彼女は陽炎の中に
いらっしゃいませ。
風通しの良くなった街は、まだところどころで粉煙が立っている。ちょうど宿屋の宿舎側側は残っていて、玄関を含むロビー側は跡形もなかった。まるで超集中砲火を喰らったかのような廃墟具合に、何ともいえない気持ちを味わう。しかし、何より今自分の心を苛んでいるのは自分がどれだけの罪なき市民を殺してしまったかという罪悪感であった。自分の見た限りでは、全壊している建物が52棟、半壊している建物が86棟。中世の住宅における人口密度を鑑みれば最低でも324人は犠牲になっている。たった一人の人間の生理的な嫌悪感だけで324人もの市民を殺しても良いものだろうか?
———そんなわけはない。こんなことが許されるのなら、どんな無差別殺人鬼でも、どんな強盗犯であろうと許されてしまう。しかし、自分は「何でも願いを叶える」力を持っている。自分の力によるもので失わせてしまったものをその力で復活させるというのはいかにも皮肉だが、そんなことを言ったところで仕方がない。
式神に教わった通りに燭台と魔法陣を描く。
魔法陣の前に正座し、手を組み、祈りを捧げる。棒に折った紙を差し込んだだけの簡易的な呪術道具を手に持ち、一心不乱に振り続ける。それを気が遠くなるほどの回数、続けていると、気づけば視界が白くなっていた。あの時と同じような違和感が頭を襲うが、一向に構わず腕を振る。グーンと目の前の風景が元に戻る。
まばたきをすると、ふと数十分前の形が目の前に戻る。その風景の中に何か違和感を覚えて、その違和感の正体を探す。しかし探せど探せどその正体は一向に見つからず。自分はこの時戻れない選択をしたのだが、そんなことに気づくことは自分にはできなかった。
それから数十分後のことであった。玲唯が唐突に「王都に行く!」と言い出したのだ。いや、もちろんその話は玲唯には話しているわけだから、そうなる可能性も考慮はしていた…といえば嘘になる。まさか玲唯からそんなことを言われるとは思いもしていなかった。「えぇ?!…あっうん了解…」そう何ともいえない返答をし、部屋に戻り準備を開始する。不安定だった玲唯の感情は落ち着いたらしく、今は元の玲唯に戻っている。しかしあの玲唯の言動は今も自分の心に染みついて離れない。何故だか、あの言葉が心に刺さって取れない。ただ、ずっと忘れられない予感がした。
宿屋の主人に用意してもらった背嚢に漬物の小さな壺と乾飯を詰めた袋、さらに油を入れ準備は完了した。そして、最近教わった話だが、呪術もとい陰陽道には「刀」との相性がいい術も多数存在するらしく、それに合わせた刀を街の鍛冶屋さんに頼んで作ってもらった。
準備をしながら、近頃少し不思議に思っていることを考察する。それはこの充実した生活の基となっている諸原料はどこから来ているのか、ということである。前述の通りこの世界には素材という素材は存在しない。地下資源はまだしも、コーヒーやお茶、水に乳などはその範疇にあるはずもない。一体どうしてこの世界でそんなものが生産され得るのだろうか。昔の彼らが牛や茶の種などをこちらに持ち込んでいたのだろうか?そしてもう一つ、この世界で「コーヒー」が飲まれていることが気になる。コーヒーはエチオピア原産で、16世紀ごろにはヨーロッパでも飲まれて始めていた。つまりこの世界で飲まれていても何も不思議はない。だが、それはあくまで「コーヒー」単体の話である。自分はカフェラテをこの世界では愛飲している。カフェオレは「エスプレッソ」と「ミルク」、それに砂糖なりの調味料が入るわけなのだが、その「エスプレッソ」が発案されたのは20世紀のイタリアである。つまりはカフェラテ自体もその時代からしかないわけであり、名前がそのままこちらにあることが偶然であるわけがない。つまり、今でもこちらの世界へ渡航してきている人がいるというわけなのだ。しかしながら、今では元の世界では魔法などはそこまで真剣に信仰対象とされていない。故に魔法使いや呪術師になりたいと思っている人もそう多くないはずだ。その仮定が正しいならば、こちらの世界に来る人もそうそう多くはないはずだ。しかし、やはり多くの渡航者がいるらしい。そこで考えられるのが「渡航師」という人がいるのではないかということである。「渡航師」というのは自分がカッコつけて考えた名前だが、まあその名前から想像できる通りの役職だと思ってもらえればいい。わざと渡航をして、元の世界から物資や技術などをこちらの世界に輸入しているのではないか、というわけだ。もしこの予想が当たっていれば、彼らが「救いの手」と呼ばれている真の意味と、建物と食事が釣り合っていない理由がわかる。つまり、この世界の食物は大半が元の世界からいわば輸入されているのだ。そんな彼らはもちろん異世界の住民にとっての「救いの手」である。そして、食べ物のように栽培のできない石材や機材を使う建築などは、結果的に繁栄しえなかったのだ。
徐々にこの世界がどういう基盤の上に成り立っているのかが分かり、この世界に対する理解を深めるとともに、なぜこんなにも整った社会体制を構築できたのかが気になってくる。大体、その「救いの手」がいるのであれば、元の世界に帰る方法も確立されているわけで。なぜそれが一般市民に知らされていないかが不審なのである。
店主に自分たちが王都に行く旨を伝えると、ゴソゴソと何かをカウンターの下から取り出して渡してくれた。
「…地図…?」それは、古ぼけた紙に墨か何かで書かれたこの国の地図であった。
もっとも、それがまともな地図と言えるのであれば。
端的にいえば、TOマップやイドリィーシー図のような、宗教観のかなり強い地図である。世界自体は正三角形で描かれており、その内側にまた一回り、二回りほど小さな正三角形が描かれている。そここそがこのアーケンス王国である。だが、夜の街明かりの感じからしても、どうしてもこの国の境が直線上であるとは思えない。そしてその大きな正三角形には様々な文字が書かれている。一番目立つ真ん中には”The new world”と書かれている。
「…新、世界。」
アーケンス王国はかつての欧米諸国の探検家らが作り上げた国である以上、今でいう「北アメリカ大陸」のように新世界として扱われているのだろう。
そこから三方向にもまた文字が綴られている。
“Laer””Maerd””Noisulli” どう読んでも何語かはわからず。
そしてそのアーケンス王国を示す三角形の一番下の頂点に、赤丸と共に”The Gate of Key “Arkslate-Crane””と記されている。その名前が一番興味を引いたのはいうまでもない。「鍵のゲート『アークスレイト・クレイン』」などと仰々しい名前が付いているからには何かしら意味があるはずだからだ。
そのもらった地図を大事に懐にしまい込み、既に準備してあった荷物を2階の部屋から降ろしてくる。玲唯も、彼女の荷物を台車と言えるかさえ怪しいキャニスター付きの台に乗せて運んできた。
「じゃあ、今までお世話になりました。ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
僕と玲唯が主人に頭を下げると、主人は少し驚いたような声で言う。
「…い、いやいや!こちらこそありがとうございました…!ご旅先でも幸運がありますことをお祈りいたします」
主人が慌ててロビーの扉を開ける。
「どうぞ、どうぞ…!……ありがとうございました!」
ゆっくりとお辞儀をする。
そして我々二人は、後ろ髪を引かれながらその宿を後にしたのだった。
「…はぁ、ここどこなんだ?」
はや歩くこと45分。いくら涼しいとは言え、やはり歩き続けていれば暑い。
我々は王都を目指している。だからその大きな塔こと『アークスレイト・クレイン』に向かって歩き続けているのだが、一向に到着するどころか近づいているすらしない。だがループをしているわけでもなく、ただひたすらに同じような街並みが続いているだけである。そんな状況に嫌気がさした上に歩き続けて疲れてきたので、一度休憩を取らないかと玲唯に提案する。玲唯も少し考え込んだ後、すんなり賛成し、街角に見つけたお洒落な喫茶店に入ることにした。石畳の上を歩き、一段高い木のテラスに上がる。滑らかな肌触りのドアのハンドルを掴み、ゆっくりと押す。ドアがゆっくりと開き、吊り下げられていたベルがチリンチリンと乾いた音を立てる。店内は思っていたより涼しかった。近くのちょうど良さげなテーブルを探し、そこに荷物を寄せる。テーブルの上には簡易なメニュー表が置いてあった。
「玲唯は何か飲んだり食べたりしたいものある?」
その質問に玲唯は少し考えこみ、メニュー表とにらめっこする。
しばらくして、「…じゃあこのアイスティー(ミルクと砂糖入り)がいい」と言った。
どうみても「ロイヤルミルクティー」と相違なく、なぜにアイスティーの派生系として販売されているのかが分からずしばし硬直した。
「…ん、おけ。」
そう言って、玲唯を置いて注文をしに行った。
店員は愛想が良く、終始ニコニコしていた。
ひとまず注文を終え、飲み物だけ受け取って戻ろうとすると、知らない男と玲唯が喋っていた。
一瞬敵かと身構えたが、どう見ても敵意は感じないどころか友愛までをも感じたので、おおよそ玲唯の友達なのだろうと予想した。そうなると自分はあの席に戻っていいのかと躊躇する。もし自分が席に戻れば彼らの会話を妨げることになり、それは本意ではなく。次の瞬間、彼はそんな状況にわたわたしている自分をふっと見、話しかけてきた。
「あっ!湊人じゃんか!久しぶり!」
一瞬で思考回路がショートした。
「…お、おう、ひ、久しぶり」
誰だこいつ?一ミリもこいつとつるんでいた思い出がない。
「…なんだ?その記憶喪失したアライグマみたいな顔しやがって、なんかおもろいな」
すごい失礼なやつだな、初対面の人にいきなりそんな暴言を吐けるとは。
だが妙に聞き覚えのある言い回しで、なんとも居心地の悪い気分になる。
「…えーっと、どなた、さま?」
おずおずと尋ねると、男は急に顔が真顔に戻り、眉間に皺を寄せる。
「…おまえ、もしかしてこの世界に来て頭でもおかしくなったのか?」
玲唯も流石に面白くないとばかりに介入してくる。
「えっと湊人?一応わかってないなら説明するけど町田だよ?町田紡木。」
そう解説してくれてもなお、自分には思い出せなかった。
いや、思い出せない、というのは少し語弊があるかもしれない。詳細を思い出せないのだ。ダウンロードできなかったファイルのサムネイルのように、ぼんやりとしていて、何だったのかが分からない。しかし、何か聞き覚えがあるような気もして、とても不愉快な気分になる。
「…」
玲唯と「町田」が二人で顔を見合わせて少し困惑の表情を浮かべる。
「…あいつどうしたの?」「…んー、そんなに変わったことはないけど…」小さな声でコソコソと話している様子を眺めながら、奇妙な感覚に襲われる。この3人でいることに何の違和感も感じないのだ。それどころか何故か安心感さえも覚える。その違和感を覚えないこと自体が違和感だった。だって、自分は「町田紡木」など知らないのだから。
「…湊人?お前さ、いい加減目覚ませよ。……この顔を見るにどうせお前ら一緒になったんだろ?」「あっいや…」
町田が強い口調で自分に詰め寄ってくる。
「そこまでしてもらっといてよくそんな無様な面下げて歩けるな。自分自身に違和感は抱かないのか?」
その強い言葉は、何か少し含みを持っている。
だがそんなことに気づけるほど冷静ではなかった。
「…知らんよ」
町田が少し首を傾げる。
「はぁ?」
「…知らないって言ってんだよ!大体お前誰なんだよ?!いきなり現れるなり意味わかんないこと言いやがって!自分らのことを分かったように言うなよ!この部外者が!」
「ぶがい…しゃっ…!?」
町田の顔が怒りで悲痛に歪む。玲唯も少し蔑んだような目でこちらを見ている。
「…な、何だよ?!僕がおかしいのかよ?!僕はお前なんか知らない!知らないんだよ!」
ずっと感情的に喚き散らす自分をみて、呆れたのか、はたまた諦めたのか、町田は少し目を細めて言った。「分かったよ、君は俺を知らない、それでいいだろ?もうめんどくせーんだよ。…行くぞ、玲唯」町田が扉を開ける。
玲唯は少し驚いたような顔をして町田を見た。
少し躊躇い、こちらをチラッと見、再び視線を戻すと、椅子から立って扉の方へ向かって行った。しかし、突然、立ち止まる。次の瞬間、かすかに、でも確かに、聞こえた。「ごめんなさい」
再び玲唯は歩き出し、二人が扉から出ていく。二人が窓から見えなくなるまで時間が経っても、自分は何も声がでなかった。頭の中はただ苦痛と混乱と困惑と憤怒がぐるぐると渦を巻いて、混沌としていた。
更新遅れてしまいました!申し訳ありません!
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