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泡沫  作者: ふくマカロニ
二章
7/16

実家へ

 ホームシック。一人暮らしをしていると実家に帰りたくなる習性である。恋人と同棲している私にとっては、あまり馴染みのない言葉であったが。


「夕ちゃん、今度の日曜日って空いてる?」


 あっという間に七月のカレンダーがめくられて、みんみんと鳴く蝉の合唱団が存在を誇示する季節となった。容赦なく照り付ける太陽がアスファルトを熱したフライパンの様に変貌させる。


「じゃあ、チャイム押すからね」

「うん」


 お盆休みの時期。

 お互いの休みを見計らって、私と陽はある場所を訪問した。


「ご挨拶が遅れてすみません。夕さんとお付き合いしている明石陽と申します」

「あら、丁寧にどうも。夕に恋人ができるなんて、どんな人かずっと気になってたのよ!」


 久しぶりに帰省した実家。懐かしいソファは少しくたびれていた。

 私の隣には陽が座っていて、目の前には満面の笑みを浮かべた母親が座っている。


「それにしても夕が家に帰ってきてくれるなんてね。これも陽さんのおかげだわぁ」


 我が母よ。

 突然の来訪にも機嫌良く対応してくれたことには感謝するが、少しはしゃぎすぎじゃないか。

 なんだか気恥ずかしくて顔が上げられない。


「ごめんね。今は主人が仕事で不在なのよ」

「いえ、こちらこそ突然の訪問で申し訳ないです」

「それにしても、この茶菓子は美味しいわね。夕が選んでくれたの?」

「うん」

 

 私が選んできた茶菓子を口に運びながら手を合わせる母。味の好みは似ているのだ。


「まぁ、父さんのことはいいよ。今日の用件は陽が顔を見せたいってだけだし、お菓子食べ終わったらすぐに帰るから…」

「あらあら、まだお父さんと喧嘩中だった?」

「ねぇ、母さん!」


 最悪だ。陽の前では父との不和は知られたくなかった。事前に口止めしておくべきだった。

 今のやり取りの説明を求めて私をじっと見つめてくる陽と、動揺している娘を気にもせずに茶菓子をぱくぱくと口に運ぶ母。いつものように本人に悪気は無いのだろう。

 天然なところがある母を恨めし気に見つめるが無視された。どうやら一人娘相手に助け舟は出してくれないようだ。


「夕ちゃん?」


 私は観念して、数年前から続く父との確執を説明しようと重い口を開いた。

 私の父は遠目から判別できるほど大柄な体格で、その外見に似合わず無口な人だ。小柄で口数の多い母とは正反対で、真逆の二人が結婚したのを今でも不思議に思う。


「今日は遅くなる」

「いってらっしゃい、お父さん」


 父は地元の診療所を営んでいて、平日も多忙なので家族の時間は少なかった。

 素直に父の活躍を認めたくないが、医者としての腕は確かで地元の住民にも慕われている。


「すまん、今日も遅くなりそうだ。誕生日プレゼントは母さんに渡してあるから受け取ってくれ」

「気にしないでよ。お仕事頑張ってね、お父さん」


 白衣を着て患者を救う姿に憧れ、地域の人とすれ違うたびに感謝される父の姿が好きだった。

 自分も父の役に立ちたくて、将来の夢は看護師さんになることだと作文で書いたこともある。


 そんな父に対する態度が変化したのは高校二年生の冬頃だった。当時、受験を控えた私は看護学校を進路志望としていた。


「母さん、あの子に医者は向いていない」


 ある晩、そのように父が話しているのを扉の陰から聞いてしまった。私の手から分厚い参考書が落ちる音がして二人が振り返った。呆然とする私の喉がごくりと鳴った。


「聞いていたのか」

「なんで、私は医者にっ…」

「…はっきり言う。夕、お前は医者にならない方がいい」


 なんで、そんな険しい顔するんだろう。私は父さんの手伝いがしたいだけなのに。


「で、でも、私は父さんの診療所で…」

「お前を私の仕事場に連れていく気はない」


 好きだった低い声が私の心を抉った。普段は無口のくせに。断固として譲るつもりがない態度が腹立たしく思えて、ばたんと扉を思いっきり閉めた。自室に戻るまで幾粒もの涙が廊下に落ちた。


「うっ、うっ…」


 その後、看護大学への進路は変更してしまった。辛い受験勉強を乗り越えてきたのは父と共に働くという夢があったから。その相手から自分の夢を否定されては、今までのように勉学に打ち込むことは出来なかった。


 調理学校への進路を選んだのに大した理由は無かった。たまに父と顔を合わせても碌に会話はしない。とにかく実家から出たかった。


「母さん、ここの学校を受けようと思うんだけど」

「そうなのね。いつも料理を手伝ってくれるし、夕に合ってるかもしれないわ」

「うん、そうだよね…」


 女性一人でも住みやすい賃貸物件と通学しやすい立地。たまたま条件が当て嵌まったのが私の入学した調理学校だっただけ。料理の腕にはそれなりの自信があったため、日々の課題をそつなくこなしていたが心に熱は灯せなかった。


「こんにちは、君が噂の後輩だよね」

「多分…先輩ですよね。何の用ですか?」


 このまま卒業して適当に就職するのだろうか。そんな折に陽と出会った。ひたすらに料理に打ち込む熱意は眩しく、母親との約束を理由に夢を追う姿勢は羨ましかった。


 誰かの支えになりたい。


 かつて父親に抱いていた感情を彼に対して抱くようになった。連日の居残りで疲弊している彼の姿を見かけた時、先輩として面倒を見なくてはいけないと言い訳して傍で見守るようになった。


「…私さ、一生懸命に頑張っている人が好きなんだと思う」

「はい」

「だからね、陽のことが好きだよ」


 ただ私が一緒にいたいだけで、その感情が恋と気付いた日に想いを告げた。

 帰り道は二人で手を繋いで歩いた。


 父との確執について思い出を振り返っていたはずが、いつのまにか陽との日々に想いを馳せている。  

 彼との出会いが私にとっての転換期だったのだと実感した。


 すっかり長くなった私の説明に納得したようで、何も言わずとも私の肩に手を回してくれる陽。黙って体重を預けてもたれかかる。隣から伝わる確かな温もりが心地よかった。


「妬けちゃうわねぇ」


 ずっと静観していた母が顔を綻ばせる。うっかり二人の世界に入り込んでいた私の頬が熱くなった。


「夕飯までにはお父さんも帰ってくるから。一緒にどう?」

「…分かった。陽もいい?」

「うん!」


 素直に心中を打ち明けると気分がすっきりする。その相手が恋人なら尚更だ。

 数年ぶりに父親と話をするのも悪くない。素直にそう思った。

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