寵愛を超える鎚
この里で生まれ育ったドワーフでその名を知らぬ者などいない、憧れのエルダードワーフ、ステディア様。
その工房〝大鉄砧〟で、まだ髭も生え揃っていない若造の俺が、数多くの弟子の一人としていつもと変わらず手探りに、しかし一心不乱に鎚を振るっていた時、突然大親方と共に鍛冶場に現れたのは一人の人間だった。
「コイツだ。これでやってみろ」
大親方がそう言いながら輝く炉から融けた魔銀を突然素手で鷲掴みにし、そのまま人間に投げ付ける。少なくない量だ。
ああ! 勿体無い!と、誰もが思い──区別の付かない人間などどうでも良い──、しかしそれが口に出るよりも早く、熔融した魔銀は流れる様に宙で片手剣へと姿を変えた。
瞬間、その人間のか細い腕からは想像できないほど洗練された〝鎚〟を俺は確かに幻視した。
魔銀はすぐさま熱も失い、人間は剣の柄をそのまま躊躇いなく掴み取った。
無骨な刃が軽く振るわれる。飾り気も無駄も削ぎ落とされた、徹底して目的を成し遂げる事に特化した動き。
その輝きが目に焼き付き、風を切る音が耳に鋭く残る。
俺が今まで打ってきたどの鈍らよりも、この一室に居る同朋の打ったどの武具よりも、優れていると一目で分かってしまった。
「なるほど、やはり我が国で流通している並の魔銀とは根本的に質から違う。炉の力で融けていなければ、俺にはまだ成形が難しいようだ」
後で知ったが、鍛冶場に来る前にここで採れた“愛された”魔銀のインゴットをそのまま加工しようとして“重すぎて”上手く行かなかったそうだ。「普通の魔銀とは勝手が違う」と。
俺も両親の工房で、依頼者が素材として外から持ち込んだ質の低い魔銀を見た事があった。
「ハッ、言うじゃねェの。成形ねェ……にしちゃァ随分と中身まで気を配ってるようだなァ?」
「中も含め“形状”なのだから“成形”だろう?
内部の微細構造が重要なのは鋼でも同じ。命のやり取りの道具に気を配らないほうが問題だ。
まあ、俺が変わり者なのは事実だろうな。職業柄、現場で調達というのがままあるのでな。折角の魔法の才を活用しているだけだ」
「フン……まぁいい。ウチの弟子共の刺激にもなる。イイぜ、お前も一端の鍛冶師に鍛えてやらァ」
「俺は貴方の技術提供だけでは、そもそも素材の質の差までは埋められない旨を本国に報告したいのだが……」
「知ったことじゃねェなァ? ガハハハッ!!」
弟弟子グレンと鎚を打ち合った時間は、ほんの僅か。外の人間が言うところの、1か月にも満たなかっただろう。
その“理詰めの鎚”が錬金術と呼ばれるものの一種で、しかし本来のそれでは鈍らの鋳物にしかならないと知ったのは、外の諍いが終わってさらに幾らか経ってからだった。
すっかり髭も蓄え、少しは俺の鎚が追いついた気がして、俺はドワーフにしては珍しくこの岩窟の外へと、グレンが暮らしていたという場所へと足を運んだ。
だがそうだ。
グレンはただの人間で、ただの人間の命ならとっくに燃え尽きていて当然の年月が経っていた。分かっているつもりだった。
その場所を調べるのは馬鹿馬鹿しいほど簡単だった。意外だとは思わない。あいつの振るう鎚は、歴史に名を残すに相応しい。
俺はグレンの工房、そして資料館とやらに訪れた。
そこに展示された、本人が作り軍部で保管されていたという数少ない武具には、褪せるどころか記憶以上の輝きが確かにあった。
あぁ……本物だ……。
俺だから分かる。
あのほんの短い研鑽で、しかし更に研ぎ澄まされた、いや、あのとき以上の鎚の音だ。
胸中の炉から溢れた熱い何かが、静かに頬を伝った。
「今なら……だが…………」
最早この鎚を競う事も叶わない。
この300年ほどで副工房の長にまでなり、大親方の高弟の一人とすら言われるようになった今でも。
俺の炉を熱く燃やした、心から惚れた鎚は、大親方とグレンのものだけだ。
◇
「どれほど薄い紙だろうと、重ねていけば紙束になる。概念的にはそれと同じだ」
世界を、およそこれ以上分割できない程の極小の範囲まで拡大して覗き込めば、縮退した次元が確かに別々の向きだと分かる。
粒とも波とも捉えられる、少なくとも10の向きを持った、この世界を構成する最小要素。
他の7つの次元に対する大きさは、目に見える3つの次元と比べれば確かに縮退するほど微小だ。
しかし〝0ではない〟。
これが肝心だ。
無と有では天と地ほど違う。
「つまり大きさを持つ以上、他の縮退している次元方向にも上手くすれば積み上げられる」
あるいは、平面上に隙間なく並んだ球を周りから押し込めば、一部の球が上に飛び出すのと似ているか。
「はァん……ようは『寵愛の鉱石』がそうだって言いてェんだな。デル坊よ」
「あぁ。そうだ」
「せいずまる?」
ステディアの言葉に息子達が愛らしく小首を傾げる。そのまま自然と俺に視線を向けあぁぁ〜〜satisfaction……。
「エルダードワーフの力で生まれる、特に高品質な魔鉱石を指すドワーフの言葉だ。要はこの辺で採れるもの全般だな」
「普通の魔石となんかちがうのか?」
「全然違ぇ。純度の問題じゃねぇんだ。どんだけ精錬しようが〝質〟は変わらねぇ。俺達ドワーフにゃそれが分かる。
鎚で鍛えれば多少マシになるが、その程度だ」
「どういうこと?」
スヴェンの暑苦しいだけで何一つ説明になっていない台詞には、さすがのカイルも困惑する。当然だな。
「例えば魔銀だと、エルダードワーフの鉱脈産とそうでないもので、魔力の伝導性や強度に数千倍近い差が出る」
「もうそれべつもんじゃん」
「だと思うだろう? だがそれだけの違いがあるにも関わらず従来の錬金術では、調べれば調べるほど〝同じものだ〟という結論に行き着く。
だから一般的にはその違いは、〝質〟の良し悪しだと考えられているわけだ」
「あ、もしかしてその〝質〟が4次元方向の厚み?の違いで、そういう違う次元にもどんどん鉱石を育てられるのがエルダードワーフの特別な力ってこと?」
そうッ!! やはり天才!!!
魔術学会の奴らなんざ目じゃないな!!!
既存の常識に囚われず新しい概念をすぐさま取り込んで己のものとしていくこの柔軟さ……柔らかい……包まれたくなる………。
「つまり、すげーたくさんの銀を、すげー魔力でむちゃくちゃ押しこんだら、ミスリルができるのか?」
「理屈ではそうだ。大体100万倍の量の銀があれば、並の品質の魔銀ぐらいにはなるだろう。上質なものだともう100倍要るな」
「ひゃくまんのひゃくばい……それじゃ銀無くなるじゃん」
「あぁ。だからその分を、銀のように振舞うよう付与を加えた特別な魔素で補う。
途方もない魔力量、途方もない細かな魔力操作を行い続け、欠陥のない結晶を数億積み上げれば、理論上エルダードワーフの域に達する」
「それ、無理って言うんだぜ親父」
ディルは諦めるのが早すぎるきらいがあるな。
まあ、カイルはこう見えてガンガン行くこともある性格だ。行き過ぎないよう諌められる視点を持った弟……いいじゃないか。
うむ、100万ott加点だな。
◇
「あれ? でも魔銀やいろんな魔法金属が元から4次元ってことは、それを重ねてるこの短剣って5次元なの?」
グレンの息子だと言う人間……人間? いや、どうでもいいな。それよりもその言葉のほうが俺には大事だった。
そうだ、グレンの造り上げた正しく傑作の魔術剣は、魔銀・魔黄金・魔緋金、それら自体が更に重ねられている。
重ねる次元が同じなら、〝質〟が上がる。それでも十分に偉業だが、もし違うなら……グレンの理屈では、それはつまり次元を上げたという事になる。
大親方は口角を上げて凄絶な笑みを浮かべていた。
俺も、同じだ。
いや、大親方は最初から知っていただろう。なら知るのが初めての俺の方が──顔が裂けんばかりの笑みに違いない。
「ああ……その通りだカイル。同じ理屈で別次元に1億層積み上げた。勿論、手作業でそこまで配置するのは大変だ。
1億×1億の積み上げを更に作りたいものの大きさ分繰り返す。合わせて10の54乗くらいのオーダーだな」
「ごじゅうよんじょう……? 1のあとに0が54こ……? なんだそれ……」
「そういうわけで、その途方もない部分は工夫を凝らして省力化している。
『自己組織化』によって最小限の労力で目的素材の種結晶を作り、構造を複製する『自己複製術式』と術式自体を複製する『術式複製術式』を魔術リソースの許す限り走らせる。この手法は並列化しやすいから『複製脳』との相性も良い。
リソース閾値に到達したら魔術経路が焼け落ちる前に術式複製は止めて、構造複製のみを維持すれば結晶は安定して成長し続ける。このとき複製方向を予め設定しておけば、任意の鍛流線も作り出せる。
俺が素材と単位格子構造を把握している魔銀、魔黄金、魔金剛、魔緋金辺りは、これで苦労なく作れる。
それらをさらに重ねるこの短剣は、流石に少々時間がかかってしまったな。そこも含めまだ改良の余地がある」
俺は驚愕した。
吹き出るマグマのような御し得ない理屈にじゃない。
これだけの業物を造り上げながら、「改良の余地がある」と断言する、その力強い鎚にだ。
グレンの鎚は、偶然にも奇跡にも縋らない。
只々必然のみによって磨き上げられている。
ああ、滾る。
俺の炉心が熱く炎を迸らせる。
そうだ。俺はこの鎚に惚れたのだ。