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泡沫  作者: ふくマカロニ
一章
6/16

これから

「見苦しいところを見せちゃった」

「まぁ、俺のせいでもあるからさ。それに夕ちゃんは泣いてても可愛いし」

「それ別に嬉しくないからっ」


 ひとしきり泣きじゃくって、冷静になると恥ずかしくなってきた。こんなに号泣するなんて何年ぶりだったろう。

 さっさと話題を変える意味も込めて、ずっと気になっていたことを質問してみる。


「ところで、どうしてカニカマを料理することにしたの?」

「ああ、ちょっと味見してみてよ」


 ほかほかと湯気を立てているのは、かに玉野菜のあんかけ。

 陽に促されて味見をしてみる。今まで食べたカニカマの味よりも断然美味しかった。

 いや、もっと言うならば。


「これ、本物の蟹を食べてるみたい」

「使ってるのは市販のカニカマだけど凄いでしょ」


 陽の得意そうな顔。もう一口と頬張った。


「うん、とっても美味しいよ」

「良かった、夕ちゃんには一番に食べてもらいたくて作ってみたんだ」

「ずっと家を空けていたのは、このレシピを考えていたから?」


 せっせと動かしていたスプーンを置いて尋ねる。


「うん。今の自分に出来ることを探してみたんだ。これまでの経験を使って合成食材の味を天然の味にもっと近づける料理法を考案する。このカニカマで作ったレシピはその出発点。学生時代の恩師も相談に乗ってくれて、特別講師としてウチに来ないかって誘ってもらえてさ」


 やっぱり陽は凄いな。落ち込んでいるかと思ったけど、ちゃんと前を向いていたのか。

 私も彼を支えられるように勇気を出さないといけない。そう決意して、ずっと心の中に秘めてきた疑問を投げかける。それでも少しだけ唇が震えた。


「蟹料理は…お母さんとの…その約束は?」

「うん、蟹にこだわるのはもう終わりにする。正直ずっと踏ん切りが付かなかったけど、綺麗に掃除されている水槽を見て決心したよ。この時間を一緒に暮らしていくのは夕ちゃんで母さんじゃない。俺にとって夕ちゃんは誰の代わりにもならない大切な人だよ」


 そう言うと、陽は私の手を取ってキッチンからソファへ誘導した。ちょっとここに座っててね、と彼の姿が消える。すぐに戻ってきた彼の右手にはリボンで包装された小箱があった。


「本当は違うタイミングで渡そうと思ってたけど。今、受け取って欲しいんだ」


 小箱の中には真っ赤なルビーが埋め込まれた指輪。顔を真っ赤にして照れている陽に嵌めてもらうと、私の指にぴったりと収まった。まるで蟹の色だねと水槽を前に指輪をかざして微笑んでみる。


「そういえば私のサイズ知ってたの?」

「よく夕ちゃんがソファで寝落ちしてるからね、すぐに指輪は注文したんだけど。今の自分がプロポーズしていいのかって家に帰りにくかったのも勝手な理由だった。本当にごめん」

「ふふっ…今すっごく幸せだからいいの」


 ソファの上で二つの影が重なった。

「…でもさ。もっと連絡してくれても良いと思う。ずっと寂しかったんだよ?」

「うっ、カニカマの試作に夢中になっていたら…つい…」

「…これからは私にも応援させてね」

 ぷくぷく、ぷくぷく。


 蟹が吐き出した呼吸が泡沫となって浮かぶ。今日も水槽の掃除をご苦労様ですと労ってくれているのだろうか。なんて、自分の妄想に苦笑しながら水槽のガラスをスポンジでごしごしと擦る。


「あっ」


 ちょっと嵌め具合が緩かったのか、するりと薬指から指輪が抜け落ちた。私が水仕事をする際にも外さなくていいように特注してもらった一品。貰った時と変わらない紅い輝きを水中で放っている。


 ゆっくりと落下した指輪に興味を示した蟹がのっそりと大きなハサミを動かす。  

 捲っていた袖が濡れるのも構わずに急いで指輪を回収する。私の心境を表すように水面が揺れた。


「だめだよ。これは私だけの特別だからね」


 水槽越しに指輪を見せびらかしていると机の上に置いていた携帯電話の通知音が鳴った。

 恋人からの連絡で、今日もカニカマの研究をするので帰宅が遅くなる。自分の分の夕食は用意しなくてもいいとの短い文面だった。ぱぱっと調理の合間に打ち込んでいる姿が想像できる。


 相変わらず料理に関しては熱すぎるなと妬いてしまうけど、こまめに連絡してくれるようになったのは素敵だと思う。私も彼に対しては()()()かも。うん、惚れた弱みってこういうことなのだろうな。


 火照った頬を冷蔵庫の扉を開けて冷ます。一人前のご飯を作るのに何の食材から使おうか。


「よし、これを使おう」


 選んだ食材をまな板の上に置き、包丁で紅と白の身を薄く裂いていく。


「ばっちりと作り方は教わったからね」


気合を入れて、フライパンに切った具材を投入して炒め始める。食欲を刺激する匂いがキッチンに立ち込めた。

 陽が教えてくれたレシピ。私のために考えてくれた料理。


 ずっと心の中で強がってきた。陽が私に母の面影を重ねていても構わない。彼が夢を追う支えになれたらそれだけでいい。


 でも本当は苦しかった。陽が店を辞めたと聞いた日はこっそりと一人で泣いた。蟹と私の存在が大切な恋人の人生を束縛しているのだと感じていた。

 だから、私を選んでくれて、私自身を見てくれたことを知って本当に嬉しかった。


 まだ指輪を嵌める感覚に慣れないけど。

 私は陽が好きで、陽も私が好き。その想いの象徴。

 これからは孤独を感じることもないだろう。


 左手の薬指に目をやれば、陽からの特別な贈り物があるから。


「頑張ってね、陽。ここで私は待ってるから」


 カーテンの隙間から差し込む日差しに目を細めながら、そっと指輪に嵌まった宝石を光に透かした。


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