28話 ゆるスクール 後
階段の踊り場。調理室の騒がしい声は届かない。
キリと希は階段に腰をおろした。
「ちょっと話をきいてもらいたいんだけどさ」
ききたい、じゃなくて?
内心でそう思ったが、なんて返答すればいいのかわからない。
希はかまわず話しはじめた。
「わたし、今、中3じゃん。だから来年はスクールの高等部に進んで、個人事業主として起業するための専門教育をうけるつもりなんだよ。天長、そういうのもやってんの。知ってた?」
「テンチョーって、スクールの責任者の人だっけ」
「うん。木内天長」
「起業の教育」
「そ。わたし、学校つくりたいんだよね」
「……教員になる、とかじゃなくて」
「ここみたいな場所を増やしたいんだよ。一般的な学校とちがって、みんなが自由に学べるオルタナティブスクール。フリースクールとかみたいな、学校復帰のための休息の場とかじゃなくて、既存の学校に代わる新時代の学校。今ある学校を変えるより、あたらしい学校をつくるほうが現実的だと思うからさ」
希がキリに笑いかける。
「天長の受け売りだけどね」
キリは沈黙を続ける。
「あたらしい学校は、今の学歴社会、競争マウントゲームからはずれた生きかたを提示する。なにかひとつの評価システムじゃなくて、個人個人が自分にできることを、他人と比較せずにとり組むことを。そうしてみんなの世界をひろげたい。それが教育の役割だと思うから」
キリはうつむいたまま聴く。
「少しでも多くあたらしい学校をつくって、そうやって選択肢の輪がひろがっていけば、ひとりひとりが自由に自分で選択できる力を身につけられるようになれば……理想は、教育格差と貧困をなくしたい」
世界から音が消えたかのような静寂。
希の深呼吸がきこえる。それから彼女は背中を反って天井を仰いだ。
「……自衛隊だった父が、あの大震災で死んで」
声調が落ちる。
「貧しい生活になって、なにもうまくいかなくなって……この社会はクソだと思った。不完全で、不合理で、不条理ばっかで……自殺未遂とかしたこともあった」
キリは、はじめて希のほうを見た。
「医療費ヤバくて、二度とやらなかったけどね。あのときはマ……お母さんに迷惑かけちゃった」
視線がぶつかった。
希の曇りなき眼差しがこちらをのぞいた。
「でも今は、やりたいことがある。未来の子どもたちを、同じ道に進ませないように」
キリはとっさに目をそらす。
「あのときのわたしと似た目してる」
希の声調が変わる。
「なにかを深刻に考えてない? もうこれしかないって思いこんでない? どんなときにもほかの選択肢はあるよ。もしなにか選択になやんでるなら、それが自分にとってほんとうに最善の道なのか、自分自身に問いなおしてみて。自分の心にきいてみて。今日が初対面だし、わたしの言葉は届かないかもしれないけど、でも、これだけは絶対わすれないで」
希は自分の胸に手をそえた。
「この世界に、きみの味方はたくさんいるよ」
キリは床を見つめる。天井からの光で、ふたりぶんの影がさしている。
足音が近づいてきた。
「おっ、こんなとこにいた」
天長だった。
「ふたりとも、ふりかえりの時間だよ」
午後2時をすぎていた。
午後3時。掃除が終わって子どもたちは帰っていく。
「ありがとうございました」
母と天長があいさつし、キリも帰りの車にのった。
運転しながら母がきいてきた。
「今日どうだった」
キリはぼんやり景色をながめていた。
「まあ、楽しかった」
「ほんと。よかったぁ」
(これたら、また、きたいと思った。それはほんと)
信号が黄色になる。母はアクセルをふんだが、やっぱり間にあわないと考えなおし、強くブレーキをふんで横断歩道ぎりぎりでとまった。
「ごめんごめん」
前のめりになったキリは、停車したあと座席にもたれかかった。
(ぼくだったら、ブレーキはふまなかった)
★
――当日――
翌朝、午前9時ごろ。
「モーニングいってきまーす」
祖母がキリにきこえるようにいった。祖父母は車にのって出かける。
その音をきいてから、キリは服を着替えた。ふたつめのスマホをもち、アプリをひらく。中学校の多角的な映像が表示される。
罪咎義団とやりあった日の夜、山崎章央にフレンド申請したキリは、プライベートエリアで安理真由良とふたたび会話した。真由良のハンドルネームはイヴ。アバターは両肩から蛇を生やす中性的な人間だった。
――こちらでしかける小型カメラの映像を確認できるアプリを用意しましょう。アプリはダークウェブのメッセージソフトにリンクを貼っておきます。ソフトのパスワードは量子暗号通信で送りますね。HS機関からの監視役はわれわれがひきつけておくのでご心配なく。それから透明化の方法ですが――
家の廊下を歩く。
ゆるスクールのみんなを思いだす。希との会話がこだまする。
(ぼくは、彼らも、裏切ろうとしている)
リビングのドアをあける。
テレビにアニメが流れていた。
ソファにすわる太陽がキリを見やった。
「はよ」
キリは立ち尽くした。
兄と弟の視線が交錯する。
「……が、学校は」
「休んだよ」
「……なんで」
太陽はキリの服装を見すえた。
「キリ兄、どっか出かけんの」




