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29話 太陽(ターニングポイント2)

 数ヶ月前の夏休み。

 キリは部屋にひとりで、シュタインブレイドのゲーム実況動画を流していた。

 リビングからは複数人の声がする。明るい会話。


 しばらくして複数の足音が近づいてきた。

 スマホの音量をさげる。

 ドアがノックされた。


「キリ兄」


 動画を一時停止し、息をひそめる。布団の上で身じろぎもしない。

 ふたたびノックされた。


「起きてる? 今友だち遊びにきてんだけど」


 歯ぎしりする。呼吸が乱れる。ざわつく胸を押さえ、ヘッドフォンをつける。なにかしゃべっている声や、たまにノックする音だけはきこえるが、内容はすべて遮断される。


 なかなか終わらず、苛立ちにたえられなくなってきた。キリは動画を再生し、音量を最大にする。ヘッドフォンをしていれば小音だが、廊下の人形たちにとっては騒音となるはずだ。


 少し待って音量をさげる。ヘッドフォンをとる。

 気配が去ったことを確認し、動画視聴にもどった。





 太陽がキリを見すえ、キリは目をそらす。


「なんで……学校……」


「心配だったんだよ」


 太陽は目をそらさない。


「最近ようすおかしかったじゃん。とくに昨日とか。なんとかスクールから帰ってきてから。母さん、キリ楽しそうだったっていってたのに、帰りの車でも、ゲームもせずになんか考えこんでたって。オレからみても変だし」


 言葉がのどを通らない。


「ヤバいことに巻きこまれてたりしないよな。キリ兄、ずっと家いるし、ゲームとかネットやって、顔も知らない人たちと関わってんだろ。最近外出増えたのも、闇バイトとか、なんか、そういうのじゃないよな。ヤクザとか、そっち系のヤバいやつらと関わって、縁切れなくなったとかじゃないよな。なあ、なんか困ってんなら相談してくれ」


 視線は噛みあわない。


「おい、キリ兄、きいてんのか。こっち見ろって」


「……んねえよ」


「え。なんてった」


 キリは歯ぎしりする。


「おまえにはわかんねえよ」


 重く声を荒げた。

 太陽が立ちあがった。


「いわれなきゃわかんねえよ」


 突然叫ばれ、心臓がはねる。

 太陽の顔を見やる。けわしい表情だった。

 キリは視線を落とし、肩をすぼめる。


「……うが」


「は?」


 威圧的な太陽の声。頭に急速に血がのぼる。


「おまえのせいだろうが」


「は? なにがだよ。なんもしてねえだろ」


「勉強も運動もできて、みんなに囲まれてる。おまえはほんとうの家族だから……ぼくはちがう」


 目をあわせないまま怒鳴る。


「だれからも生きることを望まれてない。ほんとうの親には棄てられたし、今の親も子どもがいないから縁組しただけで、すぐ実子(おまえ)が生まれて、邪魔になった。おまえは望まれて生まれた。しかも偽物よりなにもかも優れてる。ぼくは、ほんとうの子どもじゃないから。なにも期待されてない。髪の色も眼の色もちがう。無駄に金がかかるだけ。そのせいでふたりは離婚した。ぼくがいなければもっと負担は少なかった。母さんの家事も半分でよかった。父さんも残業しなくてよかった。休みが増えてストレスもたまらなかった。喧嘩もしなかった。父さんが浮気することもなかった。おまえがもっと早く生まれてれば。おまえが」


 声が脳裏を吹き抜ける。


 ――おまえもがんばれ。太陽を見習って。


「おまえが」


 ――太陽と比べなくてもいいから。

 ――キリもやればできるって信じてる。


「おまえさえ生まれなかったら」


 ――まったく弟とは大ちがいだな


「なんで」


 ――ああ、ほんとうの家族じゃないんだったか。


「なんで生まれてきたんだよ」


 自分の声で、意識が現実にかえってきた。

 呼吸が荒れる。鼓動がバクバク鳴る。


「おまえが生まれなければ、ぜんぶよかったのに」


 顔をあげられない。太陽の顔が見れない。

 呼吸を調える。自分がなにをいったのか思いだす。とりかえしのつかないものが外にもれだし、代わりにいばらのような罪悪感が流れこんできて胸を突き刺す。頭にのぼった血がひいていくのを感じる。冷静になっていく。落ちついてくると頭が整理される。発した言葉の裏側にあるものが見えてくる。


「……ちがう。ほんとは」


 ほんとうに思っていたことは。


「おまえだけならよかった」


 裏にあった言葉があふれでた。


「ぼくが生まれなきゃよかった。ぼくが生まれたのがまちがいだった。ぼくを拾ったのがまちがいだった。棄てられたまま死んでたら、こんな苦しい思いをすることもなかった。母さんや太陽たちと家族になることもなかった」


 あふれだした言葉はコントロールを失う。自分でもとめられなくなる。


「おまえは正当な遺伝子をうけ継いでる。ほんとうの親に、生まれてくることも、生きることも望まれてる。友だちもたくさんいる。ぼくはだれからも必要とされてない。欠陥品にしかなれない。だからぼくは」


 これから、人殺しになるしかない。

 キリはリビングを抜け、玄関にむかおうとする。


 太陽は小学生のころを思いだしていた。



 小学校の教室。昼休みの給食。


 ――太陽の兄ちゃん不登校ってマジ。


 太陽は箸をもった手をとめた。


 ――あーうん。マジマジ。


 ――えぇ、ヤバくね。

 ――社会不適合者じゃん。


 太陽はもやっとしたが、その場にあわせて笑った。


 ――だよな。ヤバイよな。



「兄が不登校なの、ずっと恥ずかしかった」


 キリは足をとめた。横目に弟を見た。

 太陽はうつむいていた。


「だけど」



 中学の夏休み。

 チャイムが鳴り、太陽は玄関をあけた。


 ――よっ。


 同級生男子だった。リビングに案内する。


 ――親は。


 ――仕事。


 ――マジか。夏休みなのに大変だな。


 太陽をふくめ、これで五人そろった。男子3人、女子2人。

 五人目の男子が軽い荷物をおろす。


 ――そいや太陽の兄ちゃんってまだ不登校なんだっけ。


 ――あーまあ、そうだけど。


 ――今もいんの。


 ――たぶん。


 ――なんで学校こんの。


 ――さあ。


 ――家族もわからん感じ。


 ――んーまあ。


 ――じゃさ、ちょっと話してみん。


 ――は?


 ――この機会だし。太陽だって兄ちゃんがずっとひきこもってんのは心配っしょ。


 ――まあ、そりゃな。


 ――おれらも協力するから。な。


 キリの部屋の前に五人がきた。太陽がノックする。


 ――キリ兄、起きてる? 今友だち遊びにきてんだけど。


 音がしない。ドアに耳をあてがう。なにか物音がする。


 ――ど、寝とる?


 ――ちょっと音する。起きてるかも。


 ――てことは無視?


 ――まあ、急に話しかけてもな。


 ふたたびノックした。


 ――おーい、なんか返事してほしいんだけど。


 それから何度かよびかけ、ノックをしても無反応だった。

 やがて大音量の動画が流れ、五人は追いだされるようにリビングにもどった。


 ――なにあれ。やな感じ。

 ――こっちは善意でやってんのにな。

 ――あんな性格じゃそら友だちできんわな。


 笑い声。男子ふたりと女子ひとりが悪口をはじめる。

 太陽はなにかいいたかったが、なんといいたいのかわからず、愛想笑いをうかべることしかできなかった。


 ――太陽も大変だな、あんなのが兄で。


 もやっとする。でもなにもいえない。最適な言葉を見つけられない。



「ほんとうは」



 ――善意が絶対正義ってわけでもないっしょ。


 ふたりめの女子がいった。


 ――裏切られて傷ついたって気持ちはわかるけどさ、自分が傷ついたからってそれが相手を悪くいっていい理由にはならなくない?


 太陽は目をみはる。その短髪の女友だちを見やった。

 三人は悪口祭りを中断し、太陽に目をむけた。

 短髪の女友だちと視線がぶつかった。太陽は目をそらしてしまう。


(あはは、たしかに大変だなぁ。精神不安定だから気を遣わんといかんしさぁ。兄がひきこもってるってなんかうしろめたさもあるし。まあでも、ナナのいうことも一理あるかもなぁ)


 それを言葉にしようとして、口を閉じた。


(そうじゃない)


 短髪の女友だち、ナナが太陽を見ていた。

 太陽は息を飲みこんだ。


(そういうあたりさわりない言葉じゃなくて)


 静かに深呼吸する。


(オレ、ほんとうは)


 あらためて口をひらいた。



「キリ兄がそうやっていわれんの、めちゃくちゃ悔しかったんだよ」


 太陽がしぼりだすようにいった。

 キリの瞳がかすかにゆれた。



 ――本音いっていい。


 四人の視線が集まってきた。太陽は無言の肯定としてうけとった。


 ――えっと、うまくいえるかわかんないんだけど。


 しゃべりながら言葉をさがす。


 ――オレは、キリ兄が学校から逃げたとか、性格悪いから友だちできなくて不登校になったとかじゃなくて。学校がキリ兄を迫害したんだと思ってる、っていうか。


 沈黙にうながされる。


 ――学校じゃ、キリ兄は自分らしくいられなくて、学校に殺される前に、自分で不登校をえらんだって気がしてて。


 言葉にすると、今までほんやり思っていたことが、少しずつかたちになっていく。


 ――だから、それってさ。



「自分らしさをえらぶ強さがあるってことだろ」


 太陽はキリを見すえた。


「キリ兄は、だれよりも強くて」


 太陽の脳裏に、幼少期に遊んだ記憶がよぎる。


「優しくて」


 ゲーム中、過集中した幼キリの眼差しと、無邪気に笑うその表情。


「純粋で、まっすぐで」


(そうだ。オレはずっと)


 腹の底から言葉がわきあがった。


「オレの、最高の兄なんだよ」


(そう、いいたかったんだ)


 太陽は笑いながら、涙を流していた。

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