手袋を買いに行った
トントンとおもての戸から音がして「今晩は」と小さな声がしました。
ここは限界集落に近い小さな村で幼い子なんていないはずのに、それはとても初々しい声が聞こえました。
いまだに現代らしくないガタガタ鳴る引き戸を少し開けると、開け切る前に「このお手々にちょうどいい手袋下さい」と小さな『手』が差し出される。
でもそれは、どう見ても可愛らしい子狐の前足でした。
「ふぉうう!」
思わず変な声が出てしまいました。
まさか、まさかこんな令和の時代に、かの新美南吉氏の名作『手袋を買いに』のごとく、キツネが買い物にくるとは青天の霹靂と言わざるを得ません。
「おじいさん! おじいさん! 早く!」
居間でテレビを見ていた旦那を呼ぶと、あわてて出てきて子狐の手を見ると「おふううぅ!」と目をまんまるにします。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
小さな来訪者がそう言いましたが、木の葉で買いに来たのではないかと思い「先にお金を下さい」と言うと、すなおに二枚の白銅貨を渡してきます。正直、この銅貨は今の時代で流通していませんし、そもそもこの価値が私では分かりません。
「はい。確かにいただきました。少々お待ちください」
旦那に目配せすると、満面の笑顔で大きく頷きます。
「あなたのお手々だけでなく、ご両親のお手々やお足は寒くはないの?」
そう尋ねると、扉の外からしゅんとした声で返事がありました。
「寒い、と思う。だけど、母ちゃんは僕に……」
「だから、これはお代の分ですよ」
子狐とその両親が必要だろう分の手袋と、足を温めるものを、ケースごと戸の外へ押し出してくれる。
「こんなに? 僕、こんなにお金持ってないや」
「いいんですよ。ちょうど余ってたところですから。それよりも、あなたとご両親がこれからも長生きしてくださるようお祈りしていますね」
子狐が帰った店で、おじいさんとおばあさんが小躍りしながら盛り上がっていました。
「ふほー! ご先祖さまが言っていた通り、本当にキツネが手袋を買いに来たわよ!」
「はうう! 黒い毛並みと肉球がたまらなかったな。こんな形でなかったら、なでなでしたかったなあ!」
巣に帰った子狐は、おじいさんとおばあさんからもらった品を母狐に見せると、よく無事で帰ってきたね、と優しく毛並みをなめて喜んでくれました。
そして、買ってきた手袋をつけると冷たかったお手々がホカホカと暖かくなり、眠くなってきました。
「母ちゃん、僕……眠くなってきたよ」
「今日はがんばったからね。安心しておやすみ。坊やのおかげで私たちもあったかく眠れるからね」
母狐の言葉に、子狐は安らかな眠りへと誘われます。
子狐が眠ったことを確認した母狐は、人間がくれたものを見て、目を細めます。
「そりゃあ本当に人間の手袋じゃあ、私たちの手に合わなかっただろうけどね」
ケースいっぱいの靴下を見ながら、ため息をつきました。