その12 サロン対決3
夜の精霊王女。
可憐な美少女は、憂いある微笑を湛えて、その左手を差し出す。
<夜鳴鳥
私の小鳥
何故彼の人に出会ってしまったの>
髪と同じストロベリーブロンドの睫毛がベリルの瞳に深い憂いの影を作る。
<夜鳴鳥 黄金の金糸雀
かの鳥が眩しい
陽の光が我が身を焦がす>
獅子王の寵妃と称される、月の女王レーテリーリア妃の、王との出会い、別れ、再会を綴った抒情詩
ガカロの竪琴が、アゼリアの、か細くビブラートする繊細な声を追いかけ支える。時に共鳴するかのように同調する。
彼女の声質が、楽器なのだ。弱々しいようで、凛と通る。
精神に沁み渡る。
(あ、れ?)
ムシュカは自分の頬に、冷たい雫を感じた。
涙。
切なさで胸がきゅっと締められる。
今、王女は獅子王を見送り独り。
夜、独り、陽光を謳う。
邂逅ねば知らなかった、人を慕う苦しさ。切なさ。
夜の静かさをかき乱した、あの太陽。
決して重ならない夜と昼。
ナイチンゲールは決意する。
月の光と別れ、太陽の灼熱に溶ける事を!
けれど、彼の王は、それ以上の愛を王妃にもたらす。
その腕の中、夜を棲まわす至高の愛を。
月の光に包まれた王妃は、今日も金糸雀を歌う……
アゼリアは今や少女とは思えない気品と妖艶な色香を醸していた。その傍の少年も、精霊に相応しい瑞々しい色気と神聖を湛えている。
ー私は夜鳴鳥 金糸雀を抱くー
琴の音が途切れ、アゼリアがその腕で自分の胸を抱き、視線を床に落として黙しても
誰一人、動けない。
ある者はその色香に、高鳴る胸を鎮められない。
ある者は、ムシュカ同様、感動の涙を流す。
我に還った者から、まばらに、そしてどんどんと拍手が高まった。
皆、無言で、そして微笑んで、手を叩いて少女を讃える。
アゼリアはゆっくりと淑女の礼をとる。
「……何という……」
「比べられませんわ。これは」
ようやく声が出るようになった者が、囁く。
「貴女を見くびっておりましたね、ローレイナ嬢」
オクタビア夫人が、うふふ、と笑みを浮かべてアゼリアに声をかけた。
「繊細な少女と思っておりました。貴女、ニンフのような色香を振り撒いて、ここのご紳士方を射抜いてしまいましてよ。」
おほほ…と上機嫌の夫人に、
あら、まあ、と、いつもの少女に戻ったアゼリアがはにかむ。
(ガカロ、あなたのおかげ。
幼い頃から、あなたは私の屋敷で神話の叙事詩や抒情詩を詠んでくれたわ。そのうち一緒に口ずさんで。
今日のは、あなたのお気に入りで、諳んじてしまったものの一つ。)
(うふふ。ボクのワガママもたまには役に立つでしょう?)
ガカロは、ひょいと竪琴を置いて、夫人に、ねえねえ!と、尋ねる。
「で、どうなの?これって勝負なんでしょ?」
その声に会場は、一堂はっと息を呑んだ。
ジャーメインも我に帰る。
(……どっち?)
アゼリアの出来に、背中に汗が伝う。よもやこれほどの完成度とは。
アゼリアは、どうでもいいわ、と思っていた。存分に詠ずる事が出来た。その満足に勝るものはない。
皆がオクタビア夫人に視線を送る。
獅子王の申し子 ジャーメイン。
寵妃である精霊 アゼリア。
「……あなたは、夜と昼、どちらか選んで住む事ができますか?
太陽と月を取り替える事は?」
ガカロは、にっこりとした。
「ボクは欲張りだから、どっちも欲しいな。」
夫人も満面の笑み。
「わたくしもです。
今宵私達は、二つの奇跡を見ました。斯様な才能の発露との遭遇は、後々語り継がれる事でしょう。
その場に身を置いた事を皆様、共に喜び合いましょう!」
わっ!という歓声が上がり、
グラスを!
二人の淑女に栄光の祝杯を!
どちらとも、勝利!
という言葉がフロアのあちこちで上がった。
貴族も、文化人も、学生も、二人の朗読の余韻に酔いしれた。あちらこちらで、にわか批評家が語り出す。
作為なく、いつしか二人の少女は、人々の輪から離れていた。
「お友達に救われたわね。」
ジャーメインは、つかつかとアゼリアに近づくと、グラスを掲げた。
「どうぞ。毒など入っていないわよ。」
「あ、りがとう?」
戸惑いながら、グラスを受け取りアゼリアはグラスを捧げる。
「貴院に」
「……貴院に」
詠じた後で喉が渇いていた。口当たりのよい微炭酸が心地よい。
「やはり、右手なのね。」
「……!」
「失礼。貴女お怪我されているのではと。」
ジャーメインはグラスを持たない左手の扇でアゼリアの右肩を指す。
(貴女のせいでしょう!)
アゼリアは、きっ、とジャーメインを睨んだ。
「……何の事でしょう。」
「怖い怖い。美人が怒ると怖いのね。」
でも、と、ジャーメインは続ける。
「言い訳をしない貴女を見直してよ?例えお友達に助けて頂いたとしても」
一言多いが、
ジャーメインなりの賛美なのか…
「貴女も。素晴らしい朗読でございました。」
「当たり前よ。だけど、次はどうなさるの?楽器はお持ちになれて?」
どうやら、和解でも歩み寄りでもないようだ。
確かめに来たのだ。アゼリアに戦意はあるのかを。
「よく言うよぉ。怪我させたのあんたでしょ?階段から突き落としたんでしょ?」
ガカロが噛み付く。それでも理性が働いたか、声を潜めて周りに聞こえないよう計らっての上で。
「あんたさぁ、アゼリアからハンデ貰わないと、勝てないの?怪我させた段階で、自分が格下だって、認めてるようなものじゃん。」
わたくしは!
ジャーメインの瞳が輝く。
「それにさぁ、詩も被せてきたって?アゼリアの周りに子飼がいるみたいだけど、あんまり姑息な事してると、下品だと思うよ?」
「……。」
「あんなに凄い朗読するなら、姑息な手を使わなきゃ良かったね。残念、詩を変更したおかげで、アゼリアは本領発揮できちゃったよ。」
ジャーメインの表情が歪む。
「わたくしの本意では、ないわ!貴女の不幸など!」
ジャーメインは小声で吐き捨てるように言った。
彼女の、本意では、ない…
「カムル様、わたくし、戦いを放棄するつもりはありませんわ。」
にこり、と無邪気な笑顔を見せてアゼリアは続ける。
「どうぞ存分になさいまし。
わたくしも受けて立ちますわ。」
「…う」
ジャーメインは踵を返して立ち去る。
カツカツ、とヒールの踵を鳴らして足早に。
ジャーメインはうっすら涙を浮かべていた。
(なによ!何でわたくしが…)
そうよ。
恥じているわ!
あんな小娘から、ハンデをもらうなんて!
あの馬鹿王子に乗せられて、あんな真似を!
私は公爵の娘。王の姪。
なのに!なのに!
「あの方、ではないかも。」
「……怪我をさせたのは、他の人間って事なの?ジャーメインが勝った方が得をする人間って事だね。」
それはそうとさぁー。
「演奏、どうするの?」
リュラーを持っていけ、というフェーベルトの指示でここに来たけど、楽器の事は何も言われていない。
「ふふ。貴方も、まだわたくしの本領を知らないのね。」
アゼリアはお茶目にウインクする。
とてもさっきまで、王妃の色香を醸していたとは思えない屈託の無さに、ガカロは、
まあーいいや!見てるね!
と、ガカロは、ピョコピョコ、飲み物のお代わりに行ってしまった。
(さあ、ジャーメイン。
かかっていらっしゃいまし。)
アゼリアは、まだ痛む右手をじっと見て、次なる闘志を沸き立たせた。





