21話 堕天使
「黒岳イグルです。こっちは覇暮狼牙」
狼牙は顔に傷があって目つきも怖い。次元霊はつぶらな瞳の三頭犬。
イグルは優しげだが、なぜかバナナを食べている。次元霊は左右の翼に眼がついたもの。
イグルがバナナを飲みこんだ。
「よし、じゃUターンしよっか。逃げられる前に確保したい。人数は同じ。このメンツなら勝てるっしょ」
「次元力の残量少ないから戦闘になったらヤバいかも」
白夜がつぶやいた。
「そんな消費したの」
「攻撃回避に“掩蔽星蝕”使っちゃって。透過効果を早く全身にめぐらせなきゃなんなかったから、あえてゲシュタルトをゆるめて、大量の次元力を節約せずにごっそり投じるしかなかった」
イグルは狼牙と目を見交わし、ふたたび白夜を見やる。
「短期間は闘れる?」
「多少は」
「じゃあ最悪逃げればいいね。むこうはこっちの状況を知らないだろうし、全員が戦闘向きの次元法式ってわけでもないっしょ。レツゴ」
五人で駆けつけたときにはすでに人の気配はなかった。
念のため全員神依したまま。
イグルが六体の人形を見つけた。
「なんだこれ」
機械をとりだして調べる。
「爆発物じゃあないっぽいけど」
白夜はさっきの戦闘中キリに近づいた人形を思いだす。
「人形にふれたものを移動させる次元法式かも。ここに人形があるってことは瞬間移動ってより交換かな。罠の可能性もなくはないからふれちゃだめ」
「オレがたしかめてやろう」
狼牙が刻印の描かれたカードをかざす。
「“斬魔装招来・斬魔槍”」
カードが光って槍になった。その槍ですべての人形を突いていく。
白夜がキリに近づき、声をひそめる。
「あいつの次元法式は次元力を消滅させる。機械じゃ検出できない次元法式の罠がしかけてあっても、ああすれば安全確認になるってわけ」
「あーそういう」
★
氷水家の近くで停車した。運転席にイグル、助手席に狼牙、後部座席にキリと白夜。
イグルがふりむく。
「今日からしばらくキミとその家族に護衛をつけるよ。危害がおよぶかもしれないからね」
キリはうなずいた。
「くわしいことはまた明日話そう。家族の人が心配してるだろうし、今日は帰っていいよ」
「私が送ってく」
白夜もいっしょに車をおりた。
はるひが玄関をあけた。
「おかえり」
視線をキリからそのとなりにやる。
「そちらは」
「キリくんのゲーム友だちです。さっきぐうぜん会って」
「あーさっきたずねてくれた」
「あ、はい。帰るのが遅くなってすみません」
「いえいえ、全然全然。キリと遊んでくれてありがとうございます」
仮面をスルーする母にキリは苦笑い。性別も不自然に思われていない。
白夜がキリに手をふる。
「じゃ、また明日」
キリも軽く手をあげた。
「はい。じゃ」
キリは部屋に入った。
スマホをとりだそうとして、指先が紙切れにふれた。
数字とアルファベットがランダムに書いてあった。
『おれのパンドラのID
フレンド申請まってるぜ
山崎章央 HN サマエル』
目をみはる。思わず紙切れを落としてしまう。
いつのまに。
ドクンと鼓動が速まる。
夕食中、母がキリに話題をやった。
「キリ、明日もあの人と遊ぶんだよね、ゲーム友だちの」
「ん、うん。そうだけど」
「あさってのことおぼえてる」
「……なんとかスクール」
「ゆるスクールね。ど、いけそ」
「さあ」
――学校支援してる人から教えてもらって。
白夜の家にいく前、母のいったことを思いだした。
――オルタナティブスクールっていうらしいんだけど。学校にいくことも宿題とかも強制されないんだって。どう、ゆるスクール。
いけたらいきたいけど。
あのときはそういった。興味がないこともなかったし。
でも、今は。
「急いで決めなくてもいいよ。当日でも大丈夫だから」
母は微笑んだ。
「でもママは、キリといっしょにでかけるの楽しみにしてるよ」
夕食後、風呂に入り、歯を磨いて、いつもの三人と“パンドラ”で遊び、ベッドに寝転がった。
ひきだしに隠した紙切れを意識する。布団をかぶってまるくなる。
グラウンドで小学生人形たちが遊んでいる。
大量に残ったグリーンピースとロールキャベツ。
窓の外からドッジボールやおにごっこの声。
静かな教室にはキリだけがいた。
グリーンピースの数を数える。
ロールキャベツを切りきざむ。
床のタイルがどのようにならんでいるか観察する。
うしろの壁に貼られた習字に点数をつける。
夏の暑さに汗が噴きだし、水筒のお茶を飲む。
冷房のきいた職員室から担任人形がもどってきた。
「ぜんぶ食べるまでずっとそのままですからね」
ふたたびだれもいなくなる。
しばらくしてチャイムが鳴った。
生徒人形たちがもどってくる。すわったままのキリに視線が集まる。
彼らの言葉と視線を認識しないよう、寝たふりをして、頭のなかで妖怪大戦をくり広げる。
掃除がはじまる。キリ以外の机と椅子がさげられる。
ほうきで足をはたかれる。雑巾がぶつけられる。
(ずっと)
空き教室。
投げつけられた教科書が床に落ちた。
「痛っ」
紙がキリの頬をきり、赤い線がじんわりと熱くなる。
魚のエラみたいにほっぺたの垂れた教頭人形にねめつけられる。
「宿題はちゃんとやってこい」
教頭人形は深いため息をつく。
「まったく弟とは大ちがいだな。ああ、ほんとうの家族じゃないんだったか」
(ずっと)
女子人形が教室で泣く。
それを守るように女子人形らが立ってキリを囲んだ。
「女子に暴力とかサイテー」
「だってそっちが先に」
「は? いいわけとかダサ」
突き飛ばされ、冷たい声が台風のように浴びせられる。
視線視線視線視線。
(ずっと)
騒音の嵐が、耳の奥にこだまする。
(ずっと思っていた)
布団のなかで、キリは目をあけた。
(こいつら全員、殺したいなって)
最後に登下校した日、荷物を置き去りに学校を離れ、家に帰って部屋にこもり、静かな部屋で「死ね死ね死ね死ね死ね死ね」と疲れるまで唱え続けた。
何度もくり返したシュミレーション。殺すことには成功しても、ささいな盲点が証拠となって捕まる。アリバイ工作やトリックに凝れば凝るほどコントロールが効かなくなって盲点は増える。単純な殺しだとDNA鑑定や目撃情報、防犯カメラの記録から捕まる。
夜の静寂。
(いつか)
今日の出来事が脳裏を駆けめぐる。
(死ぬまでには殺す)
山崎章央の顔がよぎる。
(もし自殺したくなったら、その前に全員殺す)
手をさしのべる安理真由良の眼差し。
(その誓いが、あいつらが生きているという苦痛を、少しだけ、やわらげてくれた)
――あなたに殺したい人はいますか。
高校にいったとする。卒業後、大学にいって就職したとする。あいつらも同じように生き、同じ世界の中で空気を吸う。成功者になるやつもいるかもしれない。そんなことがゆるされる社会。その一員となって生きていく。
――その人を殺しても捕まることはありません。
それはきっと、ぼくには耐えられない。
――世界に叛逆しましょう。ともに自由を生きましょう。
布団からはいでる。ひきだしをあける。
パソコンをひらく。山崎章央のIDが記された紙切れを横に置く。
深呼吸する。キーボードをたたいた。
★
月がしずみ、太陽がのぼる。
――2日前――
チャイムが鳴った。
「キリ〜、ゲームの人きたけど〜」
母の声がした。
(あーそっか、今日約束してたんだっけ)
キリが玄関をあける。
仮面の女。二次元平面のカメレオン。
現実認識に覆いかぶさっていたフィルタが消えた。
「あ、白夜さん」
「おは。やっぱ十三夜の日からは認識阻害が甘くなるね」
白夜の住むマンション。そのエレベーターの電子パネルにカードキーをかざし、存在しないはずの地下二階におりた。秘密の訓練場には、七人の男女と六枚の次元霊が待っていた。
「ミァハ☆」
ただひとりふつうの人間。遠目からは幼児に見え、近づくにつれて老婆かと思えば、はっきりすがたが見える距離までくると幼い容姿で、しかし古老の雰囲気をまとっていた。
「やあやあキミが氷水桐ちゃんだねぇ〜」
ちゃん。
面食らうキリに彼女はウインク&ピースサインを決めた。
「HS機関日本支部代表の益田天だにゃ。よろピクミン☆」