儚くも
明石陽の葬儀は簡潔に執り行われた。
生前の彼の望みで遺骨は燃やすことにした。火葬場へ向かうマイクロバスの中で窓からの景色を静かに眺めていた。
雪は降らずとも灰をぶちまけたような鈍色の空が彼のいない世界を包んだ。
「お疲れ様」
告別式が終わり、すっかり暗くなった空を見上げる。父が労いの言葉をかけてきた。
「ありがとう、父さん」
「…無理しているわけではなさそうだな」
背後を見やると、母がハンカチを目元に当てていた。短い期間の交流ながら、私も含めて家族全員の心を掴んだ自慢の恋人だった。この場の全員の胸を寂寥感が占めていた。
それでも、私は泣かなかった。
「笑顔で見送るって約束したからね」
「夕…強くなったな」
私の頭に父の手が置かれた。老いを感じる無骨な感触がある。いつかの祖母の葬儀の際も、泣きじゃくる私の頭を撫でてくれたことを思い出した。
そう考えると、確かに強くなったのだろう。
「じゃあ、また明日」
「ああ、気を付けて帰りなさい」
駐車場で両親と別れ、自宅のマンションに到着した。
「忙しいなぁ」
家賃八万、ダイニングキッチン付き、築二十年、日当たり良好。
この部屋の鍵を開けるのも今日が最後だ。
「ただいま」
なんとなく挨拶すると、既にソファや本棚が運び出されている簡素な部屋が出迎えてくれた。寝室の布団など最低限の家具だけが残っている空間だった。
明日には実家暮らしに戻る。生活感の無くなった部屋で感傷に浸った。
空になった水槽。そこを住処としていた私達のペットであり、大切な家族の一員は夏の最も暑い時期に生涯を終えた。蝉が鳴き喚く大樹の根元に穴を掘って亡骸を供養した。
その後、二週間はカニカマが食べられなかった。
食器のなくなったキッチン。
ここでは沢山の料理を一緒に作った。私が食材を切って彼が炒める。私が洗い物をする間に彼が盛り付けをする。二人で何度も協力作業を繰り返した。
言葉も要らずに息が合った時は無言で手の甲をこつんと合わせた。
雪が降りしきる中、陽の本音を聞いたのが一年前になる。
それから、彼が発作を起こして倒れるまでに教わったレシピは50種類を超えた。二人で編み出した独自の調理法も加えると、100種類を優に超えるかもしれない。
本当に充実した日々だった。
「…ついてない人生と言ったけど、俺は幸せだったよ」
陽が意識を失う寸前、私の耳元で力なくも囁いてくれた言葉。その後、彼が意識を取り戻すことは無かった。私の返答が届いていたかは天国で会えたら聞くことにする。
「こちらこそありがとう」
薬指に嵌めた指輪に唇を押し当てて、とすっと寝台に倒れ込んだ。
夢の中で彼に逢えば、きっと泣いてしまうだろう。ティッシュを枕元に置いて眠気に逆らわずに瞼を閉じた。すぐに瞼は重くなった。
「おやすみ、泡沫のような私の恋人」
私の呟きが孤独な寝室に泡となってそっと消えていった。