断章-月下血風小夜曲(中)
”聖山ハガル”は、神聖トゥル王国領内の中ほどに位置する霊峰である。それは同時に現在の人類社会にとっての、魔との境界線にほど近いことをも意味していた。
荒れ狂う西北方の海に浮かぶ”暗黒大陸”において魔王が再臨したのが、約20年前。強力な指導者に率いられた魔族は海をわたると、人類文明の枢要であるディーノク大陸の西から東へと、またたく間に侵攻した。その途上にあった人間が営む都市や国や領土が、支配され、破壊され、蹂躙されていったのは言うまでもない。
人類もふいをつかれた衝撃から立ち直ると、即席ながらも主要各国が同盟し連合軍を結成。団結の体裁をととえて魔の脅威へと反撃をこころみたが、開戦以来思わしくない情勢がつづいている。人魔の戦線は20年の間に西から東へと徐々に追いやられ、その後退は現在、"大陸南部、強いて言えば東寄り"に位置する神聖トゥル王国にまでおよんでいた。かつての神聖王国領土が、中央から西側が魔の支配地域、東側が人類が死守する領土と、綺麗に二分されてしまっている形である。聖山のある一帯は、未だかろうじて魔族の侵略を免れていた。
言わば南北に伸びるその最前線を東から西へと越えれば、本格的な魔の勢力圏に足を踏み入れることとなる。東側とは比べものにならないほど強力・凶悪な魔族が、ひしめいていることだろう。
それを承知の上でサリスたちは大陸東北方の地を旅立って以来南西へと進路をとり、そして今トゥル領内の前線至近までおもむいてきたのだった。
「どの道、魔の支配圏を通過しなければ魔王のいる暗黒大陸まではたどりつけん。遅いかはやいかだけの違いだ」
サリスはそう割り切っている。魔王の命脈を断つことこそ、彼らに課せられた使命なのだ。
とはいえ、ただ東から西へ人魔の境界を越えるだけならば、他にも進路はある。勇者一行が大陸内の複数国にまたがる最前線の中でも1、2を争う激戦地と言われるトゥル領内を通過地点に選んだのは、どうしても聖山ハガル――峻厳な山々が連なる山岳国であるトゥルの中でもひと際高くそびえるその霊峰に、立ち寄らねばならなかったからだ。"聖剣"を"深化"させるためには、この霊峰の"白き洞"に聖女自らこもる必要があったのである。
古の伝承につたわる”神魔大戦”の当時、白き洞は神と協力して魔族と戦う人類が用いた拠点のひとつだった。今でも内部には女神エウレネが残したといわれる白い聖光が満ち、陽の届かない奥まった場所でも常にあかるい。そしてその光はとりもなおさず、”聖剣”の材質でもある。ためにここは聖剣を鍛え直す”深化の儀”がおこなえる、大陸内でも二ヶ所しかない場所のひとつなのだ――というのが、メルティアや聖庁のお偉方から聞かされた概要だった。
「それにしても、いまだに信じがたいわね。あの聖剣が、さらに強力になるなんて」
カーシャは洞窟へと目を向けながら、軽く身震いした。すでにここまでの旅で、聖剣の威力を十分以上に目の当たりにしてきたのだ。
「今までの”聖剣”は"第一具象階位"、生まれたままの初期形状だったわけだ。それを今回深化させることで、"第二具象階位"へと移行する」
もっともらしく言うサリスだったが、彼自身、メルティアから説明されたままをくちにしているだけで、その詳細は把握していない。
「つまりこれまでが、いわば赤ん坊みたいなものだったってことねえ、あの威力で……何もこれ以上強化しなくとも、十分この旅の目的は果たせるんじゃない? 魔族なんかよりあんたの聖剣の方がよっぽど恐ろしくなってきたわよ、あたしは」
「魔族を甘く見るな。奴らの支配圏に足を踏み入れれば、戦いは今までの比ではないほど苛烈になるだろう。まして俺たちの最終目的は奴らの首魁――魔王を討ちたおすことだ。その力の全貌は、いまだ明らかではない。こちらの戦力をいくら増強しても、しすぎるということはないはずだ」
サリスは魔族を憎んでいたが、決して侮ってはいなかった。むしろその脅威を警戒するが故に、魔物に対して過度に酷薄だった、という一面もある。
「第一、聖山に立ち寄って聖剣を”深化”させるということは、この旅がはじまった時点で決まっていたことだろう。あの老いぼれも、前々から知っていたはずだ。それを……」
サリスが歯噛みすると、カーシャは肩をすくめて茶化すように言った。
「まだ根に持ってんの? まあ、あのじいさん、あんたのこと嫌いだからねえ」
トゥル領内の戦場――人類側が言うところの”神聖王国解放戦線”において、連合の軍を指揮しているのは建前上はトゥル国の元首・神聖王その人となっているが、実質的には”機関”より派遣された十二勇者中の序列第四位・”槍聖”シュリーフェンが戦闘を采配している。白髪白眉の老戦士でありながらその槍さばきは依然豪壮そのもので、槍術と魔法を組み合わせた闘技において他の追随をゆるさないと言われている。古風かつ硬直した価値観の持ち主で、勇者でありながら魔法を使えないサリスへの蔑みを常日頃からかくそうともしない。この時代のフェイデアにおいて、魔法の才に恵まれたものが才を持たない者を見下す風潮は、根強いものがあった。
聖山へと足をはこぶ前、サリスたち一行はそこからほど近い場所にある解放戦線本陣へおもむき、シュリーフェンに面会を求めた。白き洞内で聖剣の"深化"にとりかかる間、メルティアは無防備となり他の光魔法も使用できない。その時魔族の襲撃を受ければ、危険は極めて大きなものとなる。いくら洞には聖光が充満しているとはいえ拠点として利用された頃から長い年月が経過しており、魔をしりぞける効力を依然たもっているとは期待できないだろう。故に解放戦線から数十名で良いので兵を借り、洞近辺の護衛に協力してもらいたい……
そう申し出たのだが、1万もの兵力を麾下におく”槍聖”の返答はにべもなかった。
「現在我が軍は、敵軍との交戦下にある。西方より攻め寄せる魔族の勢いいよいよはげしく、一兵たりとも割く余裕はない。むしろこちらの方が人手を貸して欲しいくらいだ。そこで貴殿らに要請する。聖山には聖女どのお一人でおもむいていただき、他の者はここに残りわしの指揮下に入ってもらいたい」
メルティア1人で、いつ魔の襲撃があるとも知れない聖山へ行けと突き放したのである。生粋の武人であるシュリーフェンは、神官や魔導士にも良い印象を抱いていない。肉体を鍛えることも知らない軟弱者、とあなどっている。気むずかしい性格の老人、サリスに言わせれば「偏屈な老いぼれ」なのだった。
ましてわずか15、6の少女であるメルティアが人類の切り札と目されていることは大層承伏しがたいらしく、「あのような小娘にたよる必要はない」と何かにつけて憤懣を漏らしていた。勇者としての強烈な自負が生んだ反発かもしれないが、それにしても……
シュリーフェンはじろりと、サリスの方をねめつけた。
「”魔剣士”よ、貴公にも我が軍に参陣してもらう。小娘のお守りなどやめ、ここで魔族を食い止めるべく尽力せよ。それこそ勇者の本懐というものであろう」
この言葉に、サリスが激昂した。
「俺に残れだと! 何のために勇者を各地に分散したと思ってやがる、作戦の根本を理解していねえのか!?」
魔軍との戦場に派遣されている勇者は、"槍聖"だけではない。サリスを除く11人すべてが、大陸を南北に縦断するかのように連なる最前線の各所に配置され、該当地域における連合軍の中心戦力として魔族の大波濤を押しもどす役目を担っている。
そうして前線に戦力を注入し、そちらに魔族の眼を向けている一方、サリスが"光の聖女"を含む極小人数を連れて隠密行動を取り、ひそかに暗黒大陸へわたって魔王の首を取る……それが今回発動された作戦の全貌だった。サリスの一行による魔王討伐行とは、いわば全世界規模で展開される”陽動―奇襲作戦”の一環であり、かつ要なのだ。
聖剣と聖女の力に絶大な信頼を寄せればこそ立案された、劣勢を強いられる人類に残された起死回生の策だった。その奇襲役とも言うべきサリスを前線の部隊に組み入れてしまうというのだから、シュリーフェンの要請は本末転倒そのものだった。
「わしは元々、聖剣なぞという怪しげな代物をあてにした作戦には反対だった。そんな博打に縋るよりも、魔族の侵攻を阻止して戦線を維持することにこそ人類の総力を傾注すべきだ」
「機関や連合総本部――”天玉会議”の意向を無視しようってのか。いつも秩序にやかましいあんたが?」
「現場の指揮官には、時に上層部の意向に逆らってでも臨機応変に判断をくだす責務がある。勇者の名を冠する者が新たに自軍に加わったと知れば兵たちの士気も上がろう、たとえそれが虚名であってもな。貴公らを我が軍に編入することこそ、正しい道だと信じるものである」
「そうかい、だったらあんたは勝手に、その正しい道とやらの幻影を追ってな。俺は俺でやりたいようにやらせてもらう。あんたの軍には入らない、メル――光の聖女に同行して聖山へ行く。聖剣の力なくして、魔族を討ち滅ぼすことはできない」
「つけあがるなよ、青二才が!」
勇者2人の間に一触即発の気配が立ち込めるのを、周囲の人間たちが取りなした。そうせざるをえなかっただろう。シュリーフェンの部下たちにしてみれば指揮官が公然と連合首脳の方針に逆らうのを看過するわけにはいかないし、サリスの仲間たちにしたところでこれから戦線を西に越えようとしている手前、軍には何かと便宜をはかってもらった方がいいに決まっている。
たがいの利害と打算がからみ合った折衝の結果――こういうことは"商人"の十八番である――、サリスとカーシャのみがメルティアについて聖山へ向かい、他の仲間は軍に一時的に協力することとなった。特に”司祭”の残留を、シュリーフェンは強行に主張した。聖職者を忌避する心情とは別に、やはり回復魔法の使い手は軍にとって貴重なのである。
その代わり、聖剣の”深化”を終え西へ旅立つ時になれば、一行には軍から十分な食料その他の物資が提供され、戦線を越えるための案内役もつけられる。それが協力への対価というわけだった。結局聖山への護衛を借り受けることはできなかったが、頑迷な老戦士相手にそれ以上の譲歩は望めなかっただろう。
これらの取り決めが交わされる間、メルティアはほとんど口を開かなかった。シュリーフェンが自分への敵意もあからさまな物言いをしても、おだやかな表情を崩さず、どこか人形じみた平静さをたもっていた。
そんなメルティアの様子が、サリスには苦々しかった。この頃までには旅の途中に起きた様々な出来事を通じてすこしずつ打ち解け、サリスに対して年相応の少女らしい表情を見せることもしばしばとなっていた。それだけに、出会った時のように模範的な"聖女"の仮面を被ってしまったメルティアを見ていると、舌打ちのひとつもしたくなった。「小娘」とまでののしられたのだ、"槍聖"の非礼に対してもう少し腹を立ててもいいだろうに……
「しかしねえ、あんたももう少し処世術を覚えなさいよ。あんたに着いてきたあたしまで、"槍聖"のじいさんににらまれちゃったじゃない」
オークの群れを退けた安心感があるのか、カーシャは軽口を止めようとしない。
「別に頼んだおぼえはない。あっちに残ってもよかったんだぞ」
「頭に血が昇った相棒を、放っておくわけにもいかないでしょ。あんただって元々自分1人ではここの護衛が心許ないと思ったから、わざわざ兵を借りに行ったんでしょうに……それにしても、あんたの懸念が当たってしまったわねえ」
聖山が襲撃されたことを言っているのである。
「聖女どのが聖山に寄る予定だということを魔族はしらない、故に襲撃などあろうはずがない」というのが、シュリーフェンがサリスの要請を斥けた論法のひとつだった。先にも言ったとおりサリスたちの魔王討伐行は極秘作戦であり、人類の中でも各国首脳部や勇者級の要人にしかその旅程は伝えられていない。
にも関わらずこれまでの道中、再三魔族におそわれてきた。まだ人類統治下の大陸東部においてさえ、である。襲撃してきた敵の中には古くから人里離れた地に住む土着のモンスターのみならず、明らかに西から密かに戦線を越え侵入してきたとおぼしき上級魔族も含まれていた。魔族がサリスたちの目的を知り、妨害しにきているとしか思えない。
おそらく人類側に、魔軍への内通者がひそんでいるのだろう。それもかなり上層部に。サリスはかつて大神殿で戦った、変容の魔法を使う魔人を思い出していた。あのように魔族が人に化けているのか、あるいは……
「今片付けたオークたちは元々この近くに巣を張ってた連中でしょうけど、まず魔軍からの指示を受けて動いたと考えるべきね。そうなると、西からさらに上位種の魔物が送り込まれている可能性は高いわねえ。”深化の儀”とやらは、一体いつまでかかるの?」
「俺に聞くな。メルティア本人でさえ、取り掛かってみなければわからないと言っていたんだぞ」
サリスにも焦慮はある。一刻もはやくメルティアを連れ、この場を去るに越したことはない。
たとえ陽動だとわかっても、前線に投入された11人の勇者を魔軍は無視できない。勢力圏を維持するためにもそちらに戦力を注がねばならず、サリスたちにばかりかまってもいられないのだ。だからこそサリス一行はいまのところ健在で、小人数の精鋭で魔王を強襲しようという計画は依然有効なのだが……それでも時折、相当上位の魔人が西よりの刺客として送られてくる。魔軍の方でも”聖剣”と”光の聖女”を、無視できない脅威と認識していることは間違いないようだった。
今そんな敵に襲来されては、撃退はむずかしいだろう。こちらはわずか2人、しかも聖剣は”白き洞”の中にあり、サリスは使用することができないのだ。




