いを自分は『どうせ』という言葉で踏みにじった。数多くの人間の思いを簡単に切り捨てた。それを、命をかけてまで、ウィリアムは自分に教えてくれたのだ。切り捨てたものをすぐさま拾って、自らの命とともに渡してくれたのだ。
「死んで、死んでたまるものか!」
ペガサスの小回りを生かしてなんとか高速飛行艇を巻こうとはしているが駄目だった。
ガゴン、と鈍い音が彼女の耳に伝わる。
少しだけ後ろを見た。
高速飛行艇の両翼に取り付けられた二つの銃口が、彼女に向けられていた。
魔導式自動充填砲。溜めこんだ魔力を直径三センチ、全長十センチほどの弾丸の形に変えて連続で射出する銃器の類だ。その威力は、厚さ五センチほどの鉄板をハチの巣にする程度。
しかし、彼女を挽肉に変えてしまうには十分な威力だった。
ポゥ、と魔力が充填される淡い光が視界の端に移る。
照準を何とか逸らせようと、上下左右あらゆる方向にペガサスを駆けさせるが、その都度照準を合わせてくる。乱暴な方法で、ペガサスも息を切らしだしていた。
彼女の運命は、きっとここで終わる。
彼女もそう思ったし、飛行艇の操縦士もそう思ったし、世界もそう思ったし、もしかしたら神もそう思ったかもしれない。
魔導式充填自動砲が唸った。
空気を食い破る音がする。それが秒間二十発ほどの連射速度で彼女を襲った。
思わず、目を瞑る。
ここまで来て、やっとのことで、彼女は死に恐怖した。いや、それは表現としては正しくない。
死後の、自分のいない世界を想像して、だ。
しかし、おかしい。いつまでたっても魔力の銃弾が彼女を襲う気配はなかった。
「…………?」
ゆっくりと目を開き、後ろを見てみる。
竜。天駆ける、天空の王者。
真っ赤な体躯は血を連想させ、怒りを連想させる。それを現したかのような暴虐極まりない棍棒のように、それでいてしなやかな無知のように伸びた尾。天を駆けるに必要な翼。
この大陸の名前の由来。ルブルム。意味するのは、紅。
紅竜。最強と呼ばれる生物の一種。
その上に立つ一つの黒。その背中には巨大な鉄の塊の様な巨剣がある。
紅竜は迷わず高速飛行艇に突っ込んだ。
瞬間、鋼鉄の機体が真っ二つに裂けた。直後に爆破。
通り過ぎた紅竜の背では、巨剣を振り抜いた黒の姿があった。
「……神か?」
否、それは紛れもない人だった。
その後、紅竜と黒は、音速に迫る速度で戦場へと向かった。
◆◇◆◇◆
決死の覚悟を決めたウィリアムが戦場へと赴こうとしたその時、一瞬だけ彼を巨大な影が覆った。
それは高速で過ぎ去ると、帝国の傾国艦隊の方へ突き進んだ。
あるものはこう呼ぶ。天駆ける天空の王者。
あるものはこう呼ぶ。災害振りまく災厄の主。
あるものはこう呼ぶ。気高き誇りの塊。
そして、あるものはこう呼ぶ。最強の生物、竜、と。
真っ赤な体から見るに、あれは紅竜。竜の中でも最高位の竜種だ。
その背中に一つの黒が乗っているのをなんとか視認できた。
直後、その黒が目測八百メートル上空から飛び降りた。
「なッ!?」
思わず声を上げるウィリアム。竜と言えば伝説の中の生物。滅多に人前に姿を現さないのだ。
それが、何故人間同士の戦場に?
近くに竜が住むとされる山などないし、怒りを買うようなことをした覚えもない。
竜一頭の戦闘力は、一国家以上である。
昔、竜の怒りを買った大国が一夜にして焼野原にされた。それを行ったのが、紅竜。気性が荒いことでも有名だ。
先程飛び降りた黒は、地面に着陸する。
いや、表現としては、着弾と言った方が正しいか。黒が飛び降りた地面が爆ぜた。その周囲にいた帝国兵が蹴散らされる。
「いったい、何者だ?」
ウィリアムは魔術を行使。鷹の目と呼ばれる遠方まで見渡せる魔術だ。
ウィリアムは黒を見る。
そして、たしかに見えた。
『……死ね』と、その唇はゆるゆると動いた。
◆◇◆◇◆
上空から飛び降りた少年は背負った巨剣に魔力を込める。ほんのりと赤みを帯びた刀身。
それを、着地とともに振り下ろす。
破壊の旋風。爆音。周囲にいた黒い鎧を着た帝国兵の一部が吹き飛ぶ。
「な、なんだァ貴様!!」
その少年を取り囲む帝国兵。目は焦燥と恐怖に彩られ、穂先の揺れる槍を少年に向けていた。
絶体絶命という言葉がよく似合う状況だが、少年にとっては、喜劇の舞台の出来上がりだ。
「……ふ、ひ、ひっは」
黒いローブの奥から笑い声が漏れだす。
悦楽。ただ、蹂躙できることへの悦び。
「ぐ、第一陣、行けェェェ!!」
人の波が、少年に突っ込む。全方位から死角なく、ありとあらゆる武器が少年を襲った。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!! ――こんにちは、さようなら」
そう呟くと、死角なき人の波の一角が吹き飛ぶ。
そして、死の旋風が吹き荒れた。
少年が一メートル五十センチ、厚さ三十センチほどの巨剣を軽々と振り回す。防御のための鎧はバターのように切断され、人の山は軽々と削り取られていく。
剣で受け止めてもそのまま押し切られ、逃げようにも風よりも速く追ってくる。
そしてなにより、上空には竜が居た。高速飛行艇の後ろを軽々と追い回し、捉え、爆撃艇にそのまま投げつける。
たったそれだけのことで、帝国が誇る傾国艦隊が羽虫のように落ちていく。
「第一魔術師団、砲撃準備開始!!」
そんな彼らの後ろで指揮官の男が命令を下す。
そうして、杖や本などを持った魔術師が大量に現れる。そして大小様々な魔法陣が宙に大地に刻み込まれた。
そして、理解した。
「ま、待て! 俺たちはまだ撤退してなッ!?」
前衛の敵兵ごと、魔術師たちが放った紅いレーザーの様なものが貫いた。
一直線に少年のもとへと向かう。ドドド! と何かにぶつかる音がした。土煙を舞い上げ、味方の兵士ごと吹き飛ばす。
阿鼻叫喚の渦が巻き起こる。帝国兵たちはのたうちまわり、絶命するものまでいた。
しかし、これで終わりのはずだった。
土煙が風に乗せてどこかへと吹き飛ぶ。
そこには、一本の巨剣が地面に深々と突き刺さっていた。まるで傷一つつかず。
少年の姿は、無かった。当たり前だ、城壁を粉々に吹き飛ばす術式だったのだから。肉片一つでも残っていればいい方。
指揮官は安心したのだろう。胸を撫で下ろす。戦場とはイレギュラーがつきものだが、それでも今回はかなりの異常事態だった。あの光景を見たものは大勢いただろうし、指揮官が下した命令は間違いではなかったという者もいるだろう。
指揮官は巨剣を見やる。
そうだ、あれを持って帰ればより信憑性は高まる、と。
「…………トベ」
一瞬、何が起こったのか分からない。
信じられないことに、剣が魔術を放ってきた。それも大魔術クラスのだ。それは爆炎と化し、魔術師団を次々と襲う。
小さな魔術障壁を展開する者もいたが、そんなことは関係ないと言わんばかりに喰らい尽くし焼き尽くす。
巨剣を今一度見やる。
そこには、少年の姿がある。巨剣に背を預けて、大魔術を連続で行使してくる化物の姿がある。
大地は消し飛び、大気を焼き尽くす炎の魔術が雨のように帝国兵に降り注いだ。
指揮官は、思ったという。
敵に、回してはいけなかった、と。
そんな彼のもとにも炎が降り注いだ。
通り過ぎた後には、灰すら残らなかった。
◆◇◆◇◆
『魔術障壁か。くだらん紙で覆って、何をそんなにいきがるのか』
アンジェラと呼ばれた紅竜は口に魔力を込める。見る者が見れば失神でもしただろう。
古代魔術クラスの炎が、一瞬で山を吹き飛ばす炎が、牙がずらりと居並ぶ口に収束していった。
紅竜は大きく仰け反る。そして、ソレを爆撃艇に向けて吐きだした。
民家ほどの高圧縮された火球が爆撃艇を襲う。魔術障壁をまるで紙屑のように溶かし、突き破り、激突した。
爆炎が吹き荒れる。そして、一撃のもとに爆撃艇を撃ち落とした。
そんな紅竜の後ろから攻撃を仕掛けてきた高速飛行艇の魔導式自動充填砲がその弾丸を連射する。音速を越える勢いで殺到したそれらは、見間違いなく全て紅竜に直撃した。
しかし、竜は未だ空に飛翔していた。
『ふむ。むず痒いな』
その直撃を受けながら、紅竜は平然としている。
その鱗、鉄壁よりも硬く、その魔術障壁、人間ごときが打ち破れるものではない。
そのまま紅竜のもとに突っ込んできた高速飛行艇を、棍棒のような鞭のような尾で打ち据えた。それだけで、高速飛行艇の機体はバラバラに吹きとび、爆砕する。
『……ふん。羽虫など、いくら集まろうが羽虫だ』
また、一方的な破壊が始まった。
残存兵力はあと僅か。もとあった兵力の七割を消失させながら、帝国軍は退けない。
退いても、どうせ碌な生活は待っていないからだ。帝国の女王は、敗北を許さない。勝ち以外は認めない。敗走しようとも、捨て駒のように扱われて、奴隷のようにこき使われるに決まっている。
指揮官を失くした今でも、彼らは少年に攻撃を仕掛ける。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ!!」
狂乱するように、少年は大魔術を放ってくる。一発で宮廷魔術師が魔力を失いそうな大魔術を悪夢のように連射してくる。
それが着弾するたびに帝国兵は吹き飛ばされ、大地は抉り取られる。このあたりの平坦とした地形が、すっかりと窪地に変わってしまった。
それでも、少年は魔術の行使をやめない。
止まない炎の雨に、更に血は流れていく。
残り兵力は一割。それでも、逃げることは、許されなかった。
空の傾国艦隊も最初の威光を一割も留めてはいない。
大型爆撃艇は火を噴きながら撤退し、空を飛びまわる高速飛行艇は一〇機にも満たない。
それを追いかける紅い影。高速飛行艇の後ろを軽々と追い回し、嬲るように撃墜していく。
魔導式自動充填砲の魔力弾丸でさえ、彼の者の鱗を打ち抜くことはかなわない。
せせら笑うように尻尾で、牙で、火球で、ときにはそのまま突っ込んできて、飛行艇を蹂躙していく。
極めつけは、大型爆撃艇を一撃で撃ち滅ぼした火球の連射。山をも吹き飛ばす火球が雨のように大型爆撃艇に浴びせかけられた。
そんな彼らを遠巻きに見つめるヴェナス王国騎士団長、ウィリアム=シラルク。そして第一王女、シェラ=アズール=ヴェナス。
二人は、その光景を呆然と眺めているしかなかった。
「ウィ、ウィリアム……これは、どういった状況なの?」
震える声で、ウィリアムに尋ねる。
「シェ、シェラ様は、何故お戻りになられたのですか……こ、ここは、戦場ですぞ」
「既に、戦場じゃ、なくなったじゃないの……」
今まで自軍を苦しめていた傾国艦隊が、羽虫のように撃墜されていく。
それを行う紅竜の姿。
帝国の魔術師団が地虫を吹き飛ばすように薙ぎ払われた。
それを行う黒い人物。
やがて、傾国艦隊の一部が撤退を始めた。しかし、それを追いかける紅き竜の姿。いかんせん、数が多いのか、その場では撃墜出来ずに後ろを追って行く。それでも、全て撃墜するのだろう。
残された黒い人物は、周りの帝国兵を全て薙ぎ倒すと、何事も無かったかのようにその巨剣を背もたれにして座りこんだ。
そして、シェラは、
「……礼を言いに行くわよ」
戦争に勝利した悦びを表に出すことなく、ただ事務的に言った。
それに驚きの表情を隠せないウィリアム。
「何故ですか!? アレは、たしかに我が軍を勝利へと導きました。ですが、見たでしょう? 嗤いながら、人を殺せるような奴なのですぞ!」
「……では、自国を救ってくれた英雄に対してなんの謝礼もない屑な国だと、貴様は言うのだな?」
それを聞いてウィリアムは押し黙った。
彼女とて分かってはいる。あの黒い人物は危険人物であると。
そしてなにより、あの紅い竜。今はいないが、戻ってきたら暇つぶし程度に自軍が壊滅させられる可能性だってある。
それでも、彼女は言う。
「行くぞ。英雄のところへ」