斗星
打ち合い、と言うにはそれはあまりに一方的な光景であった。
重量、力量、技量。そんな物差しだけで語るには、此の有様は理解の範疇を超えている。
ここまで全ての剣が、刀が、槍が、鉾が、斧が、杖が、盾が、鎧が、一合と持たずにいるのである。
「ふむ。窟の名工ならば、師父と共に拵えし剣を凌駕せん、必滅に足る一振りがあるやもと思うとったが……」
一見すると緩やかに、そして抵抗無く木剣は振り抜かれた。
同じく振るう己が手の魔銀剣も、今までの武具と大差ない逸品。
故に、さながら粘土か砂上の絵の如く、それは呆気無く断ち切られ、折れ、砕け、地に落ちる。
「些か過大なる冀求であったか」
「クッ……!」
木剣の前にガラクタと化した武具の数々は、勿論本来ならばどの一つを取っても尋常の物ではない。
ドワーフの武具職人の〝傑作〟。
職人の道を志し、日々その腕を磨き続ける者達が、一人前や副工房主への昇格を師に認めてもらうため、己が技術の粋を注ぎ込み鍛え上げた渾身の品。
対する木剣──そう、それは間違いなく木でできていた──は、両手剣のようだが、長剣と言うには半端に小ぶり。刃には星座や龍を模した簡素な文様が彫り込まれ、その表面は磨かれているものの光沢は無く、塗装されているかも怪しい。
突貫で用意された使い捨ての祭具か、はたまた作りかけの工芸品にも見えるだろう。
だが、某には分かる。
理解らぬという事が判る。
武具ならば視える筈のその善し悪し。それがまるで視えなかった。
──此の木剣を超える武具が欲しい。在れば、の話だがの。──
職人達が鼻で笑う間もなく、魔金剛と魔銀が用いられた大剣が一薙ぎで砕け散った。
そして瞬間的に放たれた莫大な剣気の余韻だけが、木剣の鋒から燻る。
果たして、気付けば屯す職人の各々の最高傑作とやらは、今や屑山の仲間入りであった。
“木に勝てない”という現実を見せ付けられ、ドワーフの職人等は──むしろ興奮しているように見える。
「まぁ、視えとった時点で期待は薄かったと云えば其れ迄よ。其方とて、視える程度の凡百の具足で我が玉の緖に届くとは思うておるまい」
眼前の──一見すれば然程己と変わらぬ年嵩の少年、しかし決してそうではない──存在が、未だ傷一つ付かぬ木剣を虚空へと消し去る。その掌は良く見れば焼き石を押し当てたが如く煙が燻り爛れていたが、瞬きの間に傷無き童の手へと戻っていた。
そして数々の武具がガラクタと成る様を最も近くで見る羽目になった某も、手に残る長剣の残骸を手放す。
「……ムージャ様をして、時期尚早とは聞いていた。しかし、〝斗星〟……此れ程か……」
仙桃剣〝斗星〟──かの仙人が五百の歳月を掛け造り出したという本物の宝貝。人の世のあらゆる邪を祓う仙桃の木剣。
只一人の吸血鬼を滅ぼす為の窮極。
だがその聖剣を以てしても、目的を果たす事は叶わなかったという。
握るその手を爛れさせるほどの膨大な聖気を湛え、今尚その骨身血肉を焼き尽くさん力を迸らせながら、されどその肉体を真に滅するには至らなかった。
ムージャ様もそう仰っていたし、本人の口からもそう語られた。
──武の術理を以て我を滅ぼす、か。なれば武具は〝斗星〟を超えし業物であらねばな。
其方が、或いはムージャが此の木剣を振るおうと、昔日の再現にもなるまい。──
ヒトならざる化生は、永く在るだけでその力をより強大なものにする。
破邪の極致と思える武具で滅ぼせなかったのでさえ、既に七百年前の疾うの昔話。
であれば同程度の武具では火力不足は明らか。
「此の工房の大親方、鉄砧のステディア殿が鍛えたと云う、地に在ってなお天上の域に手を掛けんとせし業物。
魔神をも屠る聖なる一振りなれば結果は違おうが……或いは……」
その深き紅の眼が、天の下を見通す金色の輝きを薄く滲ませる。
「そうさな……何処ぞの親馬鹿が倅に造りし短剣。其処らの有象無象よりも余程良き線を行っておった。
其方も直ぐに目見える故、折にはよく視ておくとよい。法身の経験としても損はせぬ」
ムージャ様の先天の法身にして、武の道を征く一握の武人たる某の使命。
〝強大無比なる吸血鬼、アカーラ様を滅ぼし得る武具を見つける〟
さりとてその道は未だ険しく遠い。
◇
「俺は鎚を振る以外は能無しだ。話が済むまで引っ込んでるぜ」
スヴェンはそう言って扉の前まで案内するだけして、足早に姿を消した。チッ……その気持ちはよく分かる。
案内された扉の向こうでは、丁度、件の木剣が銘品を2つほどの金属ゴミに分かち──純白に輝く二重の斬撃が飛ぶ。
「……」
「イ゛ッ!!」
「わァッ?!」
凄絶なまでに純粋な〝斬る〟という意思がそのまま具象化し、世界が裂けている。
真空渦だとか衝撃波だとか、あるいは空間魔法による切断のような、その程度で説明のつく生易しいものとは違う。違うと分かる。
ただ空間を斬るだけでこうはならないと、俺は知っている。
切れすぎている。
深すぎる。
俺が切れるのは、俺達が描かれた世界の表面、キャンバス、あるいは皮膚のようなものだ。
その例えで言えば、これは骨身が、イーゼルが、何なら部屋が館が大陸が。すべて斬れている。
世界そのものを深く裁断している。
規模が極々小さいだけで、宇宙の終わりと始まりのそれと同質のものだろう。
斬撃が飛んできているわけではない。
斬り裂かれた世界がそのことに遅れて気付き、間を置き次々と瞬間的に終わっていく光。そしてその瑕疵は創世の輝きを発して即座に塞がる。二重に見えている斬撃の軌跡はこれだ。
終わる前に切られたと思われる場所から移動していなければ、巻き込まれて終わってしまう。
「少々丈夫そうであったが、軽く力を込めて此れではやはりまだまだ脆い……」
俺は半ば無意識に、いつもの防壁を用いず息子達を庇いながらそれを躱して避けた。
終末の光は結局、俺達の遥か前で跡形も無く消えたが、意識していなければ今全身に冷汗を滲ませていただろう。
「丁度じゃな」
当然ながら斬撃と声の源には見知った吸血鬼が居た。
一言文句を投げ付けてやりたかったが、その傍らに侍る見知らぬ少年の存在が、俺にその選択を押し留めさせた。
後頭部で粗雑に縛り纏めただけの黒髪。幼い印象を与える円い目許に黒い瞳。
靴や籠手はこの辺りの岩山で素材を調達したと思しき地竜革製だが、着衣は草木染めの魔絹布を身体に沿って巻きつけたような特徴的な装い。
剣……いや、刀だろう。脇差と打刀を腰の帯に差している。
此処らでは珍しい、極東の島国の出で立ちだ。
以前……もう120年程前か。俺が見かけた事のある者は「サムライ」と言っていたな。
少なくとも、工房の見習いではない。
その立ち振舞いは武具を鍛える者ではなく、振るう者のそれだ。
見知らぬまま無関係でありたかったが、間髪入れず少年は俺達に頭を下げて名乗りだした。
「某、山代國の和栂家が三男、束尾と申す者。
天におわすムージャ様より賜りし天命にて、アカーラ様を滅せ得る武具を求め、各地を旅しておりまする」
「ムージャの先天の法身の一つじゃな」
アカーラの素晴らしい補足を信じるならば、彼はあの地仙ムージャの先天の分身……想定していた中では比較的考えたくなかった悪い事象を引いたもんだ。
「安心せよ。ルークスのあれはムージャの元神が降りておったが故の事。
先天と云えど個々の法身は齢百にも満たぬ嬰児。此奴一人ではお主にも遠く及ばぬ」
……アカーラなら、世の大半が乳幼児の這い回りに見えていても驚きはしない。俺ですら精々年端も行かない子供程度じゃなかろうか。
「それで、手持ちの木剣以上の武具がないか打ち合いでもしたのか」
「うむ、話が早いの」
「知り合いの副工房長から惨状だけは聞いたからな。その程度は予想できる」
死人こそ出ていないだけで、武具の死骸がそこら中に墓標を築いている。
ドワーフの傑作を破壊しようとする奴で、なおかつ実際に破壊できるような常軌を逸した存在。その上俺の知り合いを名乗る奴なんぞ……1人しか思い当たらないからな。
自身の死を目的としていると言うのも、アカーラの口から何度か語られていた。
予想はできていた。受け入れたくなかっただけだ。
満足気に微笑んでいるが、やっている事が昔やっていたとか言っていた道場破りと大差ないんだよ。
まあ、今はそんな事どうでもいい。何故俺の作ったものが引き合いに出されているかだ。
「まさか、そこの彼との単なる顔合わせ、という訳じゃないだろう」
「無論」
「言っておくが、カイルの短剣は確かに本気で造った物とは言え、お前を殺傷できるような代物じゃないぞ」
あれは、短剣としてよりも魔法の補助具としての役割が大きい。大抵の物質は切りつけられるだろうが、アカーラのような規格外まではさすがに想定していない。
「そうであろうな」
だが、目の前の吸血鬼が用意した否定は曖昧なものだった。そして微かに口角を上げ、そのまま言葉を続けた。
「されど、良き教材にはなる」
なかなか話がまとまらずまたすっかり間が空いてしまいました……
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