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* クラリッサの異変 *

初めはそんなハイテンションぶりに呆れつつも、どこか微笑ましさすら感じていたミサコだったが――


(……あれ? なんか、最近ちょっと変?)


興奮していた日々の勢いが、少しずつ落ちてきている気がする。


気になって、ミサコは意識を外に向け、クラリッサの視界と感覚に集中する。

すると、ちょうど廊下を歩いていたクラリッサの視界の先に、レオの姿があった。


彼の周囲には、見目麗しい令嬢たちが何人も集まり、キャッキャと笑い声を響かせている。

レオはそれに嫌な顔ひとつせず、むしろにこやかに受け答えしていた。


(うわぁ……さすが王子サマ。あれだけの令嬢に囲まれても、ちゃんと笑顔で対応できるんだ……。やっぱり人気あるんだなあ……)


――その時だった。

ふと、ミサコの中に、クラリッサの元気がなかった理由がすっと浮かんだ気がした。


(……そうか。もしかして、これって……)


レオの周囲には、毎日のように新しい令嬢が現れ、その中には高貴な家柄の娘も多い。

いずれは、その誰かが彼の婚約者として選ばれる――

それを考えると、クラリッサの胸の中に、焦りや不安が生まれるのも無理はない。


(……こんなに強く想ってるのに、なんでアプローチしないんだろう?)


ミサコには、それが不思議でならなかった。

彼女は、思ったことはちゃんと伝える。腹を割って話し合い、誤解も遠慮もせず、まっすぐに向き合う性格だった。

だからこそ、クラリッサのように、自分の気持ちを飲み込んで、遠くから見つめるだけの姿が、少しもどかしかった。


でも――


クラリッサは極度の人見知りだった。

家族や使用人には心を許しているが、初対面の相手にはひどく緊張し、うまく言葉を交わせない。

レオのことを強く思っているのに、真正面から話しかけるなんて、きっとできるはずもなかった。


(まあ、そういう子なんだよね。こういうのも、優しさなのかも)


誰かの邪魔をしたり、嫉妬心をむき出しにして攻撃的になることもない。

クラリッサは、ただ遠くからそっと見つめるだけだった。

その控えめさに、ミサコはある種の安心を覚えていた。


――が。


ある日、クラリッサがふと視線を向けたのは、レオと談笑しているひとりの令嬢だった。

艶やかな黒髪を丁寧に編み上げ、立ち居振る舞いに一分の隙もない。上品でありながら気取らず、話す声にも落ち着いた知性が滲んでいる。

何より、その笑顔。媚びるでもなく、無理に距離を詰めるでもない、自然体の穏やかな表情だった。


(……え、なにこの子。明らかに、他の令嬢たちとは格が違う)


ミサコは思わず感心してしまった。

煌びやかに着飾ってレオにすり寄る子たちとは違う。

この令嬢には、控えめな中に確かな自信があった。磨かれた教養と育ちの良さが、その所作からあふれていた。


(へえ……レオ様、ああいうタイプとも親しく話すんだ。さすが王子サマ、懐が広いわね)


ミサコが静かに感心していると、クラリッサの中でふっと何かが変わる。

わずかな魔力の流れ。空気の中に漂う、冷たい緊張感――


(え? ちょっと待って……今、魔法?)


――そしてその瞬間、事件は起こった。


「きゃっ!」


と、あの令嬢の悲鳴が響いた。

スカートの裾が風にあおられ、バランスを崩してレオから一歩離れる格好になる。

どうやら、足元に敷かれていた絨毯の端がめくれ上がり、彼女のヒールが引っかかったようだった。


(……え……今の……なに?)


ミサコの心がざわつく。

確かに、誰が見ても“ただの偶然”にしか見えない。けれど、クラリッサの中にいるミサコにははっきりわかる。

今の絨毯のめくれ、風の流れ、すべてが意図的な魔法によるものだ。


(ちょっと待って、クラリッサ……あなた、何してるの!?)


一つひとつの所作に、ためらいは感じられなかった。

ただ静かに、いつものように視線を向けたまま、そこに佇んでいるだけ――

その立ち姿に、不自然な力みもなければ、何かをしたという後ろめたさも一切ない。


(うそでしょ……! あの令嬢が、レオ様に近づこうとしたからって、そんな……!)


まさかと思っていたことが、確信に変わる。

クラリッサは、自分以外の誰かがレオに接近するのを、心の底では許せなかった。

そして、その気持ちはついに行動へと形を変えた。


(私、ついに見ちゃったんだ……クラリッサが、本気で「邪魔」をした瞬間を)


心の中でずっと思っていた。

クラリッサはあくまで一途に、遠くから見つめているだけの子だと。


(……でも、違った)


静かで、穏やかで、健気なだけじゃない。

彼女の想いは、もうずっと前から限界に達していたのだ。


(こんなに強く思っているなら……どうして正面から向き合わないの? いくら人見知りだからって――こんなやり方は、違うよ。卑怯だよ……)


ミサコの胸に、不安と焦りがじわりと広がる。

まっすぐになれない彼女の弱さが、これからどう変わっていくのか――それが、怖かった。


(クラリッサ……あなた、本当に……どこまで、行くつもりなの?)



* * *



それからというもの――クラリッサの“妨害”は、密かに続いていた。

けれど、それは誰彼かまわずというわけではなかった。


彼女の標的は、ただ一人。

マルグリットという、気品と知性を兼ね備えた美貌の令嬢だった。


クラリッサの中にいるミサコには、分かる。

絨毯の端がわずかに浮くタイミング、風の流れ、ドアの軋み――

それら全てが、魔法によって巧妙に仕組まれていることが。


(……狙ってる。完全に狙ってやってる)


そう確信せざるを得ない繊細さで、クラリッサの妨害は行われていた。


その日もまた、中庭でレオとマルグリットが並んで談笑していた。

ミサコは何気なく意識を向ける。


マルグリットは優雅に微笑み、言葉を丁寧に紡ぎながらレオに話しかけている。

その物腰、言葉選び、所作の一つひとつが洗練されていて、周囲の誰よりも完成度が高い。

まさに“王子の隣にふさわしい”と、誰もが認めるような女性だった。


だが――

ミサコはその光景に、どこか引っかかるものを感じた。

仕草も言葉も完璧なのに、心がすっと冷えるような、説明のつかない違和感。

それが何なのか考えていた、そのとき――


ふいにマルグリットの足元で、絨毯の端がめくれ上がった。

彼女はバランスを崩し、思わず一歩引いた。


「……っ!」


小さな出来事。けれど、会話の流れはそこで不自然に途切れる。


(……クラリッサ……)


ミサコの背筋に、冷たいものが這い上がった。


初めて彼女を“遠ざけた”あの時から、何も変わっていない。

クラリッサは、今も――マルグリットだけを、確実に狙っていた。


ミサコの心は、痛んでいた。


(やめてよ……こんなこと、クラリッサに似合わない……)


初めて彼女の意識の中に入ったあの朝、ミサコは彼女のストーカーじみた行動に辟易していた。

人の目を盗み、夜な夜な屋敷を抜け出しては、遠くからレオをじっと見つめる姿――あれは決して正当化できるものじゃない。


――だけど、それでも。

“ただ見守るだけ”の彼女の姿に、ミサコは少なからず心を動かされていた。


好きという気持ちを押しつけず、ただ静かに見ていた彼女のことを、少しずつ、理解しようとしていたのだ。


――だが。


(どうして、こんなことまで……)


“見守るだけの優しさ”は、どこへ行ってしまったのか。


もし、この身体から出て、クラリッサの目の前に姿を見せることができたら。

ミサコは、迷いなく言葉をぶつけるだろう。

叱るつもりなんてない。ただ、彼女に気づいてほしいのだ。


――あなたが、何をしてしまっているのかを。


だが現実は、ただ沈黙の中で彼女を見ていることしかできない。もどかしさが、胸に積もる。


クラリッサは相変わらず、レオの観察を欠かさない。観察日記のページは、着実に増え続けている。だが、最近の記録には、かの令嬢の名も、妨害の影もない。


あるのは、ただ――


『最近のレオ様は、お顔色が優れないご様子』


そんな一文。


レオのあの様子から見て、きっとマルグリットのことが好きなのだろう。

だから、クラリッサの妨害に心を痛めているに違いない。


それなのに、クラリッサは原因が自分にあるとは思っていないようだった。ただ心から、レオを案じていた。


以前のように元気を取り戻してほしい。その一心で、あれこれと考えている。

けれど、そのどれもが、見当違いで、ミサコには切なかった。


(それじゃダメなんだよ、クラリッサ……あなたが、レオを苦しめてるの)


けれど、その言葉も、声にならない。


ただ、静かに、沈黙のまま。

ミサコは、彼女とレオのすれ違いを見つめていた。


言葉にできない感情が、ミサコの中に降り積もっていく。


クラリッサがどんな気持ちでレオを想っているのか、少しずつ理解してきたつもりだった。

だからこそ――

その想いが、こういう形でしか動けないことが、悲しかった。



* * *



まだ日が高く昇りきらない午前のことだった。

レオは講義の前に、いつものように図書館で本を読みふけっていた。

一冊を閉じ、軽く息をついて立ち上がった彼は、そのまま静かな廊下を歩き、教室に戻ろうとしていたが——


「……っ」


ほんのわずかに足をもつれさせ、壁に手をついたその瞬間、全身から力が抜けるように膝をついた。

顔色は優れず、意識はあるものの、明らかに身体の状態は万全ではない。

近くを通りかかった教師に気づかれ、すぐに療養室へと運ばれていった。


この一部始終を、クラリッサは物陰からじっと見つめていた。

声をかけることもせず、ただ静かに、その姿を目に焼きつけるように。



* * *


講義が始まる少し前、教室はまだ静けさに包まれていた。

クラリッサは席についたまま、膝の上で両手を組み、じっと俯いている。


だが、その視線の先にあるのは、自分の足元――教室の床だった。

集中するように、その一点を見つめる。


すると床の材質がじわりと透け、まるで水面を通して見るように、その下の階――療養室の光景が浮かび上がってきた。


視界に映ったのは、薄暗い部屋の中、ベッドに横たわる一人の青年――


(レオ様……)


思わず胸がざわついた。

彼は寝かされていて、額には布。表情は少し青白く、見るからに体調を崩している。


看護師らしき人物が椅子に座っていて、静かに様子を見ているようだった。

彼の息は浅く、時折身体が小さく揺れていた。


疲労の色濃い顔を見つめながら、心の中で声をかける。


(無理、してたのかな……クラリッサが心配していた事は本当だったんだね……)


ミサコには分からないレオのわずかな変化。

クラリッサは見事に見抜いていた。


その時――

療養室の扉がゆっくりと開いた。


(……誰?)


すらりとしたシルエットが、差し込む光の中に浮かび上がる。

ゆったりとした足取りで入ってきたのは、マルグリットだった。


彼女の姿を認めて、看護師が静かに立ち上がる。

どこか張り詰めたような気配をまといながらも、うっすらと微笑み一礼する。


唇が動く。何かを告げたらしいが、声は聞こえない。

ただの所作と仕草から、レオの居場所を伝えているのが分かった。


それだけを伝えると、看護師は部屋を後にする。

扉が閉まり、やがて、療養室には、マルグリットとレオの二人だけが残された。


(……どうやら、レオ様を心配して来たみたいだね)


彼女はゆったりと歩み寄り、ベッドの脇に腰を下ろした。

その手には、小さなガラス瓶――何か薬のようなものが握られている。


マルグリットは迷いのない動作で、それをレオの唇にあてがい、静かに傾けた。


レオの喉がわずかに動く。

目を閉じたまま、微かに息をしていた彼のまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。


(……レオ様……目を覚ました?)


マルグリットは何かを語りかけているようだった。笑みを浮かべながら、彼の髪に手を伸ばし、優しく撫でる。


(薬……? レオ様の体を気づかって、持ってきたのかな……?)


そう思っていた次の瞬間――


レオがわずかに眉をひそめ、そっと顔をそむけた。

まるで彼女の手を振り払うかのように。


(……え?)


マルグリットは何事もなかったかのように微笑を浮かべ、再び彼の髪に手を添える。

レオのまぶたはうっすらと開いているが、焦点は定まらず、どこか虚ろだった。


彼の喉が微かに動く。言葉を発しようとしているようにも見える。

そして再び、レオの手が動いた。

今度は――マルグリットの手を振り払おうとするように、微かに動きを見せた。


だがその動きはあまりに弱く、力の抜けた指先が空を切るだけに終わる。


(やっぱり……おかしい。もしかして、抵抗してる……?)


ぞわり、と背筋を冷たいものが這う。


マルグリットは、ゆっくりとその手を握り、布団の上に彼の手を押し付けるように固定した。

そして、ゆっくりとレオの顔へと身を寄せていく――


(――!)


――次の瞬間、視界がぶれた。


クラリッサの体が立ち上がり、私の意志ではない速さで教室を飛び出していく。

風が制服をはらませ、音の鳴らない石造りの床を強く蹴った。


(走ってる……!? どこへ――)


言うまでもなかった。

まっすぐに向かっていたのは、さっきまで視界に映っていた――療養室。


クラリッサの体が飛び込むように扉を押し開けると、まさにその瞬間、マルグリットがレオに唇を重ねようとしていた。


「っ……!」


マルグリットがギクリと身体を引き、振り返る。


次の瞬間――


ドンッ、という音とともに、風のような衝撃が部屋に満ちる。

まるで透明な壁が爆ぜたように、レオとマルグリットの身体が、ぱっと距離を取るように弾かれた。


「――っ!?」


マルグリットが顔を上げ、瞳を見開く。レオは目を虚ろにし、荒い息を漏らしている。。

再びクラリッサが何かを唱えると、彼の体が弱く光り、すぐに消えた。


(な、何、今の……!?)


ミサコの背筋にぞくりとした冷たい感覚が走る。クラリッサがマルグリットに放った魔法は、いつもよりも明らかに強力だった。

しかし、その直後、レオの容体が落ち着き、顔色が少しだけよくなったことに気づき、ミサコの胸にはふと疑問がわいた。


(え……もしかして、クラリッサは、レオ様を助けに来たの……?)


マルグリットはふらつきながら身を起こし、クラリッサをじっと見据えた。


「……なるほど。そういうこと、でしたのね」


声が、低く、冷たく響く。クラリッサの姿を真正面から見据え、マルグリットは吐き捨てるように続けた。


「レオ様とご一緒のときに、いつも妙なことが起こっていた……おかしいとは思っていましたの。でも、まさかあなたの仕業だったなんて」


クラリッサは無言のまま動かない。ミサコもまた、言葉を飲み込むしかなかった。


「今は講義の時間のはずですわ。そんな時に、こんな場所へ来るなんておかしいですわね。――それに、あなた……とても具合が悪いようには見えませんわ」


睨みつけながら、マルグリットは一歩前へと詰め寄る。


「ここにいる理由を、聞いてもよろしくて? ……まさか、ずっとこちらを見ていたなんてことはありませんわよね?」


沈黙。けれど、その問いには、答えなど不要だった。

クラリッサの胸の上下する動きが、明らかに息を乱していることを物語っていた。


(……ヤバい……これ、完全に……!)


ミサコの心がざわつく中、クラリッサはどこか挙動不審で――

それが何よりも、答え以上の“証明”になってしまっていた。


「……エルフェリア……嬢」


レオは、まだ額に汗を滲ませながらも、苦しげに上半身を起こした。

彼の視線が、真っすぐクラリッサに向けられる。


「……君が、俺のことを、ずっと見ていたのは、知っている」


クラリッサの肩がぴくりと揺れた。ミサコはその言葉の重さに、心臓を掴まれたような気持ちになる。


「頼む……もう、やめてくれ」


低く静かな声音――だが、その言葉は、確実に彼女の胸を突き刺した。

クラリッサはその場で固まり、まるで思考も止まってしまったように動かない。


(……あ……)


ミサコは、胸がきしむのを感じながら、ただその様子を見ていた――はずだった。


だが、次の瞬間。


「――えっ……?」


視界が揺れた。足元が現実味を帯び、鼓動が自分のもののように聞こえる。

そして、視線の先には、苦しそうな様子のレオと、満足げに口元を歪めたマルグリット。

……そして、目の前の“自分の”手。……それは、クラリッサの手だった。


(え、手を動かせる……? ま、まさか……入れ替わってる!? このタイミングで!?)


思考が追いつかない。なぜ今、自分が表に出てしまったのか、まるで分からない。

心臓がバクバクとうるさいほど鳴っている。


そうこうしているうちに、外からどよめきが聞こえてきた。

いくつもの足音が廊下を駆けるように近づいてくる。ざわざわとした声も混じり、明らかに異変に気づいた人々が集まってきているのがわかった。

 

ミサコは目を見開いた。

鼓動が一気に跳ね上がる。思考がまとまらず、言い訳も逃げ道も見つからない。

ただ、その場に突っ立っているわけにもいかず、反射的に頭を下げ、声を上げた。


「すみませんでしたーーっっ!」


そう叫ぶなり、ミサコは勢いよく踵を返し、その場から逃げ出した。


廊下を走りながら、ミサコの心はぐちゃぐちゃだった。


(クラリッサ……あなた、どこに行ったのよ……! そして、私、何してんのよ……!)


――最悪のタイミングでの、最悪の入れ替わり。


その場に残された人々と、そしてミサコ自身の混乱が、

まるで熱を帯びて、学園中に広がっていくようだった。

ご覧いただき、誠にありがとうございました。


次回のエピソードは、

* クラリッサの心 *

です。


よろしくお願いいたします。

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