偽装婚約の契約③
すると彼は私を見て、パーティーのために予行練習を始めたようだ。
「俺が贈ったドレス……。凄く似合っているな。これ以上ないくらい好きだと思っていたのに、また一段と惚れてしまった」
「──。ねぇ、私もレオナールの猿芝居に付き合わなきゃならないの?」
「は? 猿芝居って……」
私から、彼の嘘くさい台詞を嘲笑われたためだろう。
よく見れば、レオナールの顔が紅潮していた。
「別に世間にはレオナールが婚約したのが分かればいいんだし、無理にイチャイチャする必要はないわよ」
「いいや! 何事も形から入るのは大事だからな。お前も俺のことを、『好きだ』と言ってみろよ。その気になってくるかもしれないし」
それを言ったレオナールが、拗ねるように口を尖らす。
「あのねぇ、レオナールは見たことがある? そんなバカップル? 仮にも婚約カップルがパーティーで、『好き好き愛してる』って人前で言い合っていたら、気持ち悪くて引くわよ」
「気持ち悪いって……」
「誰かの前であえて言う必要はないんだし、そんな言葉は私たちに一生必要ないでしょう」
「一生必要ないって……」
偽りの婚約関係は、他人の前だけで十分である。いわばその時間だけ取り繕えば何とかなるんだし。
そんな正論をぶちまければ、彼は目元を手で覆い、私から顔を背けた。
「まあパーティーくらいは付き合ってあげるわよ。レオナールのことは何があっても絶対に好きにならないもの、願ったり叶ったりの幼馴染がいて良かったわね」
「そうだな」と息も絶え絶えな彼が、やっとのことで発した。
「ねぇ、最近、湖にスワンボートが新しくできたらしいけど、もう乗ったかしら?」
「いいや。あんな子どもっぽいものに……俺は興味がないから」
「とか、何とか言っているけど、未だに水が怖くて近づけないんでしょう」
意地悪ばかりされてムッとする私は、揶揄うように伝えた。
初めてレオナールに出会ったのが、その場所だった。
ボートから落ちた彼の妹を、レオナールが助けた後に、彼自身が溺れたのを私が救助した。
いわゆる人工呼吸というのを含めて。
彼は、それを人生最大の汚点だと思っているから、私にだけ意地悪な態度をとり続けているのだ。
『人工呼吸なんか必要なかったのに』と、未だに、余計なことをしてくれたと根に持っている……。別にいいけどね。
「俺は別に水が怖いわけではない」
「じゃあ今度、一緒にスワンボートでも乗ろうか?」
冗談で適当なことを言えば、彼が真っ赤な顔になる。
「むむむむ無理だ。お前となんか、誰が湖に行くか!」
「あっ、そう。まあ、レオナールと一緒に行っても詰まんないものね……」
「は⁉︎ 自分から誘っておいて、なんて言い草だ」
「誘ったことに深い意味はないの。お金がなくてもう何年も湖には行ってないから、どうなっているのか見たかっただけだし。私に恋人ができたときの楽しみに取っておくから別にいいわよ」
呆れる私も口を噤むが、レオナールも私との会話が面倒だと言わんばかりに、無言を貫いている。
会話が止んで少ししてから、馬車の動きが止まった。
◇◇◇
パーティーの開始時間まで、少し早い。
客人が集まるまでの間、彼とサロンでお茶を飲むことになった。
「なんか場違いな場所に来て、落ち着かないわ」
「それなら、これからしばらくお前がこの屋敷へ来て、俺と毎日一緒にお茶を飲もうか」
「え? どうして? 婚約者のふりをするのは、今日だけでしょう」
「お前は本当に馬鹿だな。婚約者のふりが一日だけな話が、どこにあるんだよ。それならすぐに偽装婚約がバレて、また俺がつけ狙われるだろう」
「それならいつまで続けるのよ。一週間?」
「ったくなぁ。一週間のわけないだろう」
「じゃあどれくらい?」
一か月位かしらと考えながらも、期限を確認する。
「うーむ。──そうだな……五年」
「は? ふざけるんじゃないわよ」
「は? 何が問題だ? 俺たちの偽装婚約の契約は馬車の中で、成立したはずだ」
「五年も経ったら、私は二十二歳だわ」
「俺はお前がいくつになっても関係ない。いつまでも待てる!」
鼻息荒めの彼が自信満々言い切った。
おい! 何を元気に胸を張っているんだ!
そちらは、結婚がただめんどくさくて先延ばしにしたいだけだろう。
独身貴族を謳歌しても、レオナールの好条件は大して変わらないのだ。
だけどこっちは困る。本気で枯れ木令嬢になる。
「ふんっ! 何言ってんのよ。五年後なんて、完全に売れ残りの年齢になっているでしょう! 私の愛しい旦那様を探す計画はどうしてくれるのよ!」
「愛しい旦那様か~ぁ」
レオナールが宙を見てほわほわしている。
「レオナールって、本当に自分勝手で嫌な男ね。変な契約に乗るんじゃなかったわ」
「お前なぁ……」
言葉に詰まった彼の眉間に、深い皺が寄る。
「とにかく五年は嫌よ! 今日だけ!」
「この際だ! 俺が令嬢から狙われないために、お前をとことん利用してやるからな。一度契約したんだし、逃げれば契約不履行で訴えるぞ」
「卑怯者! 婚約者のふりは一日だけよ!」
「ああ、勝手に言ってろ言ってろ! そのかわり、今日のパーティーで俺の婚約者のふりをしっかりしろよ!」
「頭にきたわッ! こうなったら素面なんかじゃ、パーティーに参加できないわよ。レオナールのそのワインをちょうだい」
そう言って、彼のグラスを取ろうとすれば、彼がバッと自分の元へグラスを引き寄せた。
「そ、それは……かかか間接、キキキッ」
「何よ!」
「き、きき汚いから嫌だ! お前が口を付けたら俺が飲めなくなるだろう!」
と言って、彼がグラスに入っているワインを一気に飲み干した。
この男……。
どこまでも最低だなと、あんぐり口を開けて見ていれば、彼の様子がおかしい。
彼はお酒に弱いのだろうか? すでに耳まで赤くなっているではないか……。全く呆れる。
「他の令嬢は、レオナールのどこがいいのかしらね? 私にはちっとも分からないわ」
「……それは、俺にも分からない」
酷く虚ろな目をして、消え入りそうな声で言った。
パーティーが始まる前から、彼はすでに泥酔状態なのでは?
そんな風に思っていれば、「お客様がご到着いたしました」と、教育の行き届いた従僕が彼を呼びにきた。
となれば険悪な空気だった私たちも、婚約者のふりをしながらダンスホールへと向かう。
「なんでレオナールと腕を組むのよ」
「シーッ、誰かに聞かれたらどうするんだ。俺たちは婚約者なんだから当然だろう。この後は、俺の話に頷くだけでいいから、勝手に口を開くなよ」
「分かったわよ」と返答した私は、婚約者を紹介するというのに、すでに酔いが回り、死んだ魚の目をした彼と共に、今夜のパーティー会場へと足を踏み入れた。
◇◇◇