14話 夜の運動
「今日から私と夜の運動をしよう」
キリはため息をついた。
「運動かぁ」
「ありゃ、もっとおもしろいリアクションしてくれると思ったのに」
「え、なにが」
「お姉さんと夜の運動だぞ」
「それがどうしたんですか」
曇りなき眼だった。
純心無垢な眼差しによって白夜は浄化され、その場にくずれ落ちた。
「……穢れた心でごめんなさい」
「どうしたんですか」
「人の成長が地球環境を汚染する」
「は?」
「中学生の純粋さが環境破壊を止めるんだ」
「なんの話?」
上弦と三日月のあいだの月が、夜の世界を見下ろす。
キリは仰向けになって激しく息をきらしていた。玄関で倒れたまま靴を脱ぐ体力もない。
スポーツウェアを着た白夜に見おろされる。この角度からだと肉体のかたちがよく見え、ほんのり流れる汗にも艶めかしさを感じる。目のやり場に困り、疲れたから目をつむるふりをした。
「無理させすぎちゃったかな。ごめんちゃい」
彼女はまったく息切れしていない。ひきこもりなのになんでそんなに体力あるんだ。
「HS機関の次元者として命の危険もあるし、準備は万全にしときたいし、ゲーマーとしても体力と筋肉は重要だしねぇ。世界ランク1位、ガチにめざしてますから」
汗が衣服にはりついて気持ち悪い。
「風呂先入る?」
「……はい」
翌日曜はゲームとトレーニング。月曜からは日中に小説も読み、夜の運動をしたあとは風呂に入って夕飯を食べてぐっすり眠った。
――5日前――
目覚ましアラームが鳴る。
知らない天井だ。日付は木曜日。
アラームのラベルに『シュタインブレイド 如月白夜 泊まり』と書いてあった。
「あ、そうだ。ゲーム友だちの家に……シュタブレさん。そうだそうだ、認識阻害の能力があってわすれてたんだ。えーと、白夜さん、だよね。うん。今日も思いだせた」
日に日に思いだすのが容易になってきた。さすがに何日もいっしょに暮らしている相手を知らないっていうのは矛盾が大きすぎるからだろうか。
着替えてからトイレにいき、リビングにきた。
白夜が真剣な顔つきでテレビを観ていた。
《えー複数県をまたいでいることから、組織犯の線が濃厚と見られます。えーしかし手口に関しては、サイバー局は単独犯だと算出しました。警察では合同捜査本部を設置し、各都道府県警察本部と連携し、どちらの線も考慮にいれて捜査しています》
《はい。ありがとうございました》
女性アナウンサーのカメラ目線。
《止まらない連続首切り事件。単独犯か組織犯か。犯人の目的は》
CMに入る。白夜がこっちに気づいた。
「あ、おは」
「お、おは」
いっしょにご飯を食べてくれるようになったが、鼻から上は仮面に覆われたまま。口もとで笑顔なのがわかる。食事中は口だけでも見えるからいい。朝起きたとき、ちゃんとおぼえてるとうれしそうにしてくれる。仮面をとったら案外表情がわかりやすいのかもしれない。
キリはお茶を飲み、クロワッサンにハムをはさむ。焼くのはめんどくさいので生のまま。白夜も食べていないようだから、ついでにふたりぶん用意してもっていった。
「お、用意してくれたの。悪いねぇ」
「いいですよ。ついでだし」
「中学生に朝飯用意させるとは。なんて背徳感」
白夜は録画リストからアニメを再生した。キリも彼女のとなりにすわる。
――止まらない連続首切り事件。
さっきのアナウンサーの言葉がよみがえる。殺された人々のおそれ。遺族の哀しみ。それらをリアルに想像してしまう。気持ち悪くなり、お茶で流しこんだ。
「さっきの事件って」
「『死神』は次元者だろうね」
「やっぱり。敵対組織ってやつですか」
「たぶん。単独犯であり組織犯ってとこか。HSも捜査してるけど、警察とちがって人手ないし、敵も遺伝子組み換えで次元者をつくれる技術力がある。現実でもデータでも痕跡を残さない。今のところ手がかりなし」
「目的はなんなんですかね」
「無差別殺人。最近次元者になったやつだろうね。ふつうこんな過激派はすぐ見つけて消せるから、必然的に敵の組織に残るのは穏健派だけになる。穏健派っていっても目的は人類滅亡らしいけど」
「人類滅亡?」
「反出生主義って知ってる?」
「あーなんか、人は生まれないほうがしあわせ、みたいな」
「まあそんな感じ。その過激派。組織の穏健派も反出生主義界隈じゃ過激派になる。積極的に現生人類を滅ぼして、そしてだれもいなくなった、ってするのが正しいって信じてる連中」
「え、なにそれ。やばいじゃん」
「だからそれをとめるのがHS機関ってわけ」
「なるほど」
「でも今回のやつは過激なだけじゃなく賢い。HSも苦戦してるみたいね」
「……なんか他人事」
「私ができることはなんもないし。そりゃ人が殺されるのを黙って見てたくはないけど」
沈黙のなかをアニメの音声だけが流れる。クロワッサンを食べながらテレビをながめる。
血まみれの首なし遺体。被害者や遺族の叫び声。
脳裏にうかんだ映像をふりはらう。
明るい声をだした。
「あ、そういえば小説、最後の一冊も読めました」
「おっ、どうだった」
「読みやすかったです。一般小説?って文章硬くて読みにくいイメージあったけど、なんならラノベのほうが読みづらいかもなって。内容もおもしろかった」
「でしょ」
「ちょっとナメてました。マンガにはあんまりないよさもあって」
「まあ、ものによるけどね。文章読みやすくて内容も重すぎなくて、ほどよくテーマ性あるやつ厳選したから。直木賞とか芥川賞系はふつうに読みづらいと思う。小説読まない人のイメージはそっちだろうね」
「あー」
クロワッサンを食べ終えた。
白夜はスポーツウェアに着替えてきた。玄関で履いた靴のつま先をトントンたたく。
「んじゃ、いきますか」
エレベーターのボタンを指定の順に押し、電子パネルに特殊なカードキーをかざす。すると存在しないはずの地下二階におりた。
「ここが秘密の訓練場」
「おお」
広い空間を見まわす。
「ぼくが入っていい場所なんですか、ここ」
「……問題ナッシング」
「今の間は」
「なはは、ダイジョブズだよスティーブ」
「ほんとかなぁ」
「遅かれ早かれ、キミもどうせHSに入るんだし、問題ないって」
「え、HSに入るって」
「そりゃ次元者を野放しにはしとけないからね。あ、もちろん高校とか大学いきたいならいけるし、やりたい仕事があるならやってもいいよ。兼業OKだし」
HS機関。高校。大学。仕事。
失敗したあやとりのように頭がこんがらがる。周りの景色が遠ざかる。なにも考えられなくなる。自分にはなにもないから。なにもないくせに、危険なことはしたくない。
こんなことなら、こんな力なんてないほうが。
白夜に軽く背中をたたかれた。
「ま、今はそんなこと考えなくていいって。未来の不安より今を楽しもうぜ。そのときがきたとしても私が相談のるし、できることがあれば助けるし」
「……とうございます」
「うむ。大舟にのったつもりでいるがよい」
いつもの自堕落なすがたが脳裏をよぎる。
「……泥舟じゃなきゃいいですけど」
「なんかいった?」
「頼りにしてます」
準備体操のあと、ふたりは離れて対峙した。
「そんじゃ成果を見せてもらおうかな」
互いの呼吸がそろう。
「フェンリル」「忍三郎」
同時にさけんだ。
「神依」
――六素性でいう『律』の要素ね。堅実性、つまり感情と理性のバランス。
白夜の声がよみがえる。
――生身でも次元力を扱うことはできる。でも身体能力の限界は超えられない。
――そのエンセオスってなんなんですか。
――肉体に次元霊装をまとうんだ。名をよんだ次元霊が量子化して次元霊装に再定義される。
「さあ、手加減してやるからかかってこいや」
次元霊装をまとって白夜がいった。
悔しいけど手加減されなきゃ足もとにもおよばない。ゲームと同じで。
だからそのすきをついて、仮面を奪う。
キリは爆発的な跳躍で距離を詰め、
「“霧”」
霧をふきだして白夜の視界をふさいだ。
帰りは明日。素顔を見る機会はもうないかもしれない。
見せる気がないなら、こっちから見にいってやる。