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泡沫  作者: ふくマカロニ
二章
8/16

家族

「今だから話すけどね」


そう母が口火を切った。


「お父さんはねぇ。ああ見えて夕のことを心配していたのよ」

「私を心配してたってどういうこと?」


 以前だったら、どんな内容でも父に関する話題はぴしゃりと拒否していただろう。

 でも、今回だけは素直に耳を傾けたいと思った。どうしてそう思うようになったかは分からない。


 一人暮らしを経て反抗期が緩和されたのだろうか。

 それとも別の理由か。


「診療所には余命少ない患者さんも来るからねぇ。お祖母ちゃんもそうだったわ」

「…うん」


 幼少期の私が親戚の中でも特に懐いていた父方の祖母。父が診療所での入院を勧め、祖母もその提案を受け入れた。家族でお見舞いに行った日々を覚えている。 


 ぴっぴっと心電図が永遠の別れを告げた時、私はどんな顔をしていたか覚えていない。


 嗚咽する両親に手を取られて、いつもより遅い時間に歯磨きとお風呂に入ったことしか覚えていない。

 翌朝、両親の目元が腫れそぼっていたような気がする。


「お祖母ちゃんが亡くなった後、夕も随分と塞ぎ込んでいたでしょ。あの後からよ。自分の仕事を娘に手伝わせるのは酷だと、父さんが言い出したのは」

「…っ。そんなの勝手だよっ。私は…自分が苦しくても誰かの支えになりたかったっ!」


 瞬時に頭が沸騰し、母に詰め寄る。卓上の菓子類が勢い良く散らばった。


「夕ちゃん」


 陽が床に落ちた菓子を拾いながら、私をソファに戻した。年季が入って反発性が失われた座面は体重に抵抗することなく形を変える。対面に座る母は憂いを帯びた表情で私を見つめていた。


「そうね、これはわがままよ。あの人だけでなく私も同意した親としてのわがまま。夕が塞ぎ込む理由を勝手に遠ざけた。その方が娘のためになると思ったわ」

「…勝手に遠ざけないでよ」

「…でも、夕も、すぐに医者を諦めて料理の進路に変えたじゃない。どうしても叶えたい夢なら話し合いたかったわ」

「…それは…違うよ」


 すぐにじゃないよ。いっぱい苦しんで、それでも前に進もうと思って決めた進路だよ。

 進路変更に悩んだ時間は一週間も無かったかもしれないけど、とても長く感じたんだよ。


「わ、わたしは…」


 堪え切れない激情が溢れ出す一歩手前で、すっと横から伸びた腕が私の頭を引き寄せた。


 とくん、と。

 それはそれは優しい鼓動を感じた。


「それは難しいと思います」


 私を胸元に抱き寄せたまま、陽は言った。


「自分以外の、それも親という存在に夢を否定されるのは衝撃だったと思います。今までの夢を追うことは出来ないと心が折れてしまうんです」


 普段通りの優しい声で、はっきりと通る声で。


「そうなると、どこにも進めなくなります。夢を追ってきた時間が長いほど。自分も料理人の夢をずっと追ってきました。夢を叶えてから、たったの数か月で上の意向と衝突して辞めることになりましたが。このような合成食材を導入した時代を、そして店を恨んでいました。自分を取り巻く存在を恨むだけで抜け殻のような停止した日々を過ごしていました」


 母も私も黙って聴いていた。


「夕ちゃんは夢を諦めた後も自分に出来ることを探そうとした。ずっと心折れたままでいるのではなく、止まらずに進むことを選んだ。その強さを、すぐ諦めたと言ってしまうのは可哀想です」

「…そうね。夕の気持ちを考えない言い方をしてごめんね」


 ぐすっと洟をすすって、陽の胸から頭を離す。情けない鼻声だけど、しっかりと伝えておきたかった。


「りょ、料理学校は陽に出会えて楽しかったし、選んで後悔したことはないの。私だって父さんとの会話を避けてきたし、ちゃんと自分の気持ちを話すべきだったと後悔してるっ…」


 これ以上に声が湿り気を帯びないよう、そのまま素直な本心を言い切った。


「…でも、頑張ったよ。私が無気力な人生を送ったら、私の夢を否定した両親のせいになると思って。堕落した私を見た人に大切な家族が非難されるのは嫌だったから…頑張って前に進むって決めたの。頑張って諦めたんだよ」

「…ごめんね。気付けなくて」


 違う、謝らせたい訳じゃない。両親に本心を気付かせなかったのは反抗期だった私にも責任がある。


 そうじゃなくて。

 ごめんね、よりも言ってもらいたいのは。


「確かに医者の夢は否定されたけど、愛してもらえなかった訳じゃなかった」


 あれから反抗期になって確かに父との会話は減った。それでも診療所を閉めてまで入試会場までの送迎を引き受けてくれた父さん。勉強の息抜きに熱い珈琲を淹れてくれた母さん。

 心折れる前に、受け取った愛を返すのが道理だと思った。


「医者の道から勝手に遠ざけられたことはっ…今でも納得するのは難しいけど。それでも頑張ってきたのは二人に感謝しているから。今まで育ててくれてありがとうって言いたかったの…」

「…こちらこそありがとう。私の娘に生まれてくれて」


 お互いに面映ゆくなって照れ笑いを浮かべると。


 ごほっ、と居間の外から咳払いする音が聞こえた。


「あー…ただいま」

「っ!?」


 気まずそうな顔の父がドアの前に立っていた。


 今までの会話が全て聞かれていたと気付く。冷静になってみれば、かなり恥ずかしい台詞をぶちまけた気がする。いつになくそわそわしている父の姿を直視出来ずにぐいっと首を横に回した。そこで意味深な笑みを浮かべる陽と目が合った。ちょっと、その微笑ましいものを見るような顔はなんだ。


「ほら、夕ちゃん」

「陽っ!?」


 ぽんと背中を押されて父と向き直す。陽は味方だと思っていたのに、覚えてなさいよ。


「…あ、あのね…」


 そこから先は秘密だ。一分にも満たない会話だったけど、思い出すだけで悶絶してしまう。

 こうして、私の長い反抗期は幕を閉じたのだった。

「じゃあ陽君は、今は調理学校の外部講師という立場なのかな?」

「そうですね、それに加えて調理室も自由に使っていいという好待遇で。これも全て調理学校時代の恩師のおかげですね」

「あの教授さんか。私の診療所にも何度か来たことはあるが、穏やかで紳士的な方だった」


 夕食後の団欒。

 父と陽が共通の知人の話で盛り上がる一方で、私と母は声を潜めて会話していた。


「…あの人が初対面であんなに喋っているなんて珍しいわね。明日は雨かしら?」

「陽はどんな人にも好かれるからねぇ。私の自慢の彼氏なんだ」

「ふふっ」


 きょとんと首を傾げる。そんなに面白いことを言ったかな。


「ちょっと、何で笑ってるの」

「まさか男っ気一つもなかった夕が彼氏を連れてきたと思ったら、ここまで素直に惚気てくれるとはねぇ。今の表情、すっごい幸せそうな笑顔だったわよ」

「…っ」

「お母さんは嬉しいわぁ。本当に彼のことが好きなのね」

「…ん」


 嬉しそうな声音に短く肯定する。毎日欠かさずに嵌めている紅の指輪。そして同じ色に染まっていく私の両頬。左手薬指の上に右手を被せて、すっと母の視線から指輪を隠した。


「あら、もっと見せてよ。きれいな紅色が映えて似合っていると思うわよ」

「…嫌」

「彼から貰ったのよね。何て言われて貰ったのかしら。貰った時はどんな気持ちで…」

「あぁ、もう、秘密っ。全部秘密だから教えないっ!」

「あら、大体の反応で分かるわよ。だって娘だもの」

「…っ…」


 やっぱり実家なんて嫌いだ、大っ嫌いだ…嘘だけど。

 すっかり熱くなった頬を風船みたいに膨らませる。


 この無邪気な母のペースに合わせていたら精神が持たない。横目で男性陣の方を見やると、ちょうど仕事の話が一段落したようだった。

 母から逃げ出す好機とばかりに彼らの方へと近づいた。


「陽」

「夕ちゃん、どうしたの?」

「いや、短時間で仲良くなったなって」

「そうだね、共通の知人が多くてびっくりしたよ」


 父が深く息を吸った。


「調理学校で…いい人に出会えたんだな。お前が幸せそうで何よりだ」

「もう、父さんまで!」


 思わぬ方向からの不意打ちに赤面すると、居間が笑いの渦で包まれる。こうした賑やかな団欒は久しぶりで、そこに素敵な彼氏が加わっているという幸せ。


「そうだよ、自慢の恋人なの」


 私も開き直って、屈託なく満面の笑みを浮かべた。

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