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下山しよう




「そういえば偽名を考えないとな」

「偽名?」


 歳を取らない体になると余計な(しがらみ)や噂が立たないように、定期的に転居したり姿を変えたりして、存在をリセットする必要がある。


 偽名もその一つだ。


 幸い300年たった今でも、祖国以上に戸籍情報や身分証明をきっちり管理している町は見たことがない。稀に個人を証明するものが求められる場面もあったが、偽造するのはそれほど困難ではない物ばかりだった。判子を用いている国もあったが、印璽なんて形状と素材を再現するだけで簡単に作れてしまうのに大丈夫なんだろうか?

 一番偽造が難しいのは、国をまたぐ三大組合(ギルド)──冒険者組合、魔術組合、商業組合──の証明カードだろう。

 それらについては、昔俺が実際に変装しながら作ったFランクからAランクのカードの現物が手元にあるので、それを見本にして必要なときに発行してしまえばいい。ランク的には確かSやSSランクなんてものもあるらしいが、目立ちすぎる点や指名の危険性から作っていない。


 どのみち猟師親子という設定で行くつもりだ。身分証明は必要なかろう。


「俺はデルグという名で行くつもりだが、カイルはどうする?」

「うーん……」


 息子(カイル)は首をひねって、鏡に映る姿を見てから口を開く。


「“カイ”、にしようかな……あんまり違うと、俺、混乱するだろうし……父さんのことは父さんって呼んでれば大丈夫かな」

「そうだな」


 息子が考えたことは大体予想できる。

 今の息子の姿は、少し色味を変えているものの、髪を短めにナイフで切って簡単に整えただけ。“マール”(現世の息子)に近い姿と言える。きっと、“カイル”(前世の息子)に近い姿のときは“マール”に近い偽名にするつもりだろう。慣れないうちはある程度本名の名残があったほうが自然な立ち振る舞いがしやすい。

 そういう意味でも息子の判断は悪くない。







 翌日、朝食を摂ったあと、俺は息子と共に山を降りていた。



 ……なぜ朝食を食べたかというと、つまるところ昨夜、今朝と、息子が()()したからだ。



「俺だけ恥ずかしいの……ずるい」



 どうやら息子は、()()と食欲が発生するという因果関係に気付いたらしい。

 それはつまり、今までそれとなく俺と一緒に食事していたのが、さっき抜いてきましたと報告しているようなものだと分かってしまったということだ。


 短剣の効果で怪我などしないからな。肉体を失う機会があるとすればそれしかない。

 俺は一緒になって食事を摂っていただけで、特に指摘などしていなかったのだが……その優しさが却って仇になったようで、「どうせ父さんのことだから、最初から気付いてたんでしょ……!」と責められた。


 あぁその通りだ。気付いてたよ。

 上手く隠していたつもりだったのに流石だなあ。


 ……妻との口喧嘩を少し思い出してしまった。



 そこで顔を真っ赤にして頬を膨らませた息子がムキになった結果、謎の理屈で先の台詞を放ち、町に出る前に互いに発散させる、という事になってしまった。


 それはもう発散した。息子の求めるままに応えてやった。


 ……息子はどうも“自分の身体は汚れている”と未だに思っている節がある。物心つく頃から男娼なんかやらされていたのだから、そう簡単にその想いを払拭できるとは思っていない。

 それでいったら俺なんて汚れまみれで元がどんなだったかも分からないようなものなのだが、それはともかく息子は愛しくて可愛くて綺麗だ。


 けれど、それを口で言ってもきっとダメだろう。だからこそ息子は身体を求めている。



 (きたな)い身体を、穢い欲を、とにかく塗り潰してほしいと縋ってくる。



 息子を傷つけた奴等と同じ方法でしか息子を慰められないというのは辛い。己の無力を思い知らされるようだ。


 それでも、息子の心が少しでも軽くなるなら、俺はいくらでも(ねや)を共にしてやろう。




 あれだけ出したのに、翌朝息子のは元気に立ち上がっていたのだから、若者の精力とはつくづく凄まじいものだ。



 ……お陰で出発が少し遅れた。







 冷静になって物凄く恥ずかしくなったのか、申し訳なさそうに小さくなっていた息子の手を握って、俺は密林を進む。


 許可のない魔法は通り抜けられない魔力断絶や、生き物が本能的ないし無意識に道を避ける獣避け、先に進むことができないと誤認させる数々の認識阻害といった、俺が小屋を作る前に周辺の原生林に仕込んだ魔法を次々と通り抜けていく。


「俺……父さんいないと家に帰れない気がする」


 息子もそれらの魔法を感じ取っていたのか、最初は控えめだった小さく柔らかい手が、今では俺の手を離さないようキュウっと握り返している。


「徹底的に存在を隠蔽して近付けなくしてあるからな。カイルのその認識は正しい。ちゃんと例外処置も施してあるから、俺はもちろんカイルも迷うことはないさ」

「そっか……でも、なんの目印も無いこんな森じゃ、俺、普通に迷うと思う」


 原生林だけあって草木が生い茂り、陽の光の方向も曖昧。どこもかしこも葉と幹と蔦で視界は悪い。それでいて腰元まで伸びた草に隠れた地面の傾斜は一定ではなく、木の成長方向も垂直から微妙にずれて曲がり、魔法で工作などしなくとも遭難必至。

 あの工作は追跡の可能性を限りなく削ぎ、万が一うっかりにもあの小屋に近寄る存在が現れないようにと施したものだから、それは構わない。こんなところにやって来る人間がそもそも現れないのなら、それが一番だ。


「父さんの魔法がないと、こんなところスイスイ歩いていけないし……」


 息子が言っているのは、『踏破』と『駿足』の付与魔法のことだろう。特に『踏破』は便利だ。

 直角以上の崖だろうが天井だろうが水面だろうが空中だろうが必ず進むことが出来る。消費魔力は大したことないが、重力や空間操作系の魔法は一般には難度が高いようであまり普及していない。お陰で簡単に相手の想定外の動きを取れる点でも使い勝手が良かった。

 これらの魔法によって大抵の凸凹や傾斜は無視でき、障害物も空間の方が曲がって避けてくれる。



 如何に順調であろうと、半日近く鬱蒼とした森を歩き続けると流石に無言になる。と、ここで目の前に渓流が現れ、それを越えた途端に木々の密度が今までと比べて格段に落ちた。

 人の手が入った管理された森だ。適度に間伐され空がよく見える。とはいえ空はすっかり赤くなり、低くなった陽の光は木々の幹が遮って周囲はかなり暗い。


 そんなタイミングでついに道らしい道まで出た。馬車が二台通れるくらいの幅だ。流石に石畳による舗装まではされていないが、今まで進んできたものとは比較にならないほどまともな道である。


「もうすぐ日も落ちる。俺達なら夜通し歩くこともできるが、ただの民間人がそんなことしたら不審に思われる。この先に確か少し開けた場所があるから、そこで野宿しよう」

「うん分かった。道具は袋の中?」

「あぁ。一式あるから心配しなくていい。今から枯れ葉や枝を集めるのは危ないしな。ただ……一応、俺が先に少し様子を見てこよう」


 俺は息子に各種防御、耐性系と認識阻害を追加で付与して、『静寂』で音を消しつつ『縮地』で一気に広場まで移動し、様子を窺う。




 そこにはやはり既に先客がいた。

 火は焚かれていないが馬車が二つ視える。今夜は明け方に月が昇るから夜は暗い。まぁ、魔術的な妨害が無いので『暗視』で普通に丸見えだが。


 一つがやや金のかかったもので、この辺を治める豪族か何かだろう。もう一つは商人……奴隷商人の馬車だ。


 そこそこ良い身なりだったと思われる身ぐるみの剥がれた兄弟らしき青年と少年、それに彼らの使用人らしき年老いた男女が、拘束された状態で馬車の檻付荷台に放り込まれていく。


 広場の隅には装備を剥ぎ取られた4名の護衛の死体が、雑然と積み上げられていた。


 手慣れた作業を終えたと言わんばかりに、17人の山賊が交代で見張りを立てつつ、奴隷商人と賊のリーダーと思われる人間が言葉を交わし、馬車を動かす準備を進めていた。


(山賊か。賊自体は大したことのない輩だが、拘束されている人間から面倒な臭いがする。……それにこのままここに息子を連れてくるわけにはいかないな……)


 檻の中の少年は気を失っている。抵抗して意識を刈り取られたのだろう。

 青年はそんな少年に身を寄せて、これ以上傷つけさせまいと庇っている。今更檻の中でそんなことをしても手遅れだが……


 こんな光景を目にすれば、息子が心を痛めるだろう。



(片づけるか)



 5拍と掛からないだろう。





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