少女エリ
「エリさんですね。まさか、こんなに若い人が来るとは思いませんでしたよ」
白いひげを立派に伸ばした六十代くらいの老人がそう言った。その老人は街を一望できる山の上の家から街の景色を眺めていた。
「ええ、よく言われます」
エリと呼ばれた白髪の少女がそう呟いた。エリは老人の後ろに立って一緒に街の景色を眺めている。海と山に挟まれたその街には高層ビルが立ち並び、そのビルの間を小型の宇宙船がゆっくりと行き来していた。
「私が若いころは宇宙船なんてものは無くてね、地上を走る自動車という乗り物がビルの間を埋め尽くしていました。もちろん再生医療の技術なんて発達しておらず人は生まれて百年もすれば自然と死んでしまう。そんな時代でしたよ」
老人はどこか懐かしむような顔をして言った。
「それは…不思議なものですね。なかなか想像がつきません」
「ははは、それもそうでしょうね。エリさんにとってはそれが普通なのですから。私も私が生まれる前の時代についてはなかなか想像ができませんよ」
老人は少し寂しそうに笑った。
「なるほど…」
エリは相変わらず街の風景を見ている。
「ここは…とても眺めがいいですね。心が穏やかになるというか」
エリはそう呟いた。街に住むエリにとって緑に囲まれた山からの景色は初めての経験だった。
「そう言ってもらえると嬉しいです。ところでエリさんは死についてどうお考えで?」
老人は相変わらず穏やかに言った。
「死ですか…私にはよくわかりません。ですが、それの答えを探すために今の仕事をやっている…のかもしれません」
エリは少し困ったような表情でそう答えた。
「すみません…つまらない質問をしてしまって」
老人はそう謝り言葉を続ける。
「再生医療によって寿命という概念が無くなった今、人は永遠の命を手に入れたといってもいいでしょう。エリさんの参考になれば幸いですが、私は死は二種類あると考えています」
老人はゆっくりと語りだす。
「一つは再生医療が発達する前の時代の死、これは寿命や病気により生命活動の維持が困難になった結果起こるものです」
「なるほど…」
「もう一つは心の死。生きながらに死ぬという言葉は私の生まれた時代にもありましたが実際に起きることは無かった」
「LOS症候群ですか…」
「はい、再生医療が実現して初めて発見された症状です。特に百五十歳を超えると発症率は十パーセントに及び今では国民病として多くの研究がなされています。エリさんはLOS症候群の患者がどのような治療を受けているかご存じで?」
「さあ…分かりません」
「エリさんほどの若さなら無理もないでしょう。LOS症候群の患者は基本何も反応を示しません。分かりやすくお伝えすると永遠に眠っているという表現が近いでしょうか。どんな薬を打ってもどんな刺激を与えても決して反応を示すことはなく最後には呼吸をすることも忘れ死んでしまいます。当然肉体には何の異常もありません。そのため不治の病と呼ばれており病院のベッドでただ寝かされ続けるか研究者の実験対象になるかその二択しかありません。それは寿命で死ぬよりも悲惨なものです」
「あなたが私を呼んだ理由が少し分かったような…いや、なんでもありません」
エリはそう呟いた。老人は穏やかに微笑む。
「見た感じあなたはLOS症候群にかかっているとは思えません。それに今後必ずかかるとも決まったわけではない。それなのになぜあなたは死を望むのですか?」
エリは少し不思議そうに尋ねた。
「今まで散々理由のようなものを述べましたが改めて尋ねられると分からないものですね。私はなぜ死を望んでいるのでしょう」
老人はそう呟いた。
「自分自身の殺しを依頼する人には…割とよくある話です」
エリはそう呟く。
「そうですか…」
「死の恐怖から逃れるために死を選ぶ…理解するのはそう難しくないです」
「つかぬ事を窺いますがエリさんは自殺願望が御有りで?」
「…いえ、特には」
「そうですか。いや、私カウンセラーを長年やっていましてね。話し方であったり雰囲気であったりが少し…」
老人はそこで言葉を止めた。
「すみません。出過ぎた真似でした」
「いえ、お構いなく」
エリは特に表情を変えることなく呟いた。
「少し長話が過ぎましたかね。申し訳ございません。ではそろそろ」
老人は目を細めて街の景色を見つめる。夕日がかかった街はかつての姿を失った今もとても輝いて見えた。
「よろしいのですね」
エリは老人の後頭部に銃を向ける。
「まだ少し迷っています。本当に自分の選択は正しいのかと」
老人はそう呟いた。
「なので私の気が変わらないうちにお願いします」
老人はそう言って目を閉じた。
「…分かりました」
エリは人差し指に軽く力を加える。すっかり日の落ちた街はきれいな夜景となって別の輝きを持っていた。
「自殺願望ですか…」
エリは自分の持っている銃を自分の頭に向け目を閉じる。そして大きく息を吸って吐き出した。
「私には…無理ですね…」
エリは銃を降ろしもう二度と喋ることのできなくなった老人に向けてそう呟いた。
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