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誘惑に誘われて

作者: 月兎

 私の近所には、世間一般で言う"秀才"がいました。大人受けがよく、同年代にも好かれるという、非の打ち所がない少年でした。家も別に貧しくなく、人柄もいいです。


 そんな彼と私は幼馴染として育ちました。いえ、彼のほうが年上でしたので兄弟のように、でしょうか。


 人間とは比べる生き物です。もちろん私もよく彼と比べられました。私は彼のように"秀才"でも、ましてや"天才"なんかではないただの"凡人"でした。


 だからいつも私は彼よりも劣っているということを、大人たちの手によって思い知らされながら生きてきました。


 だから私は大人が嫌いでした。私にそんな思いをさせる彼も少し嫌いでした。でもそれ以上に彼のことは尊敬していました。そして、そんな尊敬する彼にそんな念を抱いてしまう自分が嫌いでした。


 大人たちの中でも特に母が嫌いでした。母はいわゆる水商売というものをし、女手ひとつで私を育ててきました。そのことには感謝の念を覚えます。しかし、母はよく酔っ払って帰ってきては私にあたりました。他人である彼のことを褒め称え、自分の娘である私のことを貶しました。


 それでも、私は周りの大人たちや母や彼とある程度の距離を置いて付き合っていました。大人への不満を自分の中へ押し込め、愛想よく微笑いながら生きてきました。


 しかし、それにも限界が訪れました。


 この日、母はいつもより荒れていました。きっと店で何か気に入らない事があったのでしょう。いつものように私にあたりました。しかし、先ほども言ったとおり、この日の母はいつもより荒れていました。なので、いつもは発しないような言葉が母の口から漏れました。


 その言葉を聞いてから私の記憶は少しはっきりしません。気がついたら玄関から飛び出し、走り出していました。手にはいつもの鞄を掴んで。




 「そして、気がついたらこの公園へたどり着いたというわけかね」


 「えぇ。それにしても何で私は見ず知らずの貴方にこんな事を話しているんでしょうね」


 不思議そうに少女は首をかしげた。少女の質問に、正面に立つ紳士のような風貌をした男が答えた。


 「それは私が他人だからではないかね?」


 「そうかも、しれませんね。知らない人だからこそ話しても私に何の影響がない」


 「それで、君は何を言われたのだね?あぁ、言いづらいというなら無理をしなくても良いんだよ。ただの好奇心だからね」


 「何であんたは何も出来ないのよ。少しはあの子を見習いなさい。あの子はあんたと違って何でも出来る。あぁ、あの子の母親になりたかったわ。あんたみたいな役立たず、ただの金食い虫だもの。育ててやっている恩を忘れたの?あぁ、あんたみたいな子、生むんじゃなかったわ」


 少女は一息に言い切った。穢れたものを吐き出すかのように一息に言い切った。


 「だが君の母親は酔っ払っていたのだろう?」


 「酔っているからこその本音ですよ」


 「ふむ、実に興味深いね君は」


 少女の返答に、男は目を細め言った。


 少女は座っていたベンチから立ち上がり、鞄に手をかけた。


 「おや、もう行くのかね」


 「はい。いつまでここにいたってどうにもなりませんし」


 「行くあてなどはあるのかね?」


 「別にありませんよ、そんなもの。でも、生きていくだけなら出来るますよ、きっと」


 少女の言葉に男は興味深い、と再び繰り返した。そして、少女へと手を差し伸べた。男の意図がつかめず、少女は首を訝しげに首を傾げた。


 「どういうつもりですか?」


 「なに、君に興味がわいてね。私と一緒に来ないかね。衣食住とまでは行かないが、衣と食は保障しよう。まぁ、私の性は流浪、放浪の旅に身を置くものだから平穏は望めないと思うがね」


 男の言葉を聞き、少女は少し考えて言った。


 「貴方は何なの?悪魔かなにかかしら」


 「何故そう思うのだい?ただどこにでもいる善良な一市民かもしれない」


 「何故かはよくわからないけど、何故だかそう思うの」


 「ふむ、ではこれはさしずめ悪魔の誘惑ということになるわけだ」


 そして男は、再度少女に向かって手を差し伸べた。そして少女は




 「…姉ちゃん?姉ちゃんったら!そしてその少女はどうしたの?男の手を取ったの?」


 「あ、ごめんごめん。ちょっとぼぉーとしちゃってたね」


 少年に揺すられて娘は呆けていた状態から戻った。少年はもー、と口を尖らせた。別な少女が話の続きを娘にせがんだ。


 するとそのとき、おもむろに娘が公園の出入り口の方をむいた。


 「姉ちゃん?」


 「ごめんね、お迎えが来ちゃったみたい」


 「えー、お話の続きはー?」


 「そうだなー、明日、まだ私がいたらここに来てお話の続きをしてあげる」


 「絶対だからね。約束だよ」


 「うーん、約束は出来ないかなぁ」


 そういって娘は苦笑いをした。娘のその言葉に、子供たちは口を尖らせた。そのまま娘はついつい約束をさせられてしまった。


 「じゃぁね。バイバイ」


 「ばいばーい!」


 娘が公園を出て少し歩いていると、いつのまにか紳士のような男が隣に並んだ。


 「ねぇ、この町にもう1日滞在できる?」


 「何故だね?先ほどの子供たちに何か約束でもさせられたのかね」


 「聞いてたの?」


 娘が聞くと、男は唇をほころばせて答えた。


 「いいや。君は優しいからね。さて、では宿へ帰ろうか」


 そういって男は娘に手を差し出した。娘は、躊躇うことなく男の手を取って微笑んだ。

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