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皇宮の婚約式

 煌びやかなシャンデリアが広いダンスホールを照らしていた。楽団が奏でる音楽の中を複数の着飾った男女が踊っている。踊っていない者はそれを壁際で静かに見ている。時折、扇の影でコソコソとおしゃべりしながら。

 華やかで明るいが、人を値踏みする視線が容赦なく降り注ぐ。たくさんの人が集まったとき独特の、この雰囲気がニーナは苦手だった。こういう場所にいると、決まってうまく息ができなくなる。少し間違えば針のむしろなのだから。

 今だってそうだ。


「見て。あのドレス」

「あら……随分古風な装いですこと。物持ちがいいのねえ」


 斜め前に立つ婦人たちの囁きとせせら笑いがニーナの耳に飛び込んできた。どれだけホールを満たす演奏が素晴らしくとも、それらは打ち消されることなく意識に刺さる。


(お願い、誰も私に気づかないで)

 

 壁に背があたるのではないかというほど端に身を寄せ、なるべく人目につかないよう背を丸める。祈るように胸の前で手を強く握り、息をひそめた。

 もしニーナの存在に気づけば、婦人たちの嘲笑の的はニーナへと移ることだろう。

 手入れのされていない髪、セットもハーフアップにしているだけの簡素なもの、ドレスは流行遅れのプリンセスライン、身につけているアクセサリーは一つもない。

 それもそのはずだ。ニーナには、世話をしてくれる侍女、自分のドレスやアクセサリー、そういった貴族令嬢が当然に持っているはずのものを一つも持っていないのだから。

 今夜は皇宮で行われる婚約式。式の主役は皇太子とその婚約者であり、招待客たちは祝いの場に相応しくあろうと入念に着飾っている。

 そんな中で、ニーナの簡素な装いは完全に浮いていた。

 今のところ婦人たちの興味の中心はダンスフロアに注がれている。彼女たちの話題は次の人物へと移った。


「見て、ベルヘルミナ皇太子妃のダンスを。なんて優雅なのでしょう」


 婦人の声に誘われて、ニーナもフロアの中心に目を向けた。

 ニーナの妹であるミーナが踊っていた。彼女こそ、この婚約式の主人公だ。

 金色に波打つ髪がシャンデリアの光を跳ね返し、キラキラと輝いている。サファイヤの瞳も同様で、楽しそうに皇太子を見つめていた。長いまつ毛に通った鼻梁、紅を差さずとも鮮やかな珊瑚色の唇、瑞々しい白磁の肌。細いウエストに長い四肢まで、美しさに必要な要素を全て備えている。


「あの美しい方が次期皇后陛下だなんて、帝国民として鼻が高いわ」

 

 婦人たちから感嘆の声が漏れる。どれだけ口が悪い婦人でも、ミーナのことを悪く言える人はいない。

 なぜなら彼女は帝国の誰よりも美しい。悪口を言おうものなら、僻みだとすぐに冷笑されるのがオチだった。美しさというのはわかりやすい。一目見ればすぐわかる。だから、そんな美しさを持つ彼女を否定する言葉は、より目につくものである必要がある。けれども、そのような弱点を形のない行動や性格の中に見つけるのは、とても難しい。ニーナが思うに、悪口を言えない理由はそれだけではなかったが。

 ミーナの完璧な美しさは子爵にすぎない両親に野心を抱かせた。

 これだけ美しければ高い身分の家へ嫁げるに違いない。そう考えた両親は全ての財力をミーナに傾けた。その代わり、ニーナには必要最低限のものすら与えられなくなった。

 そして、両親の念願叶って、ミーナは皇太子の心を射止めたのである。

 婦人たちの噂話は続く。

  

「この度の戦争もミーナ様の助言が帝国を勝利に導いたと聞いたわ」

「皇太子も戦に強い方ですし、帝国の未来は約束されたようなものね」


 美しいことで有名になったミーナだったが、彼女が持っていたのは美しさだけではなかった。彼女は大層な戦略家でもあった。

 帝国では女性は表立って政治に参加しない。したがって、戦争に参加することもないし、貴族に生まれれば職を得ることもない。

 そんな中、ミーナの持つ才能は奇抜だった。生まれながらにして、まるで帝国のアカデミーで教えられている学問を全て修めて来たかのように博学だった。軍事にも強く、これがもし男子だったら、と父親は何度もため息を漏らしたものだ。その才能が皇太子と恋人関係になることでとうとう日の目を見たのである。

 美しいだけでなく、賢さまで証明したミーナは正しく次期皇后にふさわしいと帝国の誰もが考えている。


(それに比べて私は……)

 

 それに引き換えニーナと言えば、プラチナブロンドの髪色は珍しいものの、容姿は凡庸で取り立てて人目を引くことはないし、賢さの証明どころか口下手で、考えを人に話すことすらできない。これでは両親がミーナだけに愛を注ぐのも納得できるというものだ。

 かつて、幼かった頃はニーナも両親に愛されていた。貴族の人々も、ニーナは子爵令嬢に過ぎないにも関わらず、とても親切だった。その理由を今のニーナはさすがに理解している。ニーナが美しかったからだ。

 しかし、成長するにつれ、ニーナは凡庸になっていった。人々の対応も変わった。ある時を境に、美しかったせいで集めていたらしい嫉妬を令嬢たちからぶつけられるようになった。それが過ぎると、嘲笑の的になった。昔はあんなに可愛かったのに、と噂された。

 そして、今となっては誰もニーナを相手にしない。注目されるときはバカにされるときと決まっていた。

 

(ミーナ、とても幸せそうね)

 

 ニーナはじっとミーナを見つめた。美しく生まれ、誰からも尊敬され、とうとうたった一人の愛する人すら手に入れた妹。誰もが羨む完璧な人生。

 その時だ。ミーナと目があった。


(やだっ!)

 

 とっさにニーナは目を伏せたが、遅すぎた。ミーナの目がニーナから外れることはない。タイミング悪くちょうど曲も終わった。

 きっと彼女はニーナの元にやってくるだろう。そうすれば、次に起こることは決まっている。

 ニーナが予想した通り、ミーナは皇太子の腕を取り、ニーナの方へと歩き出した。自然と人混みが割れ、ニーナに人々の視線が注がれる。

 キュッと胃が迫り上がるのをニーナは感じた。


「ニーナ!」


 ミーナがニーナに笑いかけた。

 ミーナからお姉ちゃんと呼ばれたことはない。物心ついた頃からミーナはニーナを名前で呼んでいたが、注意されてもそれは変わることがなかった。今となっては誰も何も言わない。

 隣にいる皇太子も、ミーナと同じく、口の端に笑みを浮かべていた。しかし、目は笑っていなかった。視界に入れたくなかった、という色がその瞳には浮かんでいた。皇太子がニーナの存在を疎んじていることをニーナは知っていた。

 ミーナがニーナの両手をとった。


「こんな端っこにいないで踊ればいいのに」

「いいえ……私は……」


 少しでもミーナから離れたくてニーナ身を引いた。とはいえすぐ後ろは壁だから、背中がぶつかっただけで大して距離を取ることはできなかった。

 ミーナの手は離れない。

 

「ニーナ。人混みが苦手でも、今日くらいがんばってくれないと、ね?」


 意味ありげにミーナが小首を傾げる。すると、周りにいる人々のささやきが、ニーナの耳に押し寄せた。


 ……妹が先に婚約するなんて、恥ずかしいわね。

 ……誰も彼女と婚約しようなんて人はいないわ。陰気くさいもの。

 ……皇太子殿下は待ったようよ。彼女の体面のために。でも、当の本人が。

 ……今日も見て。あのドレス、この前ミーナ様が着ていたものでしょう。

 ……もう流行遅れなのに。妹のものを奪って恥ずかしくないのかしら。

 ……常識がないのよ。ミーナ様はこんなに素晴らしいのに。

 ……


 これが貴族たちが下すニーナへの評価だった。

 しかし、どうすることもできないのだ。

 ニーナの社交界での評判は最悪で、自ら婚約を望む人など現れるはずがなかった。それに、子爵家には年頃の娘が着るようなドレスはミーナのドレスしかないのだから、ニーナが着飾るときは、そのドレスを着るしかない。ミーナが貸してくれなかったら、ニーナには着ていくドレスがないのだ。

 ニーナは耳を塞ぐことすら許されず、目を伏せた。逃げたり、泣いたりすれば、悪い評判が増える結果にしかならないことを、過去の経験から知っていた。

 ミーナが手を握る力が強くなった。


「大丈夫? 顔色が悪いわ、真っ青よ」


 ミーナはいつもこうしてニーナのことを心配する。それを見てまた周囲が騒めく。もちろんミーナの心遣いを褒め、ニーナの無能を責める内容でだ。妹に気遣われてばかりの不出来な姉。耳にタコができそうなくらい聞いてきた。

 賢いミーナが今こういう声かけをすれば、ニーナが悪く言われることに気がついていないわけがない。ミーナのこの声かけはわざとなのである。

 ミーナには、ニーナを虐げて喜ぶ癖があった。

 皇太子がこれ見よがしに声を上げた。


「これはいけない。ミーナの姉君に何かあっては大変だ。皇医を呼ぼう」


 皇太子の提案に、ニーナは驚いて顔を上げた。今退出すれば、妹の婚約式のパーティーにすらまともに出席できない姉という悪評を立てられるに決まっている。それに皇医に体調を診てもらうのも気が引けた。


「大丈夫です。そのようなご迷惑をかけるわけには……」


 しかし、ニーナが最後まで言葉を紡ぐことはなかった。

 顔を上げると、心配そうに揺れるミーナの青い瞳がニーナの目の前にあった。その輝きは極上のサファイアのようだ。とても美しい。

 その深い青の中に仄暗い光が灯った。

 

(あ……この光は……見てはダ……メ……)

 

 視線を外そうと思ったが、思うように身体が動かなかった。気が遠くなっていく。思考がミーナの瞳に吸い込まれていくようだ。

 ミーナがニーナの二の腕をさする。


「気分が悪いだけよね、ニーナ。庭園を見に行くのはどう? 満月だから夜でも楽しめるはずよ」


 皇太子が大きく頷いた。


「それがいい。今は白バラが咲いている。庭師が自慢していたよ」


 ミーナと皇太子の声が遠くで聞こえる。唇が勝手に動いた。

 

「お気遣いありがとうございます。そうさせていただきます」


 自分の声にはっとしてニーナは意識を取り戻した。


(まただわ……私、思ってもいなかったことを)


 時々あるのだ。ミーナの瞳に浮かぶ怪しい光を見たあとに、気を失っていることが。そして、気がついた時には思いもよらぬ行動をしてしまっている。

 ミーナの表情に変化はない。瞳から仄暗い光が消えていた。

 薄ら寒さを感じてニーナは自らの腕をさすった。

 ミーナはおかしい。なぜだかよくわからないが、ミーナには人を操る力があるのではないか。美しさを失った頃からだろうか、そういう考えにニーナは取り憑かれた。ちょうどその頃からミーナは社交界に顔を出し、自らの評判を上げて行った。同時に彼女へ反感を抱いた人たちは、皆自ら墓穴を掘って社交界からいなくなった。

 それがニーナには、ミーナの不思議な力によるものだとしか思えないのだ。今のニーナのように、皆、不思議な瞳の力に操られて罪を犯し、消えて行ったのではないか、と。

 しかし、こんなことを言っても誰も信じはしないだろう。ミーナの美しさが、ニーナの訴えを黙殺する。美しさは力なのだ。

 その場にいる全員が三人のやりとりを聞いていたようだ。出口を教えるかのように人垣が引く。


(いまさら、大丈夫なんて言っても無駄よね)

 

 ニーナを見る人々の目はすでに冷たい。消えれば陰口を言われるに決まっていたが、もう後の祭りだった。

 ニーナはおずおずと頭を下げ、会場を後にした。

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