その14 サロン対決決着
弱った弱った。
思えばガッチャマンも、ジョーが好きだった。
明日のジョーは、力石だった。
サブキャラに力が入るクセが取れない。
(そんな。ピアノなんて、右手はどうするつもり?)
ジャーメインは混乱した。
ピアノの鍵盤はチェンバロと違って、重い。指の力が必要だ。
怪我は軽傷?それともウソ?
(アゼリア、がんばって!)
ムシュカは精一杯の思いを視線に込める。
「……<左手のための舞踊曲>を。」
アゼリアは、朗らかに宣言し、花束を胸に抱え、右腕を固定した。この姿勢なら痛みは少ない。そして、左手だけを鍵盤に落とす。
(左手だけで?)
(……そんな。そんなこと、できるの?)
ジャーメインやムシュカだけではない。サロンの観衆は、そのほどんどが驚いた。
そして。
その音色に、さらに驚かされた。
ピアノはある意味打楽器である。
ハンマーが弦をたたくことで音を出している。その鍵盤を強く弱く弾くことで、音色に色が出て、リズムが生まれる。さらにペダルを駆使し、本来なら左手がまかなう伴奏パートをサスティンをかけることで通音とし、すぐさま右手パートを左手で弾きこなす。
婚約者の薔薇を抱えた美少女は、その喜びそのままに、明るくくっきりとした音色を響かせた。軽やかで素直。色彩も鮮やかに、音が躍る。
(そうか。ピアノならば、強弱が出る。ダンパーペダルで、音を伸ばすことも可能。
でも、すごいわアゼリア。音を濁らさず、リズムも、テンポも、乱れない!)
わくわくしながら、舌を巻いているのは、ムシュカだけではない。皆がそのアクロバティックな演奏と、アゼリアの可憐な様のギャップに魅せられていた。
「左手だけなんて、思えませんな」
「本当に。なんて多彩な音色でしょう!」
彼女に感嘆する皆をにこにこと眺めているのは、王子の伝令のバルザックと、ガカロだ。
(アゼリアって、本当は左利きなんだよな)
(そー。んで、遊びで紅茶飲みながらとか、本を読みながらとかで、左手で曲弾いてたね)
(あ、ら?)
会長の右側に座っていたはずの夫人がいない。
「お」「あら、まあ」
オクタビア夫人は、ハイゼン氏のエスコートで、サロンの中央に進み出る。
そして、2人は、踊り始めた。
アゼリアの「左手の舞踊曲」に合わせて!
わっ、という華やいだ声が上がる。
粋で派手なハイゼンのリードに合わせて、余裕をもってオクタビアが跳ねる、回る。
夜色の夫人のドレスは、サテンのきらめきを放ち、残像が残るよう。
その様を、あらっ、という表情で見やったアゼリアは、おちゃめなしぐさをし、
曲を速くした。
(え、このテンポを片手で?)
中央の二人が、にこにことその速さに合わせて、回る。
足さばきと靴音が、まるでパーカッションの様だ。アゼリアもその音に合わせて体を左右に軽く揺らし、平然と弾きこなして笑っている。
最後に、高音からのグリッサンド!鍵盤を白い指が流れるように舐めていく!
どん、という低音の後、フィニッシュの和音。
踊り手が合わせてポーズを決めると、万雷の拍手が起きた。
「素敵ですわ!お二人とも!」
「なんてグレードの高いお遊びでしょう」
「ハイゼン氏ならではの演出でしたな!」
一同口々に夫人と紳士を褒めたたえる。そして、
「薔薇の花びらを散らすことなく、弾きとおした侯爵令嬢に拍手を!」
「華麗で、みずみずしくて!片手とは思えない音色!」
「軽々と、やすやすと。なんて技術だ」
アゼリアを称える声が飛ぶ。
「素晴らしい左手をどうか私に」
ハイゼンはアゼリアの前で跪いて、その白魚のような手を取り、口づけた。
「楽しい趣向でした。」
「ありがとうございます。わたくしも楽しゅうございました。」
その堂々たる気高さは、未来の王太子妃にふさわしい。先ほどまでの、愛らしく無邪気な様子とは異なっていた。ハイゼンは、その気品に、はっとし、改めて頭を下げた。
(……凄い)
ジャーメインは武者震いが出た。
この娘は、本物だ。本当の貴族子女としての素養を磨いている。
―あれは、でたらめだったのか。でたらめを信じて、告発してしまったのか?
「皆様」
夫人の声がざわめきを消して、再び主役を夫人が取り戻す。
「小粋で、品があって、知性が効いていて、お二人とも素晴らしい演奏でした。しかしながら私共は、判定を下さねばなりません。」
皆がうなずく。
「マイスター・ハイゼン。貴女はどちらの華になさいますか。」
衆目が紳士に集まる。
ハイゼンは、ふうむ、とおおげさに悩む真似をして、告げた。
「公爵令嬢は、私と遊んでくださった。私が遊んだのだ。
侯爵令嬢は、私が遊ばせてもらった。遊ばれた、とも言っていい。
その意味では、
私は」
すっ、とハイゼンの左手が動く。
「15歳になられた貴婦人の貴女に。
祝意も、込めて。
―アゼリア・アズ・ローレイナ嬢!」
わああぁっ!!
1年生の集団が吠える。
勝った!勝った!アゼリア嬢だ!
サロン対決は、1勝1分けかあ!
ジャーメイン派は、悔しさを隠せない。
「カムル様が、負けるなんて。」
「ずるいわ。演出ばかりが目立って!」
昨日のジャーメインなら、その言葉にうなずくだろう。判定に食って掛かるかもしれない。
しかし、ジャーメインはすっきりとした表情で立っていた。
そして、取り巻きから離れると、夫人とハイゼンの前に進み出て、淑女の礼をとった。
「オクタビア様、ハイゼン様、今宵はありがとうございました。
わたくし、人前で表現する楽しさを初めて味わいました。
そして、誰かに合わせて表現することの幸せを感じました。
素晴らしい経験でしたわ。本当に。」
そう言って、柔らかにほほ笑んだ。
「真の淑女におなりだわ、貴女。
そのうち、貴女の時代が来るでしょう。
それまでは、私がサロンの女帝を名乗りましょう。」
夫人が最上級の賛美を告げると
「貴女の演奏が私のリコーダーで、鮮やかに変化する様を感じました。
これからの貴女が楽しみですよ。カムロ嬢」
と、作曲家も称えた。
(あのジャーメインが、感謝している…)
想定外の出来事にムシュカは信じられない思いをもった。
今宵の朗読、そしてチェンバロ。
ただちやほやされた令嬢ではないことは、証明していた。それなのに判定を受け入れ礼節を忘れない彼女の変貌は、なにゆえに。
「ローレイナ嬢」
ジャーメインがアゼリアに声をかける。1年生たちが、ひや、と軽い悲鳴をあげたが、それを無視して歩み寄った。
「素晴らしかったわ」
「貴女も!わたくし貴女のチェンバロ大好き。」
この屈託のなさが、人たらしと称される所以か…ジャーメインは苦笑した。
以前はこれが、癇に障ったのよね。
そっと、彼女はアゼリアに近づき、
(お気をつけなさい。貴女の近くに裏切り者がいるわ。)
と、囁いた。
(……。)
アゼリアは何事もないように、軽く頷く。
顔を離したジャーメインは、晴れ晴れと、
「つぎの夜会が、楽しみですわ。
アゼリア嬢、お名前で呼んで宜しくて?」
と、声を張った。
「わたくしも。ジャーメイン様。」
アゼリアも嬉しそうに返した。
ここに、決闘の二人が和解した事を示したのだ。
そして、好敵手同士、最後の淑女試験は、互いに全力を!と、確かめ合ったのだ。
「アゼリア!いいのおー?卑怯な奴にニコニコして!」
ガカロは、むう、とほっぺを膨らます。令嬢は、ふふ、と漏らし、
「ジャーメインはお謝りになったのよ。彼女の作法で。」
そして、人差し指を唇に当て、
「高潔な方。……お姉様、と、今度お呼びしようかしら…」
などと、のたまうものだから、一同呆れて、はあーっと溜息をついた。
(わたくしの近く……)
お馬鹿な乙女の内心は、目まぐるしく蠢いていた。
(一体誰が?)
誰が、あの掲示板を―。
ピアノの登場でチェンバロは廃れたんですね。
左手だけの楽譜は昔からありました。アクロバティックなショー的な作曲って、あったそうで、上からも下からも弾ける楽譜とか、逆さの楽譜とかあるんですよね。





