断章-そして叛逆の鐘が鳴る(五)
狂戦士の見立ては一々正鵠を射ていた。この男を外面どおりの単なる享楽殺人鬼と見るのは、どうやら誤りらしい。あるいは事前に、どこからかサリスに関する情報を得ていたのかもしれない。
サリスの魔耐性は万能ではない。
例えば術者が自身の魔力を直接変換して発生させた炎や雷などの攻撃魔法を喰らっても、並程度の威力であればまず問題ない。フェイデアでも5人しかいないと言われる”大魔導師”が放つ”禁術”級の破壊力でもない限り、致命傷となることはないだろう。
だが仮に、相手が火打石でつけた松明の炎を操ったり自然発生した雷雲の中から雷を呼びよせたりして攻撃してきた場合、上述の魔力を直接変換したものよりもはるか容易に損傷を負ってしまう。
元から存在する物質・現象を遠隔操作する型の魔法にも魔力が介在している以上、まったく抵抗が働かないことはないのだが、純粋に術者の魔力のみで生み出された物質・現象による攻撃よりもよほど警戒が必要なことは間違いなかった。
そして現在、バルディエルが自らの血を加工して造りあげた剣により腹部を刺され、まともに動ける状態にないというのも、まさしくそのとおりなのだ。
「ちっ、つまらねえ。どうやらこれ以上は楽しめそうにねえな。もうしまいにしてやるよ。おい、てめえら、出てこい!」
バルディエルが声をはりあげると、近くの岩陰に突如多数の気配が生じた。ついで岩の向こうから、ぞろぞろと姿をあらわす者たちがあった。
先頭を歩くのは若い女性だった。白を基調とした質素な法衣に身を包み、胸にはエウレネ教徒の証である太陽を型どった首飾りを下げていた。青みがかった髪を肩のあたりで切りそろえ、顔立ちは整っていたが表情にはどこか翳りがある。
エウレネ教団の女神官、それも若年ながら司祭という高位にある人物らしい。
彼女が胸に下げている首飾りの意匠の中央には、小さな翡翠の宝玉がひとつ輝いている。あの宝玉は、その数によって所有者の教団内での地位を示すものだ。翡翠がひとつ埋めこまれた首飾りは、司祭の証なのだ。
女神官の後ろからは、うす汚れた襤褸を着用した人間たちが続く。その数、ざっと100名ほどか。年齢も性別も様々だが、皆顔や手足など、身体の露出した部分に禍々しい紋様の烙印を押されていることが共通している。
その烙印によって、彼らがエウレネ教団に"背教者"と認定された罪人たちであることがわかった。誰も顔色が青白く、生気のない瞳をしていた。
これだけの人間が近くにいながら、サリスがその存在にまるで気づけなかった。おそらく先頭の女神官が結界魔法を使っていたのだろうが、100名もの人間の気配を遮断するほどの結界を張るというのは容易な業ではない。
それだけでもあの女神官が司祭の地位に見合うだけの、高い魔法技量を有していることがうかがえた。
「ゆ、勇者ともあろう者が、僕たち2人を殺すのにこれだけの人数に頼ろうというのか。臆病なことだな……」
人間界の事情にそこまで精通していないカノンが、地面にひざをついたままそれでも勇ましい言葉を投げかける。ことさら「2人」と言ったのは、リーリエから狂戦士の意識を逸らそうという思惑もあったのだろう。
闇エルフの少年の挑発を、だがバルディエルは「フン!」と鼻で笑って流した。
「勘違いするな、こいつらは協力者なんかじゃねえ。てめえらを処刑するための、俺の道具だ」
バルディエルはそう言うや、左手に抱えたヴィンゼガルドの死体の首に突如かぶりついた。硬い鱗の皮膚を自らの歯でかみ破り、吹き出した緑色の血をのどを鳴らして飲みはじめる。
口元からいく筋かの血が流れ落ち、地面に滴っていく。
「うっ……」
おぞましい光景に耐えられなくなったのか、カノンが音を立ててえずいた。さすがにサリスの神経はそこまで細くなかったが、見ていて気持ちのいいものでもない。
戦場で自らが手にかけた敵の血を嗜む、という"狂戦士"の悪癖は十二勇者及び"機関"関係者の間では広く知れ渡っていた。その猟奇的な所業もこの男の禍々しい二つ名の由来のひとつ、それも大きな比重を締めているだろう。
実用的な目的があっての所業ではない。いかな常識外れの化け物といえど、吸血鬼族のごとく他者の血を吸うことで自らの体力を回復するような真似はできない、と聞いている。
まして魔族や亜人の血で、おのれが消費した血液を補填できるわけでもあるまい。一応"狂戦士"といえども人間のはずだ、だいぶ疑わしくはあるが。
奴が屍の血を吸うのは、純粋に"血の味"を好む故だ。おのれが屠った獲物の血を直接味わうことで悦楽と達成感を獲得し、新たな殺戮へ向けて気分を昂揚させているのだ。狂戦士にとって他者の血とは、一種の麻薬のようなものかもしれない。
「何と醜悪な、どこまでも死者を愚弄して……きさま、それが仮にも"勇者"の名を冠するものの振る舞いか!? 誇りというものがないのか!」
カノンの弾劾を、バルディエルはせせら笑った。
「誇りだと? 戦場では、そんな余計なもんを持ってる奴から死んでいくのさ。そこにうずくまってる勇者サマも同じ考えだろうよ」
狂戦士がサリスの方へと顎をしゃくった。同類と思われるのは不本意ではあったが、否定できないのもまた事実ではある。
「勇者に選ばれる条件はただひとつ、いかにお上手に魔族をぶっ殺せるかだ。高潔な使命感も、自己犠牲の精神も必要ねえ。まあ勇者の中にはそんなものを持ってるふりをしている奴も何人かいるが……ハッ、反吐が出るぜ!」
バルディエルがかたわらの地面に唾をはく。唾には、緑色の血液がわずかににじんでいる。
「人間の民衆どもが、勝手に勇者という存在に幻想を抱いているだけさ。俺らがあんな雑魚どもの期待に応えてやる義理はないね。しかしまさかそんなくだらん幻想が、闇エルフにまで伝染しているとはなあ。邪悪の権化、闇エルフさまによお」
「わ、我々は邪悪な存在などではない。お前ら人間が勝手に東のエルフたちを"正統エルフ"などと呼び、それと対をなす闇エルフを蔑視しているだけではないか! 闇を信奉する我らをすなわち邪悪と断じるのは、人間の傲慢だ!」
「悔しかったら、力づくでその傲慢とやらを正してみろよ。結局てめえらの種族が弱小だから、汚名を注ぐことができねえのさ。所詮この世は力だ、何が正義で何が悪かなんざ、つええ奴が好き勝手に決められるもんなんだよお!」
そう断じて哄笑を爆発させた狂戦士を、カノンは呆気に取られたように見つめていた。あまりにも不遜、あまりにも非情なその態度に、もはや継ぐべき言葉も見つからないようだった。
「ちっ、それにしても竜人の血なんてのはまずいもんだな。高位といっても所詮は亜人か、こんなの飲んでもちっとも気分が盛り上がってきやがらねえ!」
不平を言いながら、バルディエルは左手に抱えていたヴィンゼガルドの屍体を無造作に投げ捨てた。口元の緑血を手でぬぐい、げっぷをしてみせる。
「やはり血の味は人間に限るぜ。できれば若い女がいいな。そこいくとてめえの女、あの聖女サマの血は美味そうだ。一度くらい新鮮なままで味わってみたかったが、もうすぐ屍体になっちまうからそれもかなわんだろうなあ。惜しいことだぜ」
「……なに?」
狂戦士から向けられた言葉は、サリスには到底聞き流せないものだった。
「聖女が……メルティアがもうすぐ死ぬ? どういうことだ!」
「なんだ、知らなかったのか」
相手を痛ぶるのが楽しくて仕方ないとでも言わんばかりに、バルディエルは顔を歪める。
「てめえの女、聖女メルティアは一昨日宗教裁判にかけられ、即日"背教"の罪で死刑判決が確定した。背教者の烙印もすでに押され、今日の日暮れには聖都広場で火あぶりにされるだろうよ」
「背教!? バカを言うな、あんな信仰にあつい女を……まして女神の代理たる聖女を、一体何の罪で!」
「人類に叛逆した、てめえに協力した罪だとよお」
ハッとして、サリスは言葉を失った。
「てめえがここに竜人を匿った件に関しては、聖女も大分関与していた節があるそうじゃねえか。そもそも聖女が男とねんごろになって聖庁を離れること事態異例中の異例だ、しかも聖剣まで持ち出してなあ。枢機卿どもも、腸が煮えくりかえっていただろうよお」
つまり聖庁の幹部たちは、自分たちの制御を離れはじめた聖女に脅威を感じるようになった。だから彼女を排除するため、サリスの竜人隠匿に協力したことを格好の口実とした、というわけか。
今の言葉が真実なら、教団はサリスが竜人たちを匿ったことの確証を、遅くとも一昨日の時点では掴んでいたことになる。先刻サリスの登場に驚いてみせたバルディエルの態度は、やはりくだらない狂言だったと確定するわけだが……この時のサリスには、当然そんなことにまで意を裂く余裕はない。
「そんな、まさか……い、いくら何でもエウレネ教徒が、聖女を火刑に処するだと。そんな大それたことを……」
「信じらんねえか、それとも信じたくねえのか? ふん、まあどっちでもいい、証拠を見せてやるよ」
バルディエルがふいに、女神官や罪人たちの方に顔を向ける。
「セリカ! おまえも司祭の資格で、あの裁判の場にはいたはずだよな。その時の光景を、この分からねえ勇者サマに見せてやれ」
狂戦士の指示に、セリカと呼ばれた女神官は無条件に首肯したりはしなかった。
「バル、何もそんなことをする必要はないでしょう。もう勇者サリスは深手を負って戦えない、このまま捕らえて聖庁に引き渡せば、あなたの任は果たされるはずよ。それをこれ以上いたずらに刺激したら、どんな不測の事態を招くか……」
「余計な口を叩くんじゃねえ!」
狂戦士は声を荒げたが、そこには野獣の咆哮というよりも、どこか母親に駄々をこねる子供の金切り声を思い起こさせる響きが含まれていた。
「お前は黙って俺に従ってりゃいいんだよ。これは枢機卿どもの要請でもある……ほら、ぐずぐずしねえで、さっさと魔法を発動しろ」
女神官は悲しげにまゆを曇らせ首をふると、胸元で両手を組んで詠唱をはじめる。
やがて崖の岸壁へ向けて右手をかざすと、岩肌にうすい光が広がり、その中にここではないどこかの光景が浮かび上がる。光の中からは、衣ずれの音や人々のざわめきも聞こえてくる。
"想影"と呼ばれる、術者が実際に見聞きした事象を遮蔽物に映しだす魔法である。映しだせる事象は、術の発動時点で術者の記憶に残っているものに限る。現代の地球の用語で例えるなら、記憶の中の好きな部分を投影できる映写機、を想像してくれればいい。
"想影"が映し出したのは、うす暗い伽藍とした広間だった。その中央には柵付きの台が据えられ、ひとりの少女が立っている……否、立たされている。
周囲には法衣に身を包んだ大勢の人間がいて、遠巻きに少女を囲んでいた。




