38話 ツクヨミ
白夜の意識はぼんやりしていた。時間がゆるやかに流れる。章央がこちらにむかって駆けてきている。
白夜の奥の手は、満月がのぼっている時間帯しか使えない。
それは、正確ではない。
「忍三郎、神依」
満月がのぼったとき、白夜は2つの能力を使える。
ひとつめは”月は無慈悲な夜の女王“。これは満月がのぼっているあいだ、次元力の総量と出力が増える。
「”月詠“」
ふたつめの”月詠“は次元力を膨大に消費する。ゆえに”月は無慈悲な夜の女王“と併用しなければほとんど使えない。だが、ほんのわずかな時間であれば、満月の日なら、日中でも発動自体は可能。
技名を唱え、コストを削減すれば、今のほんの少しの次元力でも数秒は使える。
ゆるやかだった時間がとまった。
停滞した世界で、章央にこぶしをぶつける。それだけなら1秒前後ですむ。
世界がふたたび動きだし、亜光速の質量によって章央は、はじけとんだ。
即座に回復する。原型をとどめない肉体が正常にもどり、次元力が大きく消費される。
なにが起きたのかわからず、ぽかんとする章央。
白夜が唱える。
「”月詠“」
ふたたび世界がとまる。
”月詠“は亜光速になる能力。瞬間移動にすぎない”月光白道“とちがい、意識も亜光速に追いつく。
章央の頭上からこぶしの鉄槌をくだす。
解除。
世界がもどり、亜光速の質量が章央を圧しつぶした。
今度は回復しきれず、章央の神依が解け、生身にもどった。
白夜の残り次元力もぎりぎり。
「”月剣“」
眉毛を一本抜き、現出させた剣で章央の両足を斬る。鮮血がふく。悲鳴。
おびえた表情の章央を、白夜は見おろす。
「なんで人を殺す。なんで無関係の人々を巻きこんだ」
章央の呼吸が荒くなる。もう助からない出血量。
「は、はは、たははは、たははははっ」
乾いた笑い声だった。
「はぁあ……おまえ」
白夜を鼻で笑う。
「罪なき人とか、善良な市民とか、そんなのがいると思ってんのか」
無言で先をうながす。
「ソイツらはどうやって生きてる。ソイツらの衣食住はどっからきてんだ。食や服がなんで安く買える。夏も冬もなんで快適にすごせる。安く買えるのはそれより安い命があるからだ。ソイツらの血と汗でつくられたものだからだ。快適にすごせるのはエネルギーのおかげだ。エネルギーは地球から搾取した資源だ。環境破壊で毎日大量の生物を虐殺しながらおまえらは生活してる。とくに食事なんかそのまま殺しだろ。そりゃ食べなきゃ生きていけねえもんな。だがそれは善良じゃねえ。しかたねえことだよな。だがそれが悪だってことには変わりねえ。弱肉強食を悪だと定義するならな。オレに殺されたやつらは全員、オレと同じかそれ以上に悪人だ。オレはオレが悪だと知ってる。だがソイツは自分を善良だと思ってやがる。正しさなんてものがあると思ってやがる。そのぶんオレより悪人寄りだろ」
章央が嗤う。白夜が剣をふるう。
「無知はこの世で最大の悪だ」
それが、山崎章央の最期の言葉になった。
★
幼い山崎章央が、お花畑に立っている。
周りのみんなは楽しそうにゲームしている。章央はつまらなそうな無表情。
みんなが走り去っていく。同じ速度で走ろうとしているのに章央はとり残される。
地面がひび割れる。裂け目から鮮血がふき、花々を赤く染めていく。足もとに両親の血濡れた死体。章央の手には大鎌があり、その刃先から血が涙のようにしたたり落ちる。
章央は生まれてはじめて笑い、泣いて、鮮血に呑みこまれた。
★
HS機関日本支部では、益田天とナーサティヤがふたりきりでいた。
「山崎章央は死亡。覇暮狼牙は拘束。秀水美烏とほか三名は逃走、ね」
益田天が報告を反すうした。
「現場には四つの人形が落ちてました、と」
「転移能力者の次元力が回復したのでしょう」
益田天は回転椅子にもたれる。
「こっちはひとり殺され、ひとりに裏切られ、むこうの犠牲はひとりだけか」
「スパイは捕えられましたけど」
「そうなんだけどねぇ」
益田天はテーブルに突っ伏した。
「まっ『死神』を対処できただけ及第点かにゃ」
★
氷水家。祖父母の車が帰ってきている。
キリはチャイムを鳴らす。
玄関がひらいた。顔をみせたのは太陽だった。
視線が交わり、太陽が微笑んだ。
「おかえり」
キリも笑みをたたえた。
「ただいま」
★
0と1の数列が流れる。
上下左右のない空間で、黒と白の人影がむかいあう。
黒は安理真由良のシルエット。
白は益田天のシルエット。
最初にしゃべったのは黒だった。
「なぜわからないのですか。人類は滅びたほうが幸福になれるのですよ」
「ミァハ☆」
白が笑った。
「滅びないほうがおもしろいからにゃ〜」
「不幸な人間を許容するのですか」
「不幸をもたらしてるのはそっちだよ。キミたちが協力してくれれば全人類の幸福に近づける」
「平和の先にあるのは虚無です」
「何度やっても平行線だね」
空間がひずむように黒と白の距離が近づく。
至近距離で黒がいった。
「人類は滅ぶべきです」
白のすがたが三つに解離した。全員背丈が異なっていた。
「未来」「永劫の」「平和を」
白の声が三つに重なった。
「ボク/ワタシ/アタシたちが、実現させる」