その10 サロン対決その1
サロン対決は、貴院の迎賓室で行われた。
会場には、校長の計らいで、当代きっての音楽家や詩人、そして何より、今をときめくサロンの女帝と称される、オクタビア伯爵夫人が招かれた。
サロンは女性が開くもの。そしてその身分に関わらず、教養あるご夫人に知識人が集い、いつしか話題となって行く。オクタビア夫人は、古典から政治まで、どのような話題も切り回す才をもつ夫人として、有名であった。
「夫人、本日はありがとうございます。」
「校長。お久しゅう。お招きいただいて光栄ですわ。」
目上の校長が声をかけると、夫人はゆったりとした挨拶を返した。
栗色の巻き毛を三つ編みにし、片側に垂らした夫人は、そのふくよかな身体を夜の色のドレスで包み、白い扇で口元を隠す。
「面白い趣向ね。淑女試験ですって?」
「はい。どちらも優秀な生徒ですので、甲乙つけるのは難しいかと。」
「それで、私を。」
「貴女であれば、誰も文句はありますまい。何せ彼女らは、公爵家と侯爵家の秘蔵っ子ですからの。政治的なしがらみは厳禁ということで。」
その2人は、先程夫人への挨拶を済ませて、試験開始を待っていた。
ふ、ん…
ジャーメイン嬢は、高位貴族と談笑し、余裕がありそうだ。勝負服と言わんばかりの真っ赤なドレスが、会場に咲き誇っている。
「今宵の貴女は、殊更美しい。」
「詩人が貴女をモチーフにしたいとおっしゃっていたわね!あの時のあの方のお顔ったら!」
「まあ、おほほ。お恥ずかしい。」
「いえいえ。これから貴女が朗読なさろうものなら、彫刻家が手を挙げるであろうよ。」
華やかで人の中心にあることが、当たり前の美女。客人すべてに挨拶をし、そのたびに称賛の言葉を浴びることに慣れていた。
16歳ならば、サロンは初めてではなさそうだ。
さて。
夫人は、ジャーメインとは対角にあるアゼリアを眺める。
アゼリア・アズ・ローレイナ嬢。
まだ14歳の彼女の噂は耳にする。
その類まれな美貌の持ち主は、今、詩人の紳士と話している。
というより、彼の話の聴き役をしているようだ。
ニコニコとうなづき、時折、まあ、と破顔する。
そして、周りの友達をねえねえ、と巻き込み、更に隣の紳士にも話しかけられる。
あれは、思想家のグレーガルではなくて?
あらあら、デレデレと。
ふ。
あのお嬢様、やるじゃないの。
「どうじゃね?あの2人は」
校長はにこにこと夫人に尋ねる。
「自明ね。」
夫人は扇はひらひらさせて、椅子に座る。
「公爵令嬢は大輪の薔薇。
サロンでは崇拝されるでしょう。」
でも
「何かね?」
「私が若ければ、侯爵令嬢の方がライバルでしょうね。見事にサロンの主人役をこなしているわ。」
思想家も、詩人も、科学者も、いつのまにかアゼリアの周りでくつろいで談笑している。くるくるとよく回る瞳が、それぞれの紳士の話を回し、繋ぎ、学友も熱心に聞き入る。
「オトモダチも興味が持てるように解釈し、話を引き出しているのはあの子。たいしたサロンデビューだわ。」
校長は満足げである。
「あら貴方、あの子贔屓なの?」
「わしは、公平にあらねばならん。」
「語るに落ちたわね。あ・ら・ね・ば。」
「おお、やられたの」
ほほほ、ははは、と2人が笑う。
(大丈夫なのかしら)
ムシュカはクリーム色のドレスで、仏頂面の会長にエスコートされて室内に待機していた。
アゼリアの周囲の華やぎに、無理をしているのでは、という不安が湧き上がる。
しかし、あまりに意識しては、会長に悟られる。
淑女として内面を出さない事なぞ、王女の十八番なのだけれども。
「皆様」
音楽が止み、夫人が立ち上がる。
「オクタビアにございます。
今宵、貴院の素晴らしい会にお招きいただき、更には斯様な役目をおおせつかわり過分な僥倖。」
夫人は優雅な所作で皆に語りかける。その声の響き、佇まいは、高位貴族の子弟たちが感嘆するような威厳があった。
「ここに集う紳士淑女は、どなたもその道の先端を行く方々。ギャラリーのご貴族がたも、ご存知の事と存じます。」
手にグラスを持った大人達がうなづく。芸術家たちは、軽く会釈する。
「貴院の生徒さん達にとって、素晴らしい学びの場となりましょう…その機会を下さったお二人のお嬢さんに、敬意を表しますわ。」
2人はカーテシーで応ずる。
「私はここにサロンの女帝の名にかけて、公正な審査を下す事を誓いますわ。」
拍手が起こる。夫人の礼。そして席に戻る。
(いよいよだわ)
軽い興奮と緊張がムシュカを包む。
会長と共にムシュカは中央に立つ。
「それでは、淑女試験を始めましょう。
今宵の審査は2つ。
朗読と楽器の演奏です。
どなたから、なさいますか。」
「わたくしから」
ジャーメインは、手を前に軽くあげる。
「よろしくて?」
「ええ。」
アゼリアが応じる。
アゼリアは、愛しい王子に捧げようと、王国創始の叙事詩を用意してきた。
治療がわからないよう長袖のドレスを選んだ。白地に金のレースを施した胸から切り替えのドレス。髪は古風に編み込んだ。肩から別布のトレーンは、神話を思わせる。
衣装も髪も、その神話的な叙事詩に相応しい。そう考えた演出だ。
誰にも、負傷を悟られてはならないわ。
本を持ち、ページをたぐるには、この右手では無理がある。羊皮紙に印字した詩ならば、片手に持っていても、不自然ではないだろう。小説や随筆にしなかったのはそのためでもある。
怪我で不戦敗となる。
怪我で同情をかう。
そんな事になれば、自作自演と疑われたり、
仮病と非難されたりするだろう。
多分、ジャーメインはこちらの怪我を知っている。いえ、怪我させてくれたのも彼女だろう。
(なんの。貴女の思い通りにはならなくてよ)
アゼリアはジャーメインを見つめる。こちらに視線がくるのを待って、今もズキズキと疼く右手でわざとドレスを手繰って、椅子に座る。
これしきの事で弱音は申しません。卑劣な貴女に負けませんわ。
そうやって、やせ我慢なさい。
痛み以上の辛さを味わわせて差し上げてよ。
ふん、と視線を切って、ジャーメインが中央に立つ。
「…建国叙事詩<アズーナ・レオパレシーネ>の第3章を」
(……えっ)
アゼリアの表情が強張る。
(何故?わたくしと同じ詩!)
見開いた瞳には、高慢な令嬢の微笑みが映る。
(ふふん。貴女の思惑なぞ、筒抜けなのよ。)





