夢の中で
こんにちは。いなとゆいです。
この作品自体は紙媒体で描かれていたものです。
いつかの夕暮れ。
視線の先に長く伸びる影。
歩いても歩いても距離は縮まらない。
いつしか、僕は追いかけるのをやめた。
ミーンミーンミーンミーンミーン…
蒸し蒸しとした陽の下で、虚しさを描くような蝉の声が聞こえる。
「はぁ…今日はやけに暑いな…」
家を出るときにはこんなにも暑くはなかった…などと一人で愚痴を言っていると、
「おーい!」と後ろから元気な声と共に背中を押された。
「うわぁっ!!…びっくりしたぁ…なんだよ…」
突然の攻撃に目を白黒させながら答える。
「何って…別に学校に一緒に行くだけじゃん!」
そう悪びれずに答える本人は僕の幼馴染である香野玲唯だ。
なにかこうボケっとしているように見えてしっかりはしているのだが色々抜けているところがある上、愛嬌があるというか、嫌われづらい性格というべきだろうか、とにかくクラスの中では人気ではある…と思う。
一緒に学校に行く約束をしていたにも関わらず昨日はいなかったので今日まさか居るとは思っていなかったのだが、そのまさかだった。
「…どうしたの?」
物思いに耽っているのを気にしたのか、声をかけてくれたらしい玲唯は、心配そうに顔を覗き込む。
「…いや、なんでもないよ、ただ暑いからちょっとぼーっとしてただけ」
「そっかー、まあ確かに暑いもんねー」
と他愛無い話をしていると、突然、嫌な予感がした。正直言って何なのかは分からない。冷や汗が背を伝う。そわそわと周りを見渡していると
「…どうしたの?湊人?」
と心配された。まあそれはそうだろう、さっきまで物思いに耽っていたのが今度は周りをキョロキョロしているのだから挙動不審極まりない。
「いや、なんか嫌な予感がして…」と打ち明けると「何それー!あんまり面白くない冗談だね?」
と軽くあしらわれた。
とはいえ自分も一体何だったのか分かっていないがために反論することもできず、「冗談じゃないつもりなんだけどな?」と返すだけになってしまった。
そうこうしているうちに、段々高校の校舎が見えてきた。白い塗装のそこここに黒い汚れが薄く付いている。校舎の一番高い塔には大きな時計と校章が付いていて、太陽に照らされてテカテカとしている。校門を通り過ぎ、校庭を横切っていくと、昇降口が見えてくる。靴を履き替え、階段を上がると、
「じゃあ、ここで。気をつけてね!」と玲唯の教室の前で別れる。少し見送ったあとその隣の教室に入る。
ふと見ると、隣の席の男子らがニヤニヤとこちらを見ている。まあいつものことなので無視する。席に座ると、「おい、お前今日もイチャついてんのか?」と小馬鹿にするように言ってきたので、「あれがイチャついてるように見えるんだったらよっぽど恋愛経験が少ないんだな」と返すと、「ぐっ…」とわざとらしいぐらいに胸を押さえる。これはもはやルーティンどころかお決まりのコントみたいにすらなってきているが、まだ飽きずにやってるのはどちらも幼稚だからだろう。朝の準備を整え、スマホで音楽を探していると、教室に先生が入ってきた。ふとみれば時計の長針は6を指しそうになっている。
これだからスマホはやばいんだって…と勝手に思いながらポケットにしまうと、待っていたかのようにチャイムがなり始める。
「きりーつ!」声の響く学級委員長の声につられて一斉に起立する。
「きをつけー、れーい!」
「おねがいしまーす」
形骸化した儀式を終え、朝の会が始まる。
「ここは余弦定理を用いることで2R√1-cosθと表せるので…」
先生が自信満々に説明している内容である地学だが、自分はとっくに自習で履修済みなので見向きもせずに三角関数を黙々と解く。
「…じゃあここを…稲村!いってみよう!」
まるで楽しいおもちゃでも見つけた子供のように元気に聞いてくるが、残念ながら自分にそんな純粋さは残されていないので
「hc(pm-pc)/pm*(α-1)です」
とそっけなく返す。
「…そうだな。では続いて…」
特にいつも気にしてるそぶりを見せないので入学当初からこの返答のままにしているが実際どうなのかはわからない。
そんなつまらない学校も半分を過ぎた時、突然雨が降ってきた。
さぁぁぁぁぁぁと静かに、けれども確かに降っていることを実感させるその音は、心に染み渡っていくようだった。窓が雨露で潤っていくなか、ふと空が妙に明るいように感じた。
天気雨か…?と訝しみながら窓越しに空を見るが、露のせいでよく見えない。目を細めてみようとしていると、何やら少しずつ明るくなっているようだ。
どういうことなのかわからず、しばらく考えていると、「コォォォォォォ」とかすかに音が聞こえた。雨音かともう一度耳を澄ますと、やはり「コォォォォォォ」と聞こえる。そのまま聞いていると、徐々に「ゴォォォォォォォ」という音に変わっていく。空もどんどん明るくなっていく。何かがおかしいと窓を開けると、雨粒と一緒に驚きが入り込んできた。見た感じ一辺2km以上はありそうな光り輝く謎の正六面体が回転しながら空から堕ちてきているのだ。
近くの生徒も、自分が窓を開けたことで雨水が飛んできて迷惑そうにこちらを見、そして同じように驚愕の表情を浮かべていた。その時だった。全員のスマホのバイブが鳴ったのは。驚いてスマホを開くと、「J-アラート」が発令されている。そして皆一斉に窓の方を見、みんなは慌てふためき出し、瞬間、教室は大混乱に陥った。焦って教室から飛び出そうとする者。慌てふためいて椅子ごとひっくり返る者。先生が、慌てながらも避難誘導を開始するが、生徒たちは先生の制止も聞かず、我先にと飛び出していく。自分もその後にのそのそとついていくと、やはり同じことになっていたらしい隣のC組からも大量に人が出てきた。その後ろにはやはりポツンと一人、玲唯がいる。
「玲唯ー!」と呼びかけると、「あっ湊人!」とこちらに気づき、駆け寄ってくる。
「何があったの?」と聞いてくる玲唯に、堕ちてきている謎の物体のことを教える。「へぇぇ」と驚く彼女には、焦りの色は一寸も見られなかった。
「で、J-アラートが出て、みんな焦りまくってるわけ。」と説明すると、「じぇいあらーと…」と聞きなれない単語を耳にしたかのようにおうむ返しにしていたが、理解するのは諦めたらしく、
「と、とりあえず、大変なことになっているってこと?」とおずおずと聞かれる。
まあそうだね…と返し、外を見ると、やはり少しずつ明るくなってきている。
こういう最後の時間というのは家族と過ごすのが定石だと思ったため、
「うーん、どうする?一旦家に帰って家族との時間を過ごしたら?」と提案すると
「えーっ?別に湊人と一緒でいいよー」と言われ、嬉しいような家族より大事なのか疑うようなどちらつかずな気持ちになる。顔を赤らめて目線を下げると、周りで鼻血を出して倒れている人がいる。「…ね、湊人、なんでこの人たち倒れてるの…?」と聞かれたが、自分もわからないので「わからない…な…」と返す。みるとずっと何かを呟いている。倒れている人の横にかがみ、耳を澄ますと、「とうとしとうとしとうとしとうとし」と言い続けている。何故かはわからないが、焦っていたがために何かの呪文なのかもしれないと非科学的な考察をし、玲唯を連れて逃げ出す。校庭に出ると、しとしとと雨が降るなか、生徒たちが右往左往していた。
「うーん、とは言っても雨降ってるからなぁ、ずっと外にいるわけにもいかないし…」と独り言を呟き、ふと玲唯を振り返ると、雨に濡れて透け始めたシャツを通して、うっすらと下着のシルエットが見え始めている。「えっっ」と焦り、玲唯を引っ捕まえて昇降口まで連れてくる。「どうしたの?!」と驚く玲唯に服を指差して答えを与えると、玲唯はゆるゆると下に目を向け、瞬間、顔がぱっと赤くなった。「み、みなとの変態!!」と赤くなった玲唯に言われ、「えぇ?!」と驚かざるを得ない。とはいえ流石に玲唯をこの状態にしておくわけにもいかないと思い、カバンからジャケットを取り出して
玲唯に投げてよこす。玲唯は「わわわぁぁぁっ!」とびっくりしながらも受け取り、「あ、ありがと」と礼を言う。何というか、大した時間外にいたわけでは無いのに、なんとも大袈裟な濡れ方だなと思う。なんともラブコメ展開にありがちだし、関係性やシチュエーションも仕組まれたかのようにおあつらえ向きだが、残念ながら自分たちはそういう関係ではない。
といるのかも分からない世界の創造主に語りかけていると「着替え終わったよ!」と玲唯が駆け寄ってくる。見ると、ブカブカなジャケットからはみ出してみえるシャツがまた違う方向でヤバいことになっていたが、さっきよりはマシになっていたのでよしとする。
とりあえず着替えをとりに家に帰るべしと帰路を通っていると、急に、空の明るさが増した。そして、徐々に遠くから世界が真っ白に塗りつぶされていく。とっさに横にいる玲唯を両手で引き寄せる。このまま世界は終わってしまうのだろうか。「ひゃわぁぅっ?!?」と驚く玲唯をぎゅっと抱きよせる。そして、あっという間に意識さえも真っ白に塗りつぶされた。