芸術を学んでいる全ての人へ
正直に言えば、音楽理論を学び始めた頃、私は急に作曲が出来なくなった。
それまでの私は、何の躊躇もなく作っていた。
感覚だけを頼りに、鳴らしたい音を鳴らし、ただ面白がって重ねていく。
そこには不安も、判断も、比較もなかった。
「自分の曲が好きだから作る」という、当たり前の理由だけで十分だった。
しかし理論を覚えはじめると、頭の中に小さな警告の声が増えていった。
「ここは解決しなくてはいけない」
「このコードでは不自然だ」
「こういう構成を取るのはルール違反だ」
そんな声が、毎回の制作に割り込んでくるようになった。
気付けば私は、完成しそうな曲を前にしても、必ずどこかに“間違い”を探していた。
ギターを入れたとき、その質感がリアルでなければ「この音は駄目だ」と決めつけた。
バイオリンのフレーズが既存の楽曲と似ていなければ、それは正解ではない気がして削除した。
自分が作った音が自分の中の基準から外れただけで、なぜか作品ごと断罪してしまうのだった。
リファレンス元の曲に似ていなければ未完成。
ジャンルの特徴を守れなければ価値がない。
そんな考えが、私の楽しさを少しずつ奪っていった。
「完璧主義さえ直せたら、もっと作曲が楽になるよ」
ある日、そう言われたことがある。
分かっていた。
自分でも、そうかもしれないと感じていた。
だけど、完璧を求める癖は、止めようと思って止まるものではなかった。
完璧でありたいという気持ちは、いつの間にか自分の自尊心みたいなものに変わっていたし、「こうでなければいけない」という意地になっていた。
しかしある時、私は本当に疲れきっていた。
頭の中で理論がうるさく叫ぶせいで、どの音も否定されるような気がしていたし、作れば作るほど自信が削れていくように感じていた。
だから、ふとした瞬間、私はその完璧主義をやめてみることにした。
何かの悟りでもなく、本心から吹っ切れたわけでもない。
ただもう嫌になっていた。
それだけだった。
そして私は、意図的に理論を無視した。
守らなくてもいいところだけ、すべてスルーしてみた。
コード進行はジャンルに合わせる。
ドラムパターンは最低限の形式を守る。
ベースラインは土台だから崩さない。
だけど、上物だけは好きにしてみた。
シンセサイザーの音色を、理屈でなく感覚で選ぶ。
ストリングスのラインを、不自然でもいいから感情のまま追わせる。
その瞬間、私は久しぶりに音を“生きもの”のように扱えた気がした。
結果、出来上がった曲は、理論的には穴だらけだったかもしれない。
けれど、私はその曲が好きだった。
理屈ではなく、ただ音楽を楽しいと思えた頃の自分と少しだけ再会したような気がした。
守るべきところは守る。
守らなくても何とかなるところは気にしない。
その境界線を自分で選んでいいのだと、初めて思った。
きっと私は長い間、「型を知ること」がゴールだと思い込んでいたのだと思う。
けれど本当は、理論は形そのものを強制するためではなく、形を超えるためにあるのだ。
理屈で固めた音だけが正解ではないし、感覚だけで進んだ音だけが自由というわけでもない。
その間には、本当はもっと大きな余白があった。
守る部分は守る。
守らなくても良いところは気にしない。
その単純な線引きを、自分の手で決められるということに気づいた時、私はやっと音楽と向き合えた気がする。
そして気づけば、理論に縛られたはずの自分が、いつの間にか理論を利用していた。
それは私にとって初めての感覚だった。
自由であることを思い出すために、理論が役立つ日が来るとは思っていなかった。
今になってようやくそう思える。
その瞬間、私は初めて「型無し」から「型破り」になれた気がしている。




