30話 義兄と義弟
休日の公園。昼間。
中学生の太陽は、同級生の女子とベンチにすわっていた。
「あのさ、うちらつきあわん」
動揺を隠した。
「じつは小学校のころから好きだったんだよね」
太陽は精いっぱい声を高くした。
「えーマジか。うれしー」
女子の表情が明るくなった。
「じゃあつきあうってことでいい」
太陽は笑顔をとりつくろった。
「おーもちろん」
「別れよ」
夜の公園。同じベンチ。
「なんで」
「……うちのこと好きじゃないでしょ」
「いや好き好き。好きだって」
「……恋人として?」
夜の静寂が、ふたりのあいだを吹き抜けた。
彼女が立ちあがった。
「明日から、友だちもどろ」
そういって彼女は立ち去っていった。
太陽は夜空を見あげた。半月を見つめる。
「好きってなんだよ」
★
さっきまで悪口をいっていた三人が笑った。
「太陽が熱くなってんのはじめて見た」
「……そだっけ」
「そうそう」
「太陽なのにな」
「それ」
三人は太陽ネタで騒ぎはじめた。
太陽はナナを見やった。ナナも太陽を見ていた。
「今までちょっと距離感じてたけど、なんかはじめて太陽に近づけた気ぃするわ」
太陽は、自分のからだが熱くなるのを感じた。
★
「キリ兄は、だれよりも強くて、優しくて、純粋で、まっすぐで」
太陽がさけんだ。
「俺の、最高の兄なんだよ」
キリは息を呑んだ。
(そんなこと……ぼくは)
「だから、キリ兄自身にも侮辱させねえかんな」
(ちがう。そんな人間じゃない。ぼくは)
「キリが兄ちゃんでよかった」
(これから人を殺そうとして。おまえらを人殺しの家族にしようとして)
「キリがこの世に生まれて、出逢えてよかった」
(ぼくは、おまえがずっと、憎くて)
「ありがとう、キリ兄」
――おにいちゃん。
幼児から小学校低学年までの記憶が駆けめぐる。
いっしょにサッカーしたり、ゲームしたり、勉強したり。
小学校に入る前は父親もいて、両親にいたずらしたり、おにごっこやかくれんぼで遊んだ。
両親のけんか。飛び交う怒号。荒れた物音。
泣くことの増えた母親の背中にキリは手をそえた。
父親が去る。
小学校中学年から高学年までの記憶。
テストの点数。弟との比較。
低い点をとるたび、ゲームにのめりこんで勉強しなくなっていった。
スポットライトが友だちに囲まれた太陽を照らす。
その光の届かない場所にキリはひとりでいた。
遠くから拍手がきこえ、キリの世界は静かに暗転する。
(いつからだろう。視線を気にするようになったのは)
――キリ兄、サッカーやろ。
――もうやんない。
――えぇ、なんでぇ。
――ゲームのが楽しいし。
――じゃあゲームやろ。
――やだよ。おまえゲーム下手じゃん。
(他人の評価で人の価値を決めるようになったのは)
がっかりした太陽の顔。しだいにさそわれなくなり。
(いつからだろう)
ひとりきりの部屋にゲームの音だけがひびく。
(弟と、遊ばなくなったのは)
足もとを水滴がぬらしていた。
「ぼくは、おまえが」
涙がしたたり落ちる。
「おまえが……太陽が……弟でよかった」
キリは顔をあげた。
「太陽と出逢えてよかった」
まっすぐ太陽の瞳を見すえた。
「ありがとう」
自然と笑みがこぼれた。
「生まれてきてくれてありがとう」
ふたりとも、とめどなく涙をこぼす。
そんな顔を見あわせ、兄と弟は笑いあった。
ふたりはむかいあって朝食をとっていた。
「キリ兄だけなら家族は壊れなかった。オレが生まれなければぜんぶうまくいってた。ずっとそう思ってたけど、同じこと思ってたんだな」
太陽がキリを見る。
「もう欠陥品とかいうなよな。んなこといったらオレのほうが欠陥品だし」
「どこが」
「オレなんて空気を読んで、ほどほどうまくやって、勉強とスポーツがちょっとできるだけで」
「ちょっとじゃないだろ」
「小学校はそうだったけど、中学じゃ中の上ぐらい。なにもかも中途半端なんだよ」
「いいじゃん。こっちは底辺以下だよ」
「またそういう」
「あーごめんごめん」
「オレは、キリ兄みたいに、好きなことに熱中して、のめりこんで、全力で楽しむ才能はない」
「楽しめるだけで才能はないって」
「それも才能だろ。好きなことを見つけることもむずかしいやつもいるんだよ」
カチャカチャと食器の音がただよう。
「もっと早く、こうやって話せばよかった」
「早いほうじゃん。大人になっても軋轢を解消しないままの兄弟とかめっちゃいそう」
朝食後、流行りのゲームで遊んだ。
「キリ兄とこうやって遊んでたころが、一番楽しかった気がする」
「ごめん。ぼくが突き放したから」
「いいって。オレこそ、キリ兄の気持ち、全然わかってなかった」
「……学校楽しくないの」
「んーまったく楽しくないってわけじゃないけど、むかしみたいな無邪気な感じがなくて、人間関係とか気ぃ遣わんといかんくてさ。あ、でも」
太陽が笑った。
「最近はじめて、好きな人できたわ」
昼食後、13時半をすぎたころだった。
ソファにならんでアニメを見ていたとき、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
太陽が室内機を見にいこうとする。
それをキリが制した。
「ぼくがいく」
先に立って室内機のモニターを見る。
山崎章央が笑顔で手をふっていた。
キリは白夜と益田天にメッセージを送った。
『家に死神がきました』
それから玄関にむかおうとする。
「キリ兄」
ようすの変わった兄に、太陽は表情を曇らせる。
キリは足をとめ、ふりかえった。
「だいじょうぶ」
決意の眼差し。それから笑みをうかべた。
「いってきます」
玄関ドアをあけた。
スクールカウンセラーの微笑みが待っていた。
「なあ、キリくん、今日はどうしたのかな。学校終わっちゃうよ」
「……今からいこうと思ってたところです」
「そっか。ならよかった」
キリは学校にむかう。
「あれ、自転車は使わないの」
「……最近乗ってなくて、ちょっとこわくて。歩きでも間にあうからいいかなって」
ほんとは時間稼ぎのためだけど。
「ふーん」
章央がうしろからついてくる。
HS機関には、飛行と高速移動のできるふたりがいる。
イグルと雷牙のシルエットを思い浮かべる。顔はあまりおぼえていない。
学校につくまでにはきてくれるはず。
歩く。歩く。歩く。
キリの胸に焦りが生まれる。遠くに学校が見えてきた。
なんで、だれもこないんだ。
キリは足をとめる。白夜の仮面姿を思い浮かべる。
安理真由良の言葉がよぎった。
――監視役はわれわれがひきつけておくので。
だとしても、こっちから連絡すれば気づくはず。
「どーしたァ、キリくーん」
声のほうをふりむくと、死神の笑みがあった。
「もうすぐ学校だぜ」
キリは目をみはった。
「……なにをした」
「あん?」
「フェンリル、神依」
唱えた瞬間、章央がせまり、こぶしに顔面を打ち抜かれた。
(なっんだこの威力っ)
とっさに受け身をとった。
「デスゲイズ、神依」
こちらが態勢を整えるあいだに、章央も次元霊装をまとった。
「“霧”」
章央の周りを霧で満たす。
(いったん逃げて白夜さんと連絡を)
全速力で走り去りながら、罪咎義団からもらったふたつめのスマホを放りすてる。
「“死神の鎌”」
章央が大鎌をあらわし、
「“死霊の怨念”」
それをふるった。怨霊たちの不協和音がひびき、ひとふりで霧は霧散させられた。
かき消された気配を感じてもふりかえらず、入り組んだ細道に逃げこむ。
距離はできた。このへんの道はこっちのがくわしい。
目立たない場所に隠れ、逃げ道を確保しつつ、小音にしてから白夜に発信する。
発信中……でない。
そこでキリは思いだした。益田にHS機関専用のGPSアプリを入れてもらっていたことを。白夜もHS機関の次元者なんだからそこから居場所をさがせる。
頭上から影がふってきた。コンクリートの地面がひび割れた。
章央の次元霊装がはためく。
「なっ」
世界がゆれる。あごを打ち抜かれていた。
「逃げる前にどっちのスマホも棄てとくんだったなァ」
頭に衝撃がきた。蹴られたらしい。気づいたときには地面に倒れていた。
「テロリストからのメッセージにウイルスがねえとでも思ってたのか」
意識が遠ざかり。
★
13時ちょいすぎ。
氷水家からいくつかの住宅をはさんでとなりのマンション。その一室で、白夜はゲーム実況を録画中だった。ひとりだから仮面はつけていない。
遊んでるからって仕事を怠っているわけじゃない。氷水家の周りには多くの小型カメラや多様な盗聴器がしかけてある。プライバシーの侵害にならないよう、それらの情報はAIが一括管理し、不審人物がきたら自動でしらせてくれる。警察のような人海戦術ができないぶん、テクノロジーでおぎなっているわけだ。AIのだした不審人物が次元者やその関係者だった場合、即駆けつけられるようにここで待機している。
「世界ランク更新きたァァ」
決してただ遊んでるわけじゃないのである。
「っしゃああ世界3位ィィ」
白夜の足元に敷かれたカーペット。これが指向性の吸音装置なので騒音もお気になさらず。
そのときチャイムが鳴った。
ゲーム実況の録画をとめる。この部屋に来客。
ピーンポーン。
HS機関なら連絡があるはず。勧誘か、まちがいか。あるいは。
ピーンポーン。
「うっせえわ」
室内機のモニターを見にいく。同年代ぐらいの女が映っていた。
音声をオンにする。
「はい」
『……ヨル?』
時が止まったような静寂。
モニターの女が微笑んだ。
『あ、もしかして、あたり?』
白夜の脳裏に、古い記憶がひらめいた。
児童養護施設でよく話した友だちの顔。
『久しぶり、ヨル』
モニター越しに見つめあう。
白夜は言葉をこぼれ落とした。
「ミミ……?」