33話 メメント・モリ
血溜まりにイグルの遺体が伏せる。
狼牙がカードをかざした。
「“斬魔装招来・斬魔槍斧”」
カードが光って槍斧になる。
全員が放心状態を鎮めた。
怒りで放電する雷牙だが、益田天の目配せで冷静になる。
(今、オレがすべきことは狼牙を相手にすることじゃねえ)
雷牙は唱えた。
「“疾風迅雷”」
電気を全身にまとう。
(氷水桐か如月をさがして手助けする)
雷牙が跳躍しようとしたとき、狼牙は斬魔槍斧を床に突き立てた。
「“闘技・牙竜裂帛陣”」
斬魔槍斧を中心に球状の黒い領域が展開された。
“牙竜裂帛陣”は斬魔槍斧から半径最大100メートルに球状の斬魔領域を展開する。領域の広さは次元力に比例し、維持コストも大きい。
雷牙は高速移動できず、前方に転んだ。
「っ」
疾風迅雷、という言葉から連想される高速移動のイメージが壊れたパズルのように解離する。
斬魔領域内で次元法式を使おうとしたとき、その次元者はゲシュタルト崩壊を起こし、次元力を次元法式に構造化するプロセスが阻害される。
雷牙は霊感で斬魔領域の大きさを探知し、次元力をまとい、走って領域外にでようとするが、狼牙に追いつかれた。
体術ではおよばず、腹に重い一撃をもらい、くずれ落ちるところに頭部への強烈な蹴りがきた。無防備に脳を激しくゆらされ、気絶し、神依が解けてしまった。
生身にトドメを刺そうとした狼牙だが、そのとき斬魔領域が解けた。床に刺した斬魔槍斧をナーサティヤが抜いていた。闘技に用いた斬魔槍斧が式を完了して消えてしまう。
狼牙は気を失った雷牙に背をむけ、左腕をかかげる。伊藤太郎の蹴りをふせいだ。右手でこぶしをにぎる。しかし太郎は床を蹴って距離をとり、狼牙の反撃をかわした。
「“憎の矢印”」
芽吹華恋が弓を構え、黒紫の矢を射た。
その直前、狼牙がカードをかざしていた。
「“斬魔装招来・斬魔斧”」
カードが光って斧になり、華恋の放った矢をかき消した。
狼牙は太郎、華恋、ナーサティヤを見すえる。
(この三人を相手に斬魔斧だけでは三十秒も経たず敗れるだろう。斬魔装カードは3枚。斬魔槍と斬魔槍斧は闘技に使い、クールタイムが解けていないから招来できない)
考えながらポケットからイヤホンをつける。
(が、玄岳イグルを殺し、伝木雷牙をしばらく戦闘不能に追いこめた。ナーサティヤの次元力も削っておきたかったが)
イヤホンにむかって狼牙はよびかける。
「完了した」
ふところの人形が光った。
(これ以上、ここにはとどまれない)
狼牙が人形と入れ替わって消える。
太郎の蹴りは人形を壊した。
「チィッ」
★
白夜はほとんど足を止めず、なるべく同時にひとり呑みを相手にするよう立ちまわっていた。
排除したいのは転移能力持ちの津田まろんだが、好戦的な美烏と戦闘能力の高い蘭きそれをはばまれる。
戦闘能力の低い暁も、白夜の直線上にまろんをさらさないような立ち位置を常にキープしてくる。
「“妖精化”」
まろんが唱え、手でふれた人形を浮遊化し、浮遊人形たちがほかの三人にふれる。
まろんの能力がわかってきた。やつの交換転移能力は、浮遊化を付与した人形がふれている物質を、同じく浮遊化が付与されたべつの人形と交換できる。一度に転移させられる物質はひとつ。物質転移に使った人形は浮遊化が解け、再付与も人形にふれる必要がある。
激しい動きで暁を翻弄し、まろんを直線上にとらえて“月光白道”で近づけても、ひとりでに動く人形たちに邪魔され、刃が届く前に転移される。月剣が斬るのは人形ばかり。
まろん自身は例外で、人形にふれなくても入れ替わることが可能。
白夜は走りっぱなしで息切れしはじめる。
そこに、人形と入れ替わって狼牙があらわれた。
なぜここに狼牙が、と思った直後に察した。
(内部の敵……私の能力や護衛用の場所がわかったのはそういう)
狼牙が斬魔斧をふるう。
それをかわして距離をとる。
(狼牙の斬魔は厄介すぎる。タイマンなら余裕だが)
五人に増えた包囲網。
息切れを隠す。呼吸を調える。
(体力もヤバい。短期決戦に懸けるしか)
白夜はさけんだ。
「神化」
白夜の次元霊装が輝く。
次元者には4つの形態がある。
1つ目は素体。生身のこと。
2つ目は相体。生身に次元力をまとって身体強化や常時発動系の次元法式を使える。
3つ目は霊体。次元霊装をまとって次元法式を使える。
そして4つ目が。
白夜は聖なる羽衣をまとった。
神体。
★
「フェンリル……神依」
キリが唱えてもなにも起きない。
「無駄だっての」
章央はキリから奪った指輪を見せる。
「次元者が次元法式を使えんのは次元霊とリンクした巫珠から流れてくる次元力のおかげ。巫珠がなきゃただの人間。生身に次元力をまとうこともできねえ」
章央がキリの正面の席にすわる。
「キリくんよォ、オマエは何者だ」
質問の意図がわからず、キリは眉をひそめた。
「遺伝子組み換えなしに次元者になったんだろ。んなことはありえねえ。現実で次元霊とリンクするにはDNA塩基配列を人工的に組み替える必要がある。その配列は自然発生しない。オマエは、人間なのか」
キリは答えられない。こっちがききたいぐらいだ。
「オレが知ってんのはオマエがダーウィーズと顔見知りってことぐらいだが」
――エルシャライムの王ダーウィーズの名において盟約を破棄する。
ダーウィーズ。白夜にフルダイブ機器を貸してもらい、いっしょにゲームしようとしたら、突然飛ばされた先にいたNPC。その後、ログアウトしたときには次元者の力を得ていた。
「ダーウィーズはおまえを、古い知りあいだといった。おまえが生まれるより前からのな」
「……名前が同じだっただけじゃ」
「それじゃあオマエの存在に説明がつかねえ。どうやって次元者になったんだァ」
沈黙を続けるしかない。
「ま、それはいい。興味ねえからな」
顔を近づけられた。
「オレが興味あんのは殺しだけ」
そういって真顔になる。
「なぜ復讐をやめた。自分を苦しめた連中がのうのうと生き続ける世界がいいのか」
「……よくない」
「なら」
「でも、復讐はしない」
章央は顔を離した。
「しがらみが多いみてェだな」
章央が指を鳴らす。
「よし、オマエの家族を殺してやる」
キリは床の惨状を視界にいれ、強烈な怒りの宿った眼差しを章央にむけた。
章央は嗤う。
「お友だちも殺す」
白夜の顔が脳裏にうかぶ。
章央が笑みを深める。
「如月白夜は今日死ぬ。まだ連絡はねえが、今ごろ、五人で追いこんでるとこだろうな」
キリは目をみはる。
章央は椅子の背もたれに手をかけ、キリの顔をのぞきこむように見おろす。
「家族も、友だちも、すべてのしがらみを切ってやるよ」
「そ、んなこと、して、なんになる。みんなを殺せばおまえらと敵対するぞ。絶対ゆるさない。皆殺しにしてやる。復讐対象がおまえらになるだけだ。その殺しにはなんの利益もない」
「利益? くははっ、それがあんだよ。如月白夜はオマエとは無関係に殺される予定だった。やつの存在は罪咎義団の計画に邪魔らしくてな。オマエの家族も殺せば気持ちいい。利益は充分だろ」
キリの瞳がゆらぐ。
「どっちにしろ如月白夜を殺すのは確定事項だ」
「じゃあ、おまえらの味方にはならない」
「だろうなァ」
章央はキリの周りを歩き、一周したところで足をとめた。
「そんじゃ、復讐しなけりゃオマエを殺す」
自然体の殺意。怒りや憎悪のない殺気。
冷たいその眼差しにさらされ、キリの身体はふるえる。
「かっ勝手に殺しちゃだめなんじゃないのか」
ふるえたまま声をしぼりだす。
「わざわざ拘束してるってことは、殺さないようにいわれているんだろ」
章央が嗤う。
「そのとおり。オレも如月白夜の殺しに加わりたかったんだがなァ。ダーウィーズと関係があるせいでキリくん担当になって、スクールカウンセラーに配置された」
章央は笑みを深めた。
「が、オレは自由だ。殺したいやつは殺す」
その瞳には自然体の殺意を宿したまま。
「今すぐ決めろ。復讐すりゃあ家族の命も助けてやる」
「かっ家族はHS機関が護ってくれる」
「だとしても、オマエはここで死ぬ」
水銀のように重くまとわりつく声だった。
人殺しになれば、家族とも、白夜とも、いっしょにはいられなくなる。
それは、生きる意味の喪失で。
目を閉ざす。いやな記憶が頭のなかを駆けめぐる。
人を殺して生きるほど、この世界に値打ちは感じない。でも。
太陽や白夜と遊んだ記憶がよみがえる。
でも、生きたい。
復讐はしたくない。
章央が手をたたいた。
「はい、タイムオーバー」
右手をひらいて、
「“死神の鎌”」
その手に大鎌をにぎった。
「現実は待ってくんねえんだよ」
大鎌がキリの首にそえられる。
「まァだ現実が見えてなかったみたいだなァ」
視界の端にバラバラ死体。首筋に刃が近づく。
恐怖が臨界点を超える。頭が真っ白になる。
そんなキリに章央が笑いかける。
大鎌の刃が皮膚を越え、血が流れる。
「知ってるか」
死神の微笑み。
「人は死ぬんだよ」
キリの首が斬られ、胴体と分かたれた。