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どこ見りゃいいのか

 『五輪書』には、“る”のではなく“る”という主旨の言葉がある。


 ん? どっかで聞いたな?

 承太郎さんと康一くんのやり取りだっけ?

 スタンド使いのネズミの時の。


 表面的に見るのではなく、本質的に観るようにしろ、とかいうことらしい。



 実戦的な説明だと、相手の1部分に目をやるのではなく、気配や意図や武器の有利不利とか大局的なこと。

 相手の心の中を見るのが“心眼”らしい。

(ほォー!? ボクのイメージでは、視覚を奪われても他の感覚を研ぎ澄まして見えてるかのように振る舞うことを、“心眼”だと思ってました)




 ただ、まったく逆の論を唱える人もいます。


 “下之目付したのめつけ


 たぶん、相手の踏み込みやらに注視することで、タイミングを把握する。

 足首から下の向きによって意図も読める、ってことじゃなかったかな?

 足から動いてないような動作・技(特に打撃系)の威力なんて、たかが知れてるから、どーでもいい……みたいな話だったんじゃないかな?


 “下之目付”でネット検索してみたら功朗法のタイトルが挙がるんだけど、クリックすると削除済みで たどり着けない。


 実は この“下之目付”、功朗法を習ってた友人に教えてもらった考え方。

 もう、数十年前の話です。


 ちなみに、『五輪書』では、ダメな目付めつけ(視点)として、『足を注視する』は具体例に挙げられてることではある。




 ただ、ボク的には“下之目付”、賛成派である。

 護身術として。

 特に、普段は平和主義だけど念のために習ってるだけで、できれば一生 使わずに終わりたい人には。


 うん。

 キツいのよ。

 相手の顔を見るのって。


 『五輪書』では、凝視することなく全体を意識するような気持ちで、視線は相手の眉間の辺りに……とかだったと思う。

 ちょっとボクが図書館から借りている『五輪書』が、どっかのバカが線引きとかページちぎりとかしてるせいか、記述が見つけられないけど。


 これね、草食動物みたいに生きてきた人間にはキツいのだ。

 足元の動きに意識の重点をおいて、それで攻防できるなら、非常にありがたい。


 で、その効果の話なんですが。

 ボク、この友人の練習相手になったことがあるんです。

 割り箸をナイフに見立てて、素手vsナイフみたいな形で。


 ど完敗でした。

 ケガをさせられることも痛い思いをさせられることも無く、オール、制圧されましたね(笑)



 え?

 ボクが弱いだけ?

 弱いのは否定できませんが、功朗法の技術の、戦略的な上手さ、ボクが気づいた範囲でですが、いずれ説明したいと思います。




 今回は、目のやりどころについての考え方を、2例、挙げてみました。

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