19話 ギュゲスの指輪
白夜は深呼吸する。
「あ、あの、ここって、その、氷水さんのお宅でまちがいないでしょうか」
《はい。そうですけど》
「あ、では、キリくんって今いますか」
《……今は留守にしてますけど。あなたは》
「あ、すみません。わ、私は、ミ……キリくんのゲーム友達なのですが」
《あーもしかしてキリを泊めさせてくれた》
「あ、はい、そうです、けど。今いないんですね」
《もうじき帰ってくると思いますけど》
「わ、かりました。また出直します」
《伝えることがあれば伝えておきますよ》
「あーいえ、だいじょうぶです」
《そうですか。キリが帰ったら、きたことを伝えておきますね》
「ありがとうございます」
インターホンがきれた。
残念と安堵が半々のため息をもらす。
太陽に背をむけ、帰路についた。
★
「日本代表といっても、めざしているのはオリンピックでなく、世界の終焉なのですけれど」
きゃははは、とゴスロリギャルの笑い声がひびく。
無反応なキリを安理真由良が見つめる。
「どうされました。今のは笑うところですけれど」
笑えるか。
章央が椅子にもたれかかる。
「オレはんなもんに興味ねえがな。好きに生きれりゃなんだっていい」
「きゃはっ、マジそれ〜」
「罪咎義団は組織っつってもメンバー共通の理念なんてものはねえ。ふつうに生きられなくて、社会に殺されたくねえ社会不適合者が自由を求めて集まっただけ。仲間っていいかたは正しくねえかもな。互いの自由のために互いを利用しあう集まりってだけだ」
といって真由良を見る。
「それでいいんだろ」
「ええ、かまいませんよ。われわれはあなたがたの自由、この世に生まれた意味を守ります。代わりにわれわれが求めたとき、ほんの少し協力してくれさえすれば」
「いぇーいっ」
真由良は五人を見まわし、キリに目をとめた。
「あなたはどうでしょう。この世界が楽しいですか」
即答できない。
「自分の心を殺し、他人が決めたルールの奴隷として働き、苦しみ続ける人生を送りたいですか。それを拒み、社会から迫害され、負け犬と蔑まれ、何者にもなれず、孤独な最期を迎えたいですか。今のままではこのどちらかの道しかありません。あなたはそんな人生を歩みたいですか。生まれてきてよかったといえますか」
「だ、だからって、人を殺していい理由にはならない」
「人を殺すのに理由が要りますか」
キリは目をみはった。
「……そ、そういうことじゃ、ない。人は殺しちゃだめだろ」
「なぜですか」
「だって、それは……殺された人にも人生があるし、死んだら哀しむ人がいるし」
「動物や植物にも生があり、死んだら哀しむ家族や友達がいるかもしれません。殺しを禁止すれば餓死するしかなくなりますが」
「それは、生きるためにはしかたないことで……でも人殺しは食べるためじゃない」
「生きるために人殺しが必要なこともありますよ」
「無差別殺人のどこが生きるためだよ」
真由良が章央を見て、章央がキリを見る。
「おまえも“パンドラ”をやってんなら六素性は知ってんな」
「それが」
「オレは極端な外向性質をもって生まれた。ドーパミンがでづれえわけだ。なにをしても心拍数があがらねえ。心拍数が低いままじゃ不快感も消えねえ。刺激を求めて賭博や女や麻薬なんかもヤッたがすぐ飽きた。経験済みの刺激にオレの肉体はドーパミンを分泌してくんねえんだ。すべてが空虚だった。死んだら初期化される“パンドラ”はなかなかスリルもあったが、しょせんゲームだからな。安全圏にいるんじゃ慣れてきちまう。だが“パンドラ”はオレに恩寵をくれた。それまでもゲーム内でいろんな犯罪をしたが、ある神託教会から勧誘されてな。犠式をうけて影魔と契約できた。そんで現実にもどったとこを」
真由良に視線をやる。
「そいつに勧誘された。遺伝子組み換えして次元者になりませんかってな」
続けていった。
「デスゲイズ、神依」
次元霊装をまとう。
「“死神の鎌”」
大鎌をだした。怨霊たちの不協和音がとりまく。
「この力を得てから現実ではじめて人間を殺した。そんときの快楽は、あぁァ最高だったなァ。生まれてはじめて心臓が高鳴った。食ったり寝たりセックスするだけで快楽を得られる人間にゃ想像もできねえだろうな。人殺しは毎回場所も人もちがうからか、殺すたびに危険度があがるからか、何度ヤッても飽きずにドーパミンがドバドバ出やがる。オレは殺人なしじゃ生きてる実感を得られねえのさ。殺人だけが、この虚ろな世界を彩ってくれる」
その瞳がキリを見すえる。
「わかるだろ。ここにいるやつらは、事情はちがうが、全員そうだってな」
キリはほかの四人も見まわす。目をそらしてうつむく。
「ほかの選択肢は、なかったの。殺人以外の」
「さあな。だれか知ってたら教えてほしいもんだ」
「もし、もしほんとうに……おまえが、おまえらが、そういうことでしか生きられないんなら……お、おまえらは……生まれてくるべきじゃなかった」
ピリついた視線を感じる。
「それか、生まれたのはしかたないとして、どうしてもだれかを殺さなきゃ生きられないってわかったんなら……他人を殺す前に、自分を殺せばよかったんじゃないか」
「そうだ。世界がオレに死ねって要求するわけだ」
章央は鎌をふった。怨霊たちの慟哭がひびく。
「んじゃあ、オレが世界にしたがう義理はねえよな」
怨霊たちの負の感情がキリに流れこんだ。怨念の裏には、家族や恋人や友人に対する愛情が秘められていて。
「だからって人を殺していい理由にはならない」
「ドラマかマンガのセリフを丸パクリか。おまえの言葉で話せよ。なあ、キリくんよ、おまえはちがうってのか。ありのままのおまえは、世界に存在をゆるされてんのか。ゆるされてねえから不登校になったんじゃねえのか」
同級生人形たちの視線がひらめく。
「氷水桐さん」
真由良が微笑んだ。
「人を殺せば哀しむ人が増える。それはわかります。しかしだからといって、今苦しんでいる人々に忍耐を強要していいのでしょうか。加害者がのさばり、被害者が忍耐しなければならない世界は正しいのでしょうか。弱者を虐げる世界が守られるべきなのでしょうか」
「だ、だから人を殺しちゃだめなんだろ。怨みが争いの種になるせいで平和にならない」
「ではあなたは、世界に死ねといわれたのなら、おとなしく死んでいいのですか」
言葉につまる。
「世界はよくなりませんよ。政治家に文句をいっても無意味です。これまで世界がよくなったことなど一度もありませんから。すべては等価交換なのです」
「そんなこと」
「現代の情報化社会はかつてアクセスが困難だった情報を手軽に知れます。ですが成功者と自分を比較して劣等感に苛まれます。誹謗中傷が実際以上に大きく見えます。プライベート空間のはずの自宅でもSNSを通じて人間関係に気を遣わなければなりません。次元力と同じです。資源にはかぎりがあり、どんなことにも費用はかかります。代償のない利益はありません」
ゆるやかに歩み寄ってくる。真由良は少しかがんで目線をあわせた。
「”ギュゲスの指輪“を知っていますか」
見つめられて居心地が悪くなり、キリは足もとに視線を落とす。
「プラトンの著書『国家』にある比喩です」
真由良がキリの手をとり、するりと指輪を奪った。
虚をつかれて硬直するキリだが、
「ここに透明になれる指輪があるとしましょう。これをはめればいかなる犯罪も気づかれません。他人の家に盗みに入っても、だれかを殺しても、決して捕まらない。それでもあなたは、悪事を働かないことを選択しますか」
語りながら真由良は指輪をもとにもどした。
キリは顔をあげ、自然と目があう。
手をにぎられ、近距離で見つめられる。近すぎて顔をそらせない。
真由良は微笑む。
「あなたに殺したい人はいますか。その人を殺しても捕まることはありません。代償やリスクはわれわれが肩代わりしましょう。場も用意します。ピンチになっても助けましょう。いかなる望みも叶えましょう。あなたの自由は保障します。わたしはただ提案するだけです。この選択もあなたの自由です」
真由良は少し離れ、優雅に手をさしのべた。
「世界に叛逆しましょう。ともに自由を生きましょう」
キリはその手を見つめる。
自分の手を伸ばそうとして。
そのときだった。
「“掩蔽星蝕”」
外から建物が斬られ、くずれ落ちる代わりに透過する。
壁をすり抜け、次元霊装をまとったふたりの次元者があらわれた。
「“爆雷”」
髪の逆立った男が放電し、壁や天井や床がめちゃくちゃに爆ぜる。
煙に覆われた密室で、キリの手がつかまれた。
「ミセリアくん」
月剣をたずさえた仮面の女だった。




