その22 王女ムシュカ
お付き合いくださってありがとうございます。
風邪が流行っています。お気をつけて下さい。
王女は傍で震えている女を従者に任せ、後について来させた。そして貴賓席の前に立ち、宮妃にこう言った。
「ロゼリナ妃殿下。
満座の中でのお兄様の正義、これ以上主張なさるとなれば、公爵令嬢への裁きが必要かと。
公爵家への裁定であれば、相応の者が必要でしょう。
これよりわたくしムシュカ・エリ・ド・アズーナが双方の間に入ります事お許し下さいませ。」
ロゼリナは息子の暴走が決して良い方向にない事は承知していた。しかし、息子に引けと言っても、今度はジャーメインが納得しないだろう。
息子が逃げ切るか。
ジャーメインも共謀であるとし、息子を売るか。
どちらにしても、ムシュカがしゃしゃり出てきた事を無視する訳にはいかない。
「……そなたが審判を下すと?
たかだか王女の身分で、それは良案とは言い難い。」
「若輩のわたくしなれど」
ムシュカは、携えていた布板を開いてかざす。
「父王の御認可は頂きました。」
(……何と!)
ムシュカの持つ布板には、王家の紋章と、父王しか持たない獅子の印があった。羊皮紙の左下には、流れる様な王の名が黒々とした筆致で記されている。
「公爵令嬢および侯爵令嬢に関する諍いの件に関して、その全ての裁可を第1王女ムシュカに委譲する」
「…これによってわたくしは、お2人の決闘の決着を見届け、相応の罰を下す権限を持ちました。此度の経緯に不正があるとお兄様が主張なさる事は、この決闘に深く関わります。お兄様の主張が正当ならば」
「当たり前だ!」
メンディスはムシュカを遮って怒鳴る。
「俺は真実を知っている!」
(馬鹿が)
宮妃は舌打ちをした。
これで息子は逃げ場を失った。
「……陛下がそなたに委ねたのであれば、私が口出しするまでもない。ただし」
宮妃はその緑の目を三日月にしてニタリと凄んだ笑顔を作った。
「納得の行く公明正大な裁きを成しなさい。でなくば、裁いたそなたに厄災が降りかかるぞ。」
高みからの宮妃の言葉は、呪いの様だ。
ムシュカは背筋が冷たくなったが、何とか表には出さず、代わりに微笑んだ。
「お許し頂き有難うございます」
ムシュカは礼をし、
「校長先生、宜しいですか」
と、校長にも確かめた。校長の首肯を見て、彼女は周囲に伝える。
「皆様。今宵の夜会はここまでです。これより淑女試験の判定と決闘の決着を為さねばなりません。夢を夢としてお楽しみ頂いた方はお帰り下さいませ。
事の顛末をご見聞なさりたい方はこのままお座り下さい。但し、その結果は意に反して酷な裁きがある事もお分かり下さい。」
それを聞いて、扉に向かう者は誰一人いなかった。
王女による裁判が開かれるのだ!
こんな見世物、滅多にない。
椅子に座る者もいたが、殆どの者は中央の四人の乙女を取り巻いて立っていた。
「では」
ムシュカは、アゼリアの方を向く。
「この下女は、貴女が主人ですか?」
従者に連れられた若い女が真っ青な顔色で震えている。まるきり噛み合わない唇は紫色だ。
「わたくしの家の者でした。
今年雇ったミーアというわたくし付きのメイドです。」
お嬢さま……とか細い声が漏れた気がしたが、アゼリアはそちらへ顔も向けようとしなかった。
「では、カルマン。貴方が見たという者はこの女?」
カルマンは生真面目に答える。
「そうです。髪の色、瞳、背格好、この女に違いありません。」
「彼女は何をしていましたか」
「いや……何も。ただそわそわと誰かを待っていたようだった。そして扉の中に、入っていった。」
「貴方の他に誰か来ましたか?」
「いいえ。」
ムシュカは、そろりと針を刺す。
「……どうして貴方は、女性の支度部屋の前をお通りになったのですか?」
カルマンはハッとして、顔を赤くした。
聴衆も、あ、と悟る。
この目撃者も不審ではないか。
(逃げ切れ!カルマン!)
王子は願う。
しばらく俯いていたカルマンは、何かが閃いたようだ。困惑した表情が再び生真面目に戻る。
「……お慕いする公爵令嬢のお姿を拝見したかった。誰よりも早く。
若い男が愚かな真似をする事は罰せられる事でしょうか。」
(情熱的なセリフと合わない顔つきだこと。)
ムシュカは目の動きだけで、喰えない男と王子を見た。結託しているのは明らかだ。しかしこの男、兄よりは脳味噌が重いようだ。
「人の恋路まで面倒は見られませんわ。ありがとうカルマン。」
カルマンは頭を下げ、聴衆に溶け込んだ。好奇な目が集まったが、人々はすぐに王女を見遣る。
「では、この女に尋ねましょう。ミーア。真実を話しなさい」
「……」
ミーアは涙を流すだけで、かぶりを振って震えている。
下女は知っている。
偽りを語ろうと事実を告げようと、運命は変わらない事を。
よくて実家を巻き込んでの追放
悪くて………
侯爵家を裏切った自分には鼠より価値がない。ましてや王家の裁きなど。
「可哀想に。それでは話せないよ。……女。私の言う事に諾か否か、それだけ伝えるんだ。」
(話すな。)
王子の声なき命を感じ取り、ミーアが喉を鳴らし、こくりと頷く。
王子は階段を降りて、フロアにきた。
「女。ドレスが汚れた事を誰かに伝えに行ったのだな。」
ミーアが頷く。
「その相手は、公爵令嬢か?」
ミーアは更に頷く。
おお、と聴衆から吐息の塊が出る。
王子は駄目押しをする。
「ドレスをお前が汚すつもりだった。手を下さなくとも自滅した事をカムルに報告する義務があった。
そう言う事だな?」
ミーアは涙を溢れさせて、コクコクと頷いた。
「どうだ!やはりカムルが裏で手を回していたのだ!ムシュカ!裁け!」
(どこまで馬鹿なの)
ムシュカは血の繋がりを恥じていた。本当に、あの馬鹿が隣国の血のせいならいいんだけど。
おーほほほほ!
ジャーメインの高らかな笑い声が響く。
「ああ、可笑しい。くっくっ……」
「何だ!言い逃れなら」
ジャーメインは扇で覆ってはいるが、はしたなくも口を開けて笑っている事は明らかで、うっすら涙まで滲ませて、身体をよじっていた。
「こんなに…くっくっ…可笑しいのは、久しぶりです……」
唖然としていた王子は、
「何が可笑しい!」
と怒鳴ると
「だって、わたくしあそこにはおりませんでしたもの」
けろりとしたジャーメインがピシリと言い放った。
え?
何だと?
「わたくしの支度部屋が停電しました。校長に申し出たところ、校長室をお貸しくださいましたわ。ねえ、校長先生。」
「ああ。そうじゃ。」
(……!!!)
(なんと)
(まあ)
ジャーメインは、ぱさりと扇を閃かせ、続ける。
「そこに居るはずもないわたくしに、どうやってその女が接触できると言うのですか?」
「……うう」
「ミーア」
ムシュカが未だ泣き続けるメイドに近づき、小さく声をかける。
「大丈夫。貴女の弟は、家に帰しました。」
ミーアが目を見開く。
「私の権限で解雇しました。紹介状を持たせましたから、より良い雇い手がすぐに見つかります。」
「あ!あ!あり……がとうございます!」
ミーアは叫んで王女にすがりつこうとしたが、侍従に抑え込まれた。
「では、ミーア。真実を」
「わ、わたし!」
抑えられながらも、ミーアは前のめりになってアゼリアの方に訴え始める。
「お嬢様の詩を告げ口いたしました!それから、ドレスをなんとか痛めるように命ぜられました!隙を見て、汚すか裂けと!」
衝撃的な告白に、一堂がミーアを見つめる。
「……誰に?」
ムシュカの声が低くなった。
その時
ひゅっと空気を切る音がして、
ぐ
というくぐもった声が微かにあったとムシュカが思った時
ゆっくりとミーアの頭が垂れた。
あ!
(刺客!)
ムシュカが慌てて身構えたが
「大丈夫。気を失っただけだ」
「クレア様!」
アゼリアの悲鳴に、ようやく皆は状況を把握した。
そこには
人形のように動かないミーアの前で、しっかりと矢を掴んで見構える
クレアの姿があった。
真剣白刃取り?





