桜がさらう
「君には此奴を殺って欲しい」
つ、と差し出された写真を見れば、特段有名でも無く、見覚えの無い人物。
表社会だけでなく裏社会の人物すら網羅している私が言うのだから、これは間違い無い。
だけれど、何となく既視感があるのはその顔立ちが何処にでも居るような顔だからだろうか。
「・・・・了解」
まぁ、相手がどんな人物であろうと、私のやる事が変わる訳では無いのだけれど。
「方法は」
暗に指定するのかどうかを聞けば、帰って来た答えは好きにしろとのこと。
但し条件として、“なるべく接触するな” と。
・・・・そんな条件、あって無い様なもの。
「楽勝」
何をするに於いても、情報はあって損など無い。
だけど、他の情報をと問えば 唯殺すだけで良い、としか言われない。
・・・・こんなこと、初めてだ。
何ひとつ追加情報が与えられない、なんて。
私にあるターゲットの情報は唯一、その容貌のみ。
「・・・・分かった」
やるしか無い。
見たところ一般人だし、居所さえ特定すれば後は楽勝だろう。
・・・・・それに、何より。
此奴の依頼は、断れない。
数年前、何もかもを喪って路地裏を彷徨いていた私を拾ったのは此奴。
今の私があるのは全て、此奴のお陰。
例え、此奴が人として軽蔑に値する奴だったとしても。
時々、此奴の傀儡になるのであればあの時あの侭消えた方が良かったのではと考える事があるとしても。
「これ以上話す事が無いのなら帰る」
報告はいつも通りに、そう言って立ち上がっても何も言われないと云う事はもう何も無いのだろう。
「・・・・先ずは、情報」
愛用のパソコンを開いて、ターゲットの情報を集める。
性別は見たまんま男、髪は少し茶色がかった黒で珍しい事に右眼の瞳は少し紅っぽい。
右眼だけ色素が薄いのだろうか?
・・・・陽の光の元で柘榴石の様に輝く瞳が視えた様な気がした。
まぁ、見た事なんて無いのだから気の所為だろう。
却説、主な服装は・・・と。
写真ではかなり着崩した私服だけれど、見つかる情報にはあまりそんなものは無い。
それはつまり、余程隠すのが上手いのか写真を撮った時にそれ程リラックスしていたのか。
この写真に何となく懐かしさを覚えてしまうのは、ずっと手元に置いていた様にくたびれているから、だろうか。
まぁ良いや。
『必要な情報は集まった。
明日の夜、決行する』
依頼主である彼奴に暗号を送る。
今回のターゲットは情報を集めれば集める程、裏社会なんてものと関係の無い一般人に過ぎなくて・・・、どうも違和感が拭えないでいた。
だけどまぁ、そんなのは実行の妨げになる程のものでは無くて。
全て彼奴の思う侭なのだろうかと考えるとあまり良い気持ちでは無いものの、何故か報酬は普段より少し上乗せされているし文句は無い。
・・・・無い、筈なのだけれど。
どうにも嫌な予感がするのは何故だろうか。
こういう時の予感は、大抵当たるから嫌いだ。
「・・・・こんばんは」
ふわり、音を立てずに彼の背後へ降り立つ。
毎日仕事帰りの道は同じだから、桜に隠れて待っていた。
驚いて此方を振り向く彼は、初めて会った筈なのにそんな気がしなくて。
まぁ、散々写真を見ていたから当然と言えば当然。
だから、何の躊躇いも無く――――その灯火を消した。
命の灯が消える感覚。
全てを喪ったあの日から、幾度と無く味わったそれを、嘆いていても何も変わらないからと自らを納得させて身に馴染ませたそれを、感じた。
・・・・それと同時に、喪失感と、悲哀の情も。
・・・・・どうして?
「君のことは知らないはずなのに、何故涙が零れてくるのだろう」
柘榴石の様な紅黒い瞳に射抜かれて、自然と私の頬を伝うものがあった。
気付けば既に、しとどに濡れている。
不思議でならなかった。
今迄、こんな事は無かったのに。
毎度毎度ターゲットに感情移入などしていたら私の身がもたない。
だけど、そんな思考は刹那に途切れた。
理由は直ぐに分かったから。
分かって、しまったから。
驚きに見開かれた彼の瞳は、確と私を見詰めていた。
その瞳が、私を知っていたから。
私もまた、その瞳を知っていたから。
理解、出来てしまった。
想い出してしまった。
あの日、喪ったもののひとつを。
「―――――ぁ、」
僅かに、掠れた声が唇を衝いた。
「まって、だめ、ちがう、こんな・・・・」
堰を切った様に、溢れる。
言葉が、感情が、そして、記憶が。
ぐるぐると、頭の中を渦巻いて何もかもを分からなくしてしまう。
あぁ、私、なんてことをしてしまったんだろう。
既視感があって当然。
だって、あの顔は見慣れたものだ。
見覚えがあって当然。
陽光の下、柘榴石の様に輝く瞳は見た事がある。
あの写真の彼がリラックスしていたのも、それに何となく懐かしさを覚えたのもまた、当然。
あの写真は、他ならぬ私が撮ったものだ。私が贈った服を着て貰って、折角だから一枚、と。
くたびれていたのも、記憶を喪う前の私がずっと手帳に入れていたから。
初めて会った気がしなくて、当たり前だ。
だって、だって、私達は何度も逢っていた。
私は、彼は、私達は。
―――――唯ひとりの、相手だった。
恋とか愛とか、そんな生温いものじゃなくて。
言葉で言い表せない程、大切なひと。
でも、だけど、もう、駄目だった。
全てが、遅かった。
気付けば良かった、なんて言えない。
喪った記憶はそう簡単には戻らない。
だけど。
せめてもう少し、躊躇えば良かった。
他人の命の灯を消す事に、慣れてはならなかった。
全力で抗っておくべきだった、流されては駄目だった。
そうしたら、もしかしたら、彼はまだ現世に留まっていたかもしれない。
遅い。
遅い。
全てが、遅かった。
私達は、彼は、―――私は、
もう、独りになってしまった。
どうして?
先程と同じ言葉が、先程と別の意味を持つ。
分かってる、そんなの。
全ては偶然の産物だった。
私が記憶を喪って、“私”の全てをも見喪って。
彼奴に拾われて、私には人殺しの才があると分かって。
それから、彼奴は遺された彼を見付けてしまった。
そう、それらは全て偶然。
だけど、其処からは別。
嫌な予感は、やっぱり当たるものだ。
本当に、碌でもない。
彼奴は、“私”を―――、腕が良くて都合の良い殺し屋を、囲っている為に。
私が想い出したとしても、戻る先を失くす為に、彼を殺させた。
よりにもよって、私自身に。
ねぇ、私、どうしたら良いんだろうね?
どうするのが、正しいんだろう。
唯一無二の、かけがえの無いひとをこの手にかけてしまって。
私に遺るのは、人殺しの才能だけなんだよ。
「君は前、私が桜に攫われそうだと言ったよね」
だけど、さ。
「実際に攫われたのは、君の方じゃないか」
風が私達の間を抜ける。
枝葉を揺らし、花弁を散らし。
桜が散る。
彼の、命と共に。
命を、渫うように。
「――――ねぇ、待ってて」
きっと、直ぐに行くから。
「“私に出来ること”、してから行くよ」