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断章-薄明の邂逅(前)

前回から随分間があいてしまいました。今回は前世編です。

さらっと書くつもりが、予想以上に長引き普段の倍もの分量になってしまいました


……耐えてください!(直球)


 左右に太い柱がならぶ薄暗い回廊に、足音が反響している。


 光源(こうげん)といえば壁面にまばらに穿(うが)たれた小さな高窓から差しこむささやかな陽光のみで、それらが闇のヴェールの威勢を気休め程度に(やわ)らげ、目の前を行く案内役の神官のうしろ姿を、ぼんやりと浮かびあがらせていた。


 光の女神を(ほう)じる教団の本部内にしては、随分(ずいぶん)と名前負けしている。サリスは皮肉な気分で、心にそうつぶやいた。


 エウレネ教団の総本山・聖都カリガノ。赤茶けた大地がひろがる荒野の一角で、そこだけ人工的な殷賑(いんしん)現出(げんしゅつ)している。まぶしいほどに白い大理石(だいりせき)建物(たてもの)が密集した宗教都市。


 その中心に広大な敷地(しきち)()める聖庁(せいちょう)本部――"大神殿(だいしんでん)"。各国の王宮にも見劣(みおと)りしない荘厳(そうごん)な建物の回廊(かいろう)内を、サリスはあるいていた。彼はこれから奥の本殿で、正式に"聖剣"を授与(じゅよ)されることになっている


 この日は、前世(ぜんせ)の記憶の中でも、一際(ひときわ)魂につよく(きざ)みこまれている一日だ。


 "大神殿"とは、いくつもの神殿や塔を渡り廊下でつないだ複合施設(ふくごうしせつ)の総称だった。正門をくぐってすぐの殿には礼拝式を行う“礼拝の()”と称される大広間があり、一般の信徒や入信希望者もそこまでは自由に入ることを許される。しかしそれより奥には聖庁幹部や本部内での役目をあたえられた一部の神官しか基本的には入れない。そしてそのような特別な区画(くかく)の方が、民衆たちにひらかれた区画よりも、はるかに面積が広いのだった。


 部外者が特例として奥まで通される場合もあるが、その際には厳格な身体検査(しんたいけんさ)を求められ、武器を所持することは許されない。サリスも先程、検査担当の神官に腰の長剣をあずけており、現在は丸腰だった。


 一方で、目の前を行く神官は腰に短剣を(はい)していた。エウレネ教の神官は、同時に女神のしもべとして魔を討ちはらう戦士でもあるとされる。そのためたとえ大神殿の中でも、不測の事態に対処できるよう常に短剣を拝することがしきたりなのだが、こちらを武装解除しておきながら自分たちは短剣のみとはいえ武装したままというのも、随分横柄(おうへい)な話である。


「いつ来ても、いやな(ところ)だ」


 サリスは密かにひとりごちた。もっとも、そういうサリス自身が大神殿内部をおとずれたのは、これでわずか2度目だったが。


 元々サリスはエウレネ教団に好意的ではなかったが、聖庁の幹部や神官たちにしたところで敵意があからさまだった。この人気のない回廊に入るまで様々な連中とすれ違ったが、ほぼ例外なくサリスに嫌悪と畏怖(いふ)の視線を送ってきたものだ。


 エウレネ教団と"機関"は、長年魔軍との戦いにおける主導権をあらそい、暗に反目(はんもく)しあっていた。人類全体がいよいよ魔軍に追い詰められ、エウレネ教団がようやく"機関"に提携(ていけい)を申しでる気になったのがわずか数ヶ月前。当代(とうだい)の“光の聖女”メルティアがついに“聖剣”の錬成(れんせい)に成功したのを受け、その使い手を"機関"に所属する勇者の中から選抜したい、と打診(だしん)してきたのだ。


 勇者とは"機関"によって世界中から選出された、魔物との戦闘に特化した12人の超戦士のことだ。教団が魔軍に勝利したいと真剣に願ったのならば、対魔族の切り札ともいうべき聖剣を勇者の誰かに(たく)そうとするのは、至極(しごく)真っ当な選択だったというべきだろう。


 建前上協力することになったとはいえ、所属する者たちの感情のしこりがすぐに取れるわけでもない。"機関"に属する勇者の1人であるサリスに対して、神官たちが依然(いぜん)良い顔をできないのも当然だろう。


 もっとも、敵意を向けられることにはサリスは慣れている。むしろ半端に()れ合おうとする連中といるより、肌をさすような緊張感に方が小気味(こきみ)良かった。物心ついた頃から、傭兵たちの中で、敵意と凶刃にかこまれ生きてきたサリスである。


「遠路、お疲れ様でございました」


 前を行く案内役の神官が振り向いて、声をかけてきた。薄闇の中に、青白い顔の輪郭(りんかく)が浮かびあがる。両眼とも糸のように細い、(ホルペス)を思わせる男だった。


「"機関"本部からここは随分離れておりますれば、幾日(いくにち)も荒野をわたるのはさぞご足労(そくろう)だったでしょう」


「……カリガノの近くまで転移魔法で来た。歩いた距離は、ごくわずかだ」


「ああ、では"機関"のどなたかに、近くまで転送していただいたのですね。ご自身ではご無理でしょう、何せ勇者サリス様は、"魔法が使えない"稀有(けう)な勇者様として有名ですからな」


 男の声に、(ねば)つくような悪意がにじみ始めた。サリスはぴくりと、左の(まゆ)を動かした。


「まったく、我々のような俗世(ぞくせ)にうといものには不思議でなりませんよ。なぜ魔法も使えない貴方(あなた)のような方が、対魔族に()いて最精鋭たる"十二勇者"の内に名を連ねることができたのか」


「そんなことは俺も知らん。異論があるなら認定した元老じじいどもに言え。俺は勇者の名前をやるといわれたから、もらってやっただけだ」


 傭兵時代のことだ。数多(あまた)の魔を斬って名をはせていたサリスに、"機関"から声がかかったのである。


「異論などととんでもない……しかし聞けば、サリス様は十二勇者中でもその序列は12位、最も下だとか。そのような方が聖剣の使役(しえき)者に選ばれるとは、まったく青天(せいてん)霹靂(へきれき)でした。てっきり私などは、聖剣は序列1位の”亜空の死神”様か、2位の”雷霆公女”様に(さず)けられるものとばかり」


「俗世にうといという割に、俺たちの事情にやけに精通(せいつう)しているじゃねえか」


 サリスの声に浮かんだ笑いの波動は、同時に(やいば)の鋭利さをふくんでいた。彼の口調がくだけるのは、傭兵時代に血煙の中で(つちか)った危険な本能を解き放とうとする前兆である。


「単純なことだ。前回この大神殿に呼ばれ聖剣の使い手にふさわしいか試された時、他の11人は聖剣が手につきもしなかった。もっとも、全員別々に呼ばれ、1人ずつ試された。俺は連中が聖剣にふれる様子を直接みていたわけじゃないから、聞いた話に過ぎんがな。俺だけが台座に突き刺さったあの剣を抜き、自在にふるうことができたのだそうだ。であれば教団も、各国の王どもも、俺を選ぶしかなかったんだろうよ」


「そこですよ、不思議なのは!」


 神官は語気を強めた。


「勇者様方といえば、世に聞こえたすぐれた魔法・魔力の使い手ばかり。それらの方々が手に負えなかった聖剣を、なぜ魔力を持たぬ貴方様が自在に振るうことができたのか?」


 細い狐のような眼が、わずかに見開かれる。(まぶた)の奥からのぞいた瞳が、薄闇の中でにぶく光っている。


「勇者様方は皆様、勇者の称号とは別に二つ名を持っておられる。聞くところによると、サリス様の二つ名は”魔剣士”だとか。魔法を使えない方が”魔剣士”と呼ばれるとは、何とも奇異(きい)な話です。一体その二つ名はどこに由来するのです?そのことと、貴方が聖剣を振るえたこととは、何かしら関係があるのではありませんか?」


「……よく舌の回る野郎だ」


 サリスの声は大きくなかったが、微量の殺気がこもっていた。


「エウレネ教の神官なんてのはどいつもこいつも陰気くせえ無口な野郎ばかりだと思ってたが、最近はお前みたいな変種(へんしゅ)も出てきたのか? お前の任務は俺相手に無駄口をたたくことじゃなく、俺をさっさと”光の聖女”の元へ案内することじゃねえのか」


「ほう、やはりサリス様でも、聖女様にはご執心(しゅうしん)ですか」


 神官の声の響きに、下卑(げび)た色が(にじ)む。


「まあ当然でしょうな。一目あの姿をみて、()きつけられない男などいるわけがない。まさに美の化身(けしん)、エウレネ様がこの世にくだされ(たも)うた至玉(しぎょく)だ。身体つきは少々物足りないようだが……何、聖女様はまだお若い、これから胸元が成長する余地は十分にありましょう。世界中でどれだけの男が、あの少女に情欲(じょうよく)をおぼえているでしょう。それをサリス様ときては、聖剣の使役者として聖女様と一連托生(いちれんたくしょう)の身となられ、パーティを組むご予定だとか。うらやましいことです、若い男女が連れ立てば、相応(そうおう)役得(やくとく)も起こりましょう。あの柔肌を、いつでも思うがままにできるのですよ。案外、サリス様もそれが目当てで、」


 神官の長広舌(ちょうこうぜつ)を、サリスは最後まで聞いていなかった。


 一切の予備動作なく、身体を前方に加速させて神官の(ふところ)(もぐ)りこむと、腰帯(ベルト)にさしこまれていた短剣を(さや)から抜き放ち、刃の先端を神官の喉元(のどもと)に突きつけた。丸腰のサリスを短剣を拝した神官が案内する、一見囚人と看守のようにもみえる構図は、今囚人側が唯一の武器を奪いとり、立場が逆転していた。


「何をなさるのです。勇者様ともあろう方が、ご乱心なさいましたか」


「そろそろ下手(へた)芝居(しばい)はやめやがれ。見ているこっちがはずかしくなる」


 喉元に刃を突きつけられながら、神官は冷や汗ひとつかかず、依然(いぜん)薄笑いを顔にはりつかせている。


「俺は魔法は使えないが、魔覚(まかく)の方は敏感でな。魔の眷属(けんぞく)が近くにいると、反吐(へど)が出そうな気配で肌がチリチリしてきやがる。ちょうど今、貴様が発散しているような気配でな!」


 サリスが短剣を一閃させた時、既にそこに神官の実体はなかった。瞠目(どうもく)すべき敏捷(びんしょう)さで、後方に飛び退()いていたのだ。魔力を持たないサリスが数多の魔物を屠り”十二勇者”の1人に選出されたのには、衆にすぐれた剣の技量に()るところが大きい。得物(えもの)が短剣とはいえ、そのサリスの斬撃をかすりもせずかわしたことからして、相手は既に一介の神官ではありえなかった。


「貴様、人間ではないな」


 サリスが断定した直後、ひゅっと谷底を吹き抜ける風のような音が響き、断続的に続いた。それが神官、いや、神官に(ふん)した魔性(ましょう)の口から()れ出る笑い声だと気づくまでに、数瞬の間を要した。


「これはこれは……中々どうして、卑小な人間にしては大した感覚をお持ちだ」


 魔性の声はさほど大きくはないにも関わらず、回廊全体に響き渡り二重三重に(こだま)するという奇妙な現象を引き起こした。


 サリスは目だけを動かして周囲の状況を確認する。いくら人気のない区画の無駄に長大な回廊内とはいえ、これだけ騒ぎになれば誰かしら駆けつけてもいいはずだ。しかし今のところ、サリスと目の前の魔性以外の気配は、人のものだろうが魔のものだろうが感じられない。どうやら一種の結界を張られたようだ、と判断せずにはいられなかった。


「さすがは、まがりなりにも"勇者"などと呼称されるだけのことはある……まあそれも、明日からは過去形で呼ばれることとなりましょうがな」


 言葉が終わるより先に、変容(へんよう)が訪れた。神官の法衣(ローブ)はちぎれ飛び、人の皮膚は溶けくずれ、目の前にいた小柄な男の体躯(たいく)が縦横それぞれに3倍ほどにも膨張した。やがて暗がりの回廊に、きわめておぞましい異形が現出(げんしゅつ)した。二本足で立ち、長い2本の腕を無造作に()らし、胴体の上には頭がある。全体の輪郭は一見人間に近く見えるが、頭には2本の角があり、口は(ほお)穿(うが)つように()け、そして全身が紫色にぬめり光っていた。


 魔人(デモン)だ。吊り上がった両眼にはやはり狐の面影があることから、ひょっとしたら妖狐ガズホルぺス族の血も混じっているのかもしれない。いずれにせよ人語を介し、変容魔法を使用し、人界に溶けこむだけの智慧(ちえ)を有していることからして、魔族中でも相当高位の者だろう。


「わざわざ人間に化けて神殿に潜りこむとはご苦労なこったな。これまでうまいこと尻尾(しっぽ)を隠していたらしいが、その努力もこれで水の泡ってわけだ」


「何、ここで貴方が死ねば、私の正体を知るものは誰もいなくなりましょう。既にお察しでしょうがこの場には結界をはらせてもらいました(ゆえ)、しばらくは近寄る者もいない。それにこれは予定通りの成り行きでもあります。貴方さえ始末してしまえば、私がここにいる目的の大半は果たせるのですよ。聖剣を扱える唯一の人間が、この世から消え去るのですからね!」


 あごの付け根まで裂けた口を大きく広げてその時魔人が浮かべた表情は、どうやら嘲笑(ちょうしょう)であるらしかった。


「そう、魔王様を討つなどという妄言(もうげん)は馬鹿馬鹿しいかぎりですが、たしかにあの”聖剣”とやらは人間には過ぎた代物(しろもの)ですからね。小さな危険でも、早めに摘みとっておくにこしたことはない」


 魔人は己の右手を顔の前にかかげた。その腕は見る見るうちに細くなり、硬質な光沢をまとい始め、(ひじ)から先が長剣の剣身部へと変貌(へんぼう)した。変容魔法を、己の身体に部分的にかけたのだ。


 魔族は魔法を発動させる時、基本的には呪文や印などの術式(じゅつしき)を要さない。それらは本来魔力の扱いに適さない生態の人間が魔法発動のために用いる、精神を()ぎ澄まし術のイメージを深める手段、いわば自己暗示の儀式である。魔族の中には、たとえ知性の低い魔獣であっても本能で魔力をともなった炎や雷を生成し放出できるような種もいる。その意味でこと魔法の戦闘においては、人間の側がどうしても不利と言わざるをえないだろう。


 それでも変容魔法で身体の一部だけを変形させる、などという真似(まね)は魔法の応用の中でも相当高度な部類に属するはずで、並の魔物にできることではない。それを瞬時に成してしまうのだから、目の前の魔人が魔力の行使(こうし)に相当熟達(じゅくたつ)した、容易ならぬ相手であることは疑いない。


「今の貴方は聖剣はおろか普段使用している剣をもここまで来る内にあずけてしまい、得物といえばその貧相な短剣ひとつ。それでどうして私に(あらが)うことができるというのです。まったく、思い通りにことが運んでくれたものです。この神殿に足を踏みいれた時から、貴方は罠にかかっていたのですよ!」


「こっちが丸腰になる時を見越して殺そうとしたってわけか。せこい野郎だ。その程度の小物相手に恐れ入る理由はねえな」


 サリスは笑った。自分の表情だから見ることができなかったが、その笑みは魔人の眼にはさぞ不敵(ふてき)に映ったようだった。紫色の顔面から嘲笑の色がうすれ、獰猛(どうもう)なうなり声が響いた。


「俺を罠にかけるつもりだったら、自分でここに短剣を持ちこんだのは失敗だったな。これ一本あれば、貴様ごとき屠るのに造作(ぞうさ)もねえぜ」


「ほざきなさい!」


 怒号(どごう)とともに、魔人が床を()った。こちらに向かって矢のごとく突進してきたかと思うと、勢いそのままに剣と化した右手を突き出してくる。心の臓にねらいを定めた突きを、サリスが無造作に身体を(ひね)ってかわす。


 魔人はよけたサリスを追って、間髪入れずに斬撃の雨を繰りだしてくるが、剣風が頬をなでるだけで、ただの一撃もサリスの皮膚にすら届かない。すべて、紙一重(かみひとえ)で見切っていた。


 魔人が咆哮(ほうこう)した。苛立ったように剣と化した己の右腕を天井(てんじょう)に向けてかかげると、大きな動作で力まかせに振り下ろしてくる。うしろに()んで難なくかわしたサリスは、(すき)が生じたのを見計(みはか)らい回避から攻撃へと転じる決断をした。


 しかし、それは魔人のさそいだった。サリスが魔人の懐へと飛びこんでいくその寸前、まだ体勢を立て直せずにいる魔人の顔だけがサリスの方を向き、その口が大きく開いた。口内に炎の球が生まれ、その形が崩れたかと思うと、炎は波濤(はとう)となってサリスをおそった!


 人間の世で"焰浪(えんろう)"と呼ばれる、炎による攻撃魔法である。魔人が放つ炎は闇の成分が混じるせいかやや黒みがかっている。黒炎(こくえん)はサリスの視界を(おお)い、全身を包んだ。


「かかりましたね。私が使える魔法が変容魔法だけだとでも思いましたか、愚かな! 金剛石すらも瞬時に溶かす我が魔炎(まえん)からのがれる(すべ)などもうありませんよ、灰ものこさずに蒸発し」


 魔人の口上はそこで(こお)りついた。炎の波を突き破り、眼前へと飛び出した俺=サリスの姿を見て、魔人の細い眼が見開かれる。人間とは程遠い異相でもはっきりそれと分かる、驚愕(きょうがく)の表情が顔面にあらわれた。


 相手が衝撃で固まっている隙に、サリスは短剣を繰りだした。さすがにいつまでもじっとしていてはくれなかったが、それでも先ほどより鈍い動きでかわす魔人の表層(ひょうそう)に、一箇所二箇所、浅い傷を負わせることに成功した。


「ば、馬鹿な。何故燃えない、何故生きている! 魔力さえ持たない人間が、私の黒炎に耐えうるはずがない、貴様は一体!?」


「ぎゃあぎゃあうるせえよ。そんなに口を動かす(ひま)があるのなら、とっとと死にやがれ」


 サリスは大きく一歩踏み込み、渾身(こんしん)の突きを魔人の顔面めがけて放った。魔物はたとえ頭を破壊しても、”(コア)”が無事である限り絶命するとは限らないが、せめて眼球を(つらぬ)いて視界をうばおうという目算(もくさん)もあった。


 短剣が届く直前に自失から回復した魔人は、すんでで突きをかわす。刃が頬をかすり、その傷口からどす黒い血が流れた。右手を()ぎ払いサリスをけん制すると、後ろに大きく飛びのき、距離をとる。


「ち、往生際(おうじょうぎわ)の悪いやつだ……」


 サリスは悪態をついた。ふてぶてしさを(よそお)いつつも、内心は外面ほどの余裕はなかった。


 先ほどは大言(たいげん)を吐いたが、確かに手の中の短剣だけで相手に致命傷をあたえるのは至難(しなん)のようだ。目の前の魔人は魔法の技量のみならず、肉体を直接使った戦闘においても並大抵ではない実力を(そな)えている。なかなかサリスに、必殺の間合いまで踏み込むことを許してくれない。現に今も、すでに(きょ)を突かれた驚愕(きょうがく)から立ち直り、隙のないかまえでこちらを(にら)んでいる。


 人間と魔物では元来の膂力(りょりょく)も持久力も違う。戦闘が長引けば、先に力()きるのはこちらの方だろう。加えて、魔人の手が擬態(ぎたい)した長剣を一撃でもまともに食らえば、サリスは絶命をまぬがれまい。


「人間風情(ふぜい)が。私にこれほどの流血を()いた以上、相応の覚悟をしてもらいますよ。手足を切り落とされる程度で済むとは、思わぬことです……」


 憎悪と嗜虐(しぎゃく)の入り混じった声音は、魔人が己の優位を確信している故だろう。そしてその認識は、この場合、口惜(くや)しいながらほぼ正鵠(せいこく)()ていた。


「さて、どうすりゃいいかな」


 サリスが内心で吐露(とろ)した時。


「”聖縛(せいばく)”」


 薄闇の回廊に、その声は毅然(きぜん)と響いた。耳に(すず)やかな、女性の声だった。


 直後、魔人の足元から光が()き出た。無秩序に散乱される光ではない。幾筋(いくすじ)かの細長い光線が石畳(いしだたみ)の下から伸びてきて、しかもその光線は()()()していた。いわば”光の(ひも)”とでも呼ぶべきものたちが、意志を持つかのように魔人の身体に絡みつき、その動きを封じる。


「ぐわあっ!!!」


 魔人が不自然な姿勢のまま、苦悶(くもん)の声をあげる。よくみればその紐――いや、紐状に凝縮された()()()光に圧迫された身体の各所が溶けただれ、灰色の瘴気(しょうき)をあげている。


「魔の者よ、大神殿の中で、これ以上の狼藉(ろうぜき)は許しませんよ」


 回廊の柱の陰から、小柄な姿が現れ出でた。それは華奢(きゃしゃ)な身体に法衣をまとい、輝くような金髪を肩まで垂らした、美しい少女だった。薄闇の中で、翡翠色(エメラルドグリーン)の瞳が意志的に輝いていた。


 それが、サリスがメルティアの姿をみた最初だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 案内役の神官!ちくちくネチネチと感じ悪いなぁもう!って思ってたら、神官じゃなかった(; ゜Д゜) サリスは勇者の中でも序列最下位ということで、きっとこれまでも色々と嫌な思いしてそうだなぁ…
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