残されたのは
ある都内のビルの一室。
そこには生活情報誌や料理雑誌を出している出版社の編集部が拠点を構えている。
巷で病院食の評判が良い診療所から、そこに在籍する調理栄養士を招いて人気の理由を探る。
そのインタビュー記事が来月の料理雑誌のコーナーとして使われることとなった。
「今日はよろしくお願いします」
取材のオファーを快諾してくれた調理栄養士の彼女が来訪した。
同性の方が話も弾むだろうと、調理栄養士と向かい合って座る女性記者。
ぱたんと応接室のドアが閉められて取材の始まりを告げた。
「先生は【食の革命】から二年後に診療所で調理栄養師として活動を始められたようですが。何かのきっかけがあってのことでしょうか?」
「そうですね。合成食材に興味を持ち、調理する側からも患者のために工夫を凝らすべきと考えました。診療所を営んでいる父の助けになりたかったという理由もあります」
まだ三十路にも満たないという客人は大人びた綺麗な笑顔を見せた。背後で待機するカメラマンがここぞとばかりにシャッターを切る。
「先生の調理には独自の方法、革新的な方法などが沢山使われているようですね。やはり、調理学校時代の経験が実を結んだのでしょうか?」
「いえ、それもあるかもしれませんが」
そこで言葉を切って彼女は恥ずかしそうに微笑した。
その一瞬だけ、彼女の端正な顔立ちに少女めいた可憐な印象が浮かぶ。
「私に沢山のレシピを教えてくれた、残してくれた人がいまして。その人のおかげだと思っています」
熟練の女性記者はそっと息を呑んだ。長年取材を重ねてきたから分かる。
このはにかんだ笑顔は特別な人を想起している顔だ。
取り敢えず、検討していた【美しい調理栄養士】という見出しはボツにしようと思った。この客人が自分の容姿に惹かれた有象無象の相手をすることは決して無いだろう。
それよりも。
調理栄養士が独自のレシピについて熱く語る。特別な誰かから受け取ったものを広げていくように。
彼女と視線を合わせ、相槌を打って、一つも零さないように耳を傾ける。
「今日はお時間を頂きありがとうございました…これからも頑張ってください、応援しています」
順調に取材が終わり、別れの挨拶にて。
記者としての一線を少しだけ踏み越えた。心からの私情を込めた。
「はい、ありがとうございます!」
記者の言葉に、彼女は満開の花が咲くように笑った。
*
「それでは、お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
出版社の方々と別れの挨拶を交わして、夕焼けに照らされたビルの外に出る。
父と待ち合わせの無料駐車場まで徒歩五分といったところか。
長時間も同じ姿勢で座っていたためか肩が悲鳴を上げていた。ぐいっと背伸びする。
「ふぅっ、いいインタビューにできたかな」
単独で取材を受けることにも慣れたような。
さっきの取材を担当した記者からの激励は少しこそばゆかったが。
「おっ、潮日先生。お疲れのようだな」
「もう!父さんは先生呼びしないでよ!」
取材に疲れた様子をからかってくる父を半眼で睨む。まぁまぁと笑って父は助手席を開けてくれた。
この背筋がむず痒くなる【潮日先生】呼びには慣れないままだ。記者に呼ばれるのも、患者に呼ばれるのも、家族に呼ばれるのも。
父とも二人きりになると、このように軽口を言い合えるような関係となった。口下手なだけで会話が嫌いなわけではないと知った。
「直で家に帰ってもいいが、どこかに寄っていくか?」
信号が赤に差し掛かり、父が前を向きながら尋ねてくる。
どうしようかと黙考する。
「うーん…」
別に疲れたわけではないけど。
取材を受けるのは苦ではないし、記者の方も良い人だったけど。
それでも、調理の話題でいつも思い出すのは。
「…海を見にいってもいい?」
「…言うと思った」
気付けば、とっくに信号は青に変わっていて。私が返事をする前から海岸へ行く道にハンドルを切っていたようで…本当に、口下手なのに、気配りの細やかな人だなぁ。
「帰りが遅くなるって母さんに連絡しておいてくれ」
「うん、ありがとう」
背もたれに後頭部を預けて目を閉じた私を気遣ってくれたのだろう。それっきり車内は沈黙に包まれた。しっかりと瞼を閉じているのに夕陽が眩しくて首を傾けた。