34話 ミセリア
狼牙、美烏、まろん、蘭、暁の視界から白夜が消えた。五人は霊感を使って白夜のすがたをとらえる。
神体の次元者は肉眼に映らず、その状態が解けるまで不老不死になる。身体能力も飛躍的に向上し、さらに。
白夜は十三歩先に亜光速移動した。
次元法式の技名を唱えなくても同じかそれ以上の効果になる。もちろん唱えたほうが効果は高いが、そのタイムラグをカットしたほうが逃走には有利。
連続で亜光速移動する。
燃費が悪いからほんとうに奥の手だが、今使わなきゃ殺されるのを待つだけだった。次元力がきれるまでに森を抜ければ。
まろんの“妖精大移動”で目の前に美烏があらわれた。
「神化」
美烏も神体になる。
「ひさしぶりの再会でしょ。もっと遊ぼうよ」
白夜は“弦月の秤動弓”をだす。行く手をふさがれると“月光白道”は使えない。
引力の矢を放つが、勢力を増した炎はそちらにひきずられない。
(どうなってんだその炎。時間経過で強化?)
視界を覆うほどの猛炎が襲いくる。
白夜は“月剣”をだし、炎に飛びこみながら“掩蔽星蝕”で自分を斬る。透過で炎をくぐり、着地前に解除。月剣をふるおうとするが、美烏の首を斬る場面がひらめいた。
躊躇したすきに神化した暁が人形と入れ替わる。美烏の代わりにそちらをねらって月剣をふるう。防御した暁の腕を斬り落としたが、またたく間に粒子となって消え、最初から斬れてなかったかのようにもどった。
狼牙は思う。五人全員が神化すれば消耗も早い。仕留めるのに手こずるか、敵の援軍がきた場合、こちらが積む。数的優位のこちらは持久戦も問題ない。戦闘向きの能力ではない毛村暁と、盛りあがっている秀水美烏だけが神化し、如月白夜の次元力が喪失するのを待つのが最善。
白夜は暁を集中攻撃する。何度も斬って再生に次元力を消費させる。暁は神体を維持できなくなって霊体にもどり、追撃で蹴り飛ばされ、木に頭を打って気絶した。神依も解けた。
狼牙は目を見開く。
包囲網に穴があいた。白夜は“月光白道”で針の穴をつくように抜けだした。
「神化」
まろんと蘭が唱えた。両者は羽衣をまとい、まろんの“妖精大移動”が無詠唱で発動。すでに発動中の“月光白道”の直線軌道上に美烏があらわれた。
白夜と美烏は亜光速で正面衝突した。互いに即死級の衝撃に襲われる。全身が粉砕骨折し、回復に次元力をもっていかれる。
その一瞬、動けなくなったすきに蘭が不滅剣を鞘におさめ、まばゆい光とともに抜刀した。無詠唱の“聖王剣閃”が回復中の白夜を襲った。
連続の致命傷を癒すのに次元力が消費され、白夜の次元霊装が次元霊にもどる。服装も部屋着にもどった。
(数的優位に油断してもっと神化の決断が遅れることに賭けたんだけどな)
白夜はあきらめて脱力した。
蘭が不滅剣をふりおろす。それを美烏が蹴り飛ばした。
「ヨルはあたしが殺すんだよ、邪魔すんな」
幼少期の記憶。大震災。中学時代の暗い記憶。
施設で会った美烏と、今の美烏が重なる。
高校もいかず、ひとりきりでゲームをした。
実況中の激しさと、それをしていないときの静寂。
(人は死ぬ。それが今ってだけ。生きることに意味なんてない。だから)
炎をまとった美烏が、手のひらを白夜にかざす。
「ばいば〜い」
白夜は目を閉ざす。
(未練も後悔もない)
たった十余日前、コンビニからの帰り、マンションの自動ドアをくぐったとき、
――あの。
よびとめられ、ふりむくとキリがいた。
ゲームしたり、アニメを観たり、漫画や小説の感想を語りあったり。
半月にも満たない記憶が、これまでの十数年より鮮明に駆けめぐる。
白夜の頬に涙が伝った。
(キリくんと、またいっしょに遊びたかったな)
★
なにもない白い空間。
天井と床にひとつずつ椅子があらわれる。どちらが上下でもなく左右もない。
気づけば椅子にふたつの人影がすわっていた。片方はキリのすがたをしており、もう片方もキリと同じ輪郭だが、水のように動くシルエットだけの青い影だった。
「もういいんじゃない」
最初に影がいった。声もキリと同じだった。
「もう眠ろうよ。記憶はもどってるでしょ」
「……転生時に、この記憶も眠ったんだっけ」
キリがいうと、ふたつの椅子は背中あわせになる。
「それから」
「ボクは死んだ。だからここにいる」
「……ここは“流冷の鎖”だよね」
「そうだよ」
「じゃあ、まだ死んでない」
「状態というものは相対的にしか定義できない。宇宙全体の流転が凍ってるんだから、死んでもないけど生きてもいないし、自然の流れに任せれば、死は確定してるでしょ」
「キリにとってはね。ミセリアなら死なない」
影はため息をついた。
「そんなに死にたくないの」
「うん」
「なんで」
「生きたいからだよ」
「キミは前もそういった」
「きみが望んだことだろ」
「ボクは眠りたい」
「生きたいとも思ってる」
「それはキミだよ、キリ。ボクじゃない」
「ぼくはきみだよ、ミセリア。きみの深層にある、生きたい、って衝動から生まれたのがぼくなんだから。“流冷の鎖”で記憶を固相化したあと、こっちの世界にぼくを転生させたのはきみだ」
「たしかに、あのときは葛藤していた。でも、今のボクは完全に罪咎義団派だよ。人間は眠ったほうがしあわせだ。どんなよろこびも、圧倒的な苦しみには無為だよ。幸福は不幸には勝てない」
「家族はどうするの。白夜さんだってこのままじゃ殺される」
「みんな眠ればいい。それがハッピーエンドだよ」
「これからだろ。白夜さんと出逢えた。太陽と仲直りできた。今からやりなおせる」
「どうでもいいよ。記憶がもどったならわかってるでしょ」
キリは黙する。ミセリアが続ける。
「この世界はシミュレーションにすぎない。ウェブバースのほうが現実世界で、こっちが仮想世界。家族とか友達とか、ぜんぶただのNPCじゃないか。プログラムじゃないか」
「人間もAIも石ころも素粒子の化学反応だよ。なにを大切に思うかは主観的な感情が決める。わかってるくせに。自分自身にうそは通じないよ。意見を外部委託するのはやめて、自分自身の心で話してよ」
椅子がむかいあって相対した。
ミセリアはうつむく。
「生きる意味がわからない。友だちができ、弟と和解した今のキミは、脳内の快楽物質の分泌量が増えて、よろこびの感情が強く出力されている。でもそれは一時的な化学反応にすぎない。人生は苦しみばかりだ。どんな世界も苦しみに満ちている。多くの人間が虐げられ、競争し、敗者は殺される。そんな現実をキミも経験したはずだ」
小学校の記憶がひらめく。
「もう終わりにしよう。眠れば永遠の安らぎを得られる」
キリは目を閉ざす。
暗い記憶のなかで、白夜や太陽との思い出が輝いた。
「ぼくは」
キリは目をひらく。
「みんなといっしょに生きたい」
「無意味だよ。どうせみんな死ぬ。苦しみと後悔を嘆きながら」
「だから生きたい」
「なんのために。すべては流転して消えていくのに」
「さあ」
「さあ?」
「それを知りたいんだよ」
「ぼんやりしているね」
「でも、死んだら永遠にわからない。これはたしかでしょ」
ミセリアは目をつむる。
「だからぼくは、終わるより、続けることをえらびたい」
椅子がひとつになる。ミセリアは嘆息した。
「しょうがないな」
★
胴体から切り離されたキリの生首が落ちる。
パシャン、と生首が水たまりになった。しばられていた胴体も同質量の水になる。
山崎章央は目をみはった。
(な、なんだ、これは)
水が集まって人のかたちをつくる。
章央はポケットに手をいれ、指輪をとりだす。
(巫珠はここにある。次元法式は使えねえはず)
その指輪が章央の手から消え、水の指にあらわれた。
水はキリのすがたになった。次元霊装をまとっている。
絶句する章央をキリが見すえた。
「おはよう」