第20話 どちらの雨か
雨は、夜になってから来た。
最初は、気配だけ。
風が止み、空気が重くなる。
私は、眠れないまま起きていた。
耳を澄まさなくても、分かる。
——**二つ、ある**。
街の上に溜まる雨。
谷の奥で、戻りきらない雨。
どちらも、限界だった。
「……来るね」
隣で、マレナが言う。
灯りの下、彼女は外套を羽織っていた。
もう、察している。
私は、ゆっくり頷いた。
「両方は……」
「無理かい」
「……はい」
言葉にした瞬間、
胸の奥で何かが、きしんだ。
雨を聞く。
——守って。
——戻して。
街は、声が多い。
人の生活が、重なっている。
——ここに、溜まりすぎ。
——また、壊れる。
谷は、低くて、重い。
土と水だけの声。
私は、羽根を握った。
……反応が、弱い。
共鳴しない。
いや、**譲ろうとしている**。
「……選べ、ってことですか」
誰に向けた言葉か、分からない。
その時。
屋根の上を、軽い音が走った。
とん、と。
視線を上げる。
白い影。
猫だった。
雨に濡れないまま、
屋根の縁に座っている。
こちらを見るだけ。
何も言わない。
目を逸らさない。
——見届ける。
私は、息を吸った。
「街を守れば」
言葉が、震える。
「谷が、壊れます」
「谷を通せば」
続けるのが、つらい。
「街が……」
マレナは、黙って聞いていた。
そして、静かに言う。
「街には、人が多い」
「……はい」
「谷には、少ない」
「……はい」
数字の話。
正しさの話。
でも。
雨は、数を知らない。
ただ、行き場を求めている。
私は、目を閉じた。
——聞くだけ。
——返事は、しない。
そう、決めたはずなのに。
この夜は、違った。
**どちらにも、行き場がない。**
なら。
私は、答えを出さずに、
**時間を作る**。
「……少しだけ」
目を開ける。
「街の雨を、散らします」
マレナが、目を細めた。
「止めるんじゃない」
「はい」
「遅らせるだけです」
雨を、細かく。
屋根から屋根へ。
流れを、割る。
完全には、防げない。
でも——
谷へ一気に行く前に、
**間を作れる**。
私は、耳を澄ました。
返事は、しない。
ただ、道を増やす。
雨は、戸惑いながらも、
ゆっくりと動き出す。
ざあ、という音が、
ばらばらになる。
その瞬間。
羽根が、静かに冷えた。
役目を、果たしたみたいに。
猫が、立ち上がる。
一度だけ、尻尾を振って。
そして——
夜に溶けた。
雨は、降り続ける。
被害は、出る。
でも。
壊滅ではない。
どちらも。
私は、立っていられなくなり、
その場に座り込んだ。
「……正解じゃ、ないですね」
マレナは、そっと肩に手を置く。
「でも」
静かな声。
「逃げなかった」
それだけで、十分だった。
遠くで、雷が鳴る。
雨は、まだ降っている。
でも——
世界は、私に決断を奪われていない。
私は、ただ。
**雨が選ぶ時間を、稼いだだけ**だ。




