遥かなる象牙の塔 < I >
遥かなる幻想の大地にはかつて「アーケンス王国」という巨大な王国があった。しかし、ある時、魔法を手に入れた者(以後魔法使い)と魔法を手に入れられなかった者のうち女神の加護を手に入れた者(以後加護の使い手)で紛争が勃発。長い戦いの末、魔法使いが加護の使い手を下し加護を継承した。その影響で、加護だけを持つ者は今でも迫害が続いているという。そして、そのアーケンス王国の中心を貫く一本の塔こそ、「アークスレート・クレイン」と呼ばれる純白の象牙の塔である。この塔はかつての大戦でも倒れず、数百年前からずっとこの姿を保ってきた。その象牙の塔が倒れたとき、世界の均衡が崩れるという寓話もある。
ん…
いつもよりも明るい朝を迎える。
「…ん?」実際体感ではまだ7時ぐらいだろうが、真っ昼間かのようにテント全体が明るい。のそのそテントの狭い入り口から出て、よくよく見てみれば空に「太陽」がない。梅干しのない日の丸弁当のような物足りなさというか欠乏感を味わう。謎の光源で照らされている世界は広々としていて、限りなく広がっていた。今日はいつもよりも霧も少なく、少なく…
「———ん?」周りを見渡しているとうっすらと遠くに半透明な薄黄色の防壁が見えた。「あれ…なんだ?」確かに玲唯の幻想の加護によく似た形状と模様だが、それ以上に巨大さが目立った。遠く離れたここから見てもどれだけ大きいか窺える。見てはいけないものを見たような気がしてテントに戻る。まだ玲唯はすやすやと眠っている。静かなテントの中はプールに潜った時のように何かに包まれているようで心地よい。再び寝具を広げ、仮眠を取ろうとすると、玲唯がもぞもぞと動き、寝返りを打った。その瞬間、玲唯の眠たげな目が自分の目と合い、玲唯は驚いたように一瞬硬直した後、ふっと微笑み再び目を閉じる。一連の動きを見届けたあと、自身も布団を頭からひっかぶり敷布団にうっつぷした。
———不思議な夢だった。どうしようもないぐらい自分勝手で都合のいい夢だった。望んだものが全て得られ、全てが順調に進んでいた。どこかで見たことのある展開だった。…これは夢とは言えないのではないか。空想、いや幻想と言っても過言ではない。夢とはもっと現実的で、理想的で、包括的であるものだ。ここまで排他的で幻想的な夢は夢ではない。妄想でしかない。夢と妄想は、似て非なるものだ。
ちょこんと布団の上で座りながらそんな他愛無い考察をしていると、玲唯が少しうめいた後、むくりと起き上がった。目をこすりながらテントの外をぼんやりと見て、ゆっくりとこちらに視線を移動させる。
おはよう。そう声をかけると、かすかに目を伏せ、そのまま「——おはよ」と小さな声で呟くように言う。しばらく沈黙がテントの中を満たす。「…玲唯、昨日は…その…ごめん。」「———私じゃなかったら今頃死んでたんだからね」声に少しの怒りを滲ませながら玲唯が言う。「本当にごめん。」半ば頭を布団に付かんばかりに下げる。「責任…とって」アニメで何度聞いたか分からないこの台詞をまさか自分が言われることになるとは…と思いながら、あんなことを許してくれた玲唯の優しさに感謝する。「…わかった」自分ができる最大限の言葉を返すと、「———ほんと、アホだね」と玲唯の口から聞いたこともない言葉が返ってきた。思わず顔を上げると、そこには怒りで顔を真っ赤にしているのではなくほんのりと頬を赤らめて自分の側を見ている玲唯がいた。
「…それで、次はどうするの?」
ふっと顔の色が戻った玲唯がこちらを向く。
「…ちょっと行ってみたいところがあるんだけど」そう昨夜見た謎の魔法の防壁を思い出しながら答えると玲唯がげんなりした顔を作る。「だよな…」とおおよそ予想できていた反応へのリアクションを取ると、「…昨日のせいで疲れちゃったから嫌だ」と皮肉じみたことを言いながらこちらを軽く睨む。「すみませんでした」と謝罪すると玲唯は喉の奥で引っ掛かるように笑い、「よろしい」と微笑みながら言う。その玲唯を見ていると何かが心の中でほぐれていくようで幸福感に包まれている。「…その代わり」一言、ぼそりと呟くと「…なぁに?」と顔に笑みを浮かべたまま玲唯がこちらを覗き込んでくる。「玲唯を抱きしめさせてくれ」「…へっ?!」玲唯の顔が急激に赤らみ、「…へんたい!さっきの話聞いてた?!」とどこか聞いたことのあるような言葉をぶつけられる。「…ダメか?」少々傲慢ながらそう聞き返すと、「…べ、別にダメじゃないけど…」としぼんだ風船のように覇気のない声で小さく答える。その答えを自分は無言で玲唯ににじり寄り手を伸ばす。玲唯は抵抗することもなくただ目を瞑っている。そのまま玲唯を抱きしめ、布団に倒れ込む。「…今度あんなことしたら許さないからね」と玲唯が念を押すように上目遣いで言い、「わかってるよ」と玲唯を抱いたまま目を閉じた。