第3話 雨音のあとに残ったもの
猫は、私の言葉を待たなかった。
——にゃあ。
それだけ鳴くと、金色の瞳を細めて、尻尾を一度だけ揺らす。
次の瞬間。
猫の身体が、雨粒みたいにほどけた。
毛並みが光に変わり、輪郭が崩れ、音もなく空気に溶けていく。
まるで、最初からそこに「形」がなかったみたいに。
「……ちょ、ちょっと」
慌てて声をかけたけれど、返事はない。
窓辺には、雨音だけが残っていた。
私はしばらく、その場から動けなかった。
説明も、警告も、優しさもない。
置いていかれた、という感覚だけが胸に残る。
……なのに。
不意に、視界の端が歪んだ。
——ピリン。
ガラスがはじけるような音がして、目の前に半透明の枠が浮かび上がる。
「……なに、これ」
枠の中には、文字。
【固有能力が付与されました】
能力名:雨聴
効果:雨に関する情報を知覚・解析する
制限:雨天時のみ有効
文字を読み終えた瞬間、世界が変わった。
雨音が、ただの音じゃなくなる。
屋根を打つ粒の重さ。
空気に含まれる湿度。
遠くで降っている雨の量。
それらが、感覚じゃなく、理解として頭に流れ込んでくる。
「……わかる」
今、外では小雨。
でも東の方角、少し離れた場所では、もっと強く降っている。
理由も、根拠もないのに、確信できた。
私は思わず、自分の手を見つめる。
昨日までは、なかった感覚。
努力でも、経験でも得られなかったもの。
——能力。
その言葉が、静かに胸に落ちた。
猫は何も説明しなかった。
でも、これだけははっきりしている。
あれは、置き土産だ。
雨音が、また一定のリズムに戻る。
私は深く息を吸って、呟いた。
「……じゃあ、行こうか」
誰に言うでもなく。
雨の世界に、踏み出すために。




