工房に行こう
ヴィシャールガーツ山脈中腹の地上駅と、地下に広がる里の中央部を結ぶ路線〝噴出線〟──“噴出”とは、工房から見て“作品が地上へ出て行く場所”だと言うことらしい。
その〝噴出線〟の汽車が、等間隔に魔灯が輝く岩窟をひたすら進み、俺たちは山脈内部を降りていく。
徐々に魔素濃度が上がっていくのが分かる。
ドワーフの力によって生み出されている魔鉱石の鉱脈がそこかしこにあるからだ。
そうするうちに、車両が緩やかに停車する。
衝撃を伴わない静かな制動は、客よりも遥かに物理的に繊細な古酒に気を遣ったものだろうな。
「ん、止まったっぽいな兄ちゃん」
「もう里に着いたのかな」
「あぁ、通称“中央大市場”と呼ばれている場所だ」
グレードの違いに関わらず、全ての車両は同じように山の麓の高さまで山脈内部を潜り続け、同じ場所に辿り着く。とは言え流石に客層の違いから、地上駅もだが駅のホームは3つに分けられていた。
『金』『銀』、『銅』『鉄』『炭』、『礫』及びその他貨車。
つまり、『金』『銀』用のホームは、静かだということだ。
ドワーフ謹製の強烈な酒の数々に対して、自身や随行者全員の滞在日数分の酔い醒ましを買い揃える程度は、この車両の乗客の多くからすれば端金なのだから当然と言える。
ドワーフの酒でも安酒の方が悪酔いしやすいというのもあるのだろう。
壁で隔てられた向こう側、つまり『銅』『鉄』『炭』用のホームだが、そこには泥酔した冒険者達によって組合の酒場さながらの騒々しさが昼夜問わず広がっている。視なくても良かったな。
ただどちらにしろ、まだここでは降りない。
“中央大市場”と呼ばれる通り、ここには確かに里中から作品が集まっている。作品を持ってくる各工房の徒弟に、制作の注文する事も出来るだろう。
だがそれを全ての工房がやっている訳ではない。
少なくとも昔は、そのための徒弟を常駐させているのは名を広めたい若い工房が多かった。
「この『金』は〝坑内線〟直通だ。俺達はこのまま目的の工房の最寄りまで乗っていく」
山脈に沿って地中は掘り進められ、それこそ一国の領土としては大きいと言える範疇に入る程度には広がっている。
まぁ鉄道で繋がっているだけの工房と鉱床の寄せ集めで、国体を成してはいないどころか政治的な組織すらまともに存在していない。だから〝里〟なのだが。
そんなやたらと長大に入り組んだ里中の坑道を移動する専用の鉄道路線が〝坑内線〟。
己の鉱床を持つような工房主クラス以上のドワーフと直接交渉するなら、これで工房まで赴くのが良いだろう。
「てかさ、その工房って武具ばっか作ってるんだろ?
いきなりおしかけて、ペン作ってくれとか頼んで大丈夫かよ」
ディルがそう口にするのも無理はない。
その工房で生み出された特異な武具は、300年以上前から地上の多くの国で諍いの火種となるほどに有名だった。
そう、俺達が向かっているのは、地上で最も名が広まっているドワーフの工房の一つ。
〝大鉄砧〟──いや、これは昔のニルギリの勝手な呼称だ。
〝大鉄砧〟、と呼ぶべきだろう。
エルダードワーフ、〝鉄砧のステディア〟。その業を盗まんと足掻く者達の工房が集う、大工房だ。
◇
────
「ん〜〜ダメだ、やっぱぜんっぜん目で追えねぇ……」
「ディル、あまり前に出過ぎるなよ」
「……俺、こんな事になるなんて思わなかった」
防壁を隔てた先の光景が無ければ、この硬質な、しかし最早連続音と言って差し支えない耳を劈く奇妙な音が、剣戟によるものだと即座に判断するのは難しかっただろう。
いや、最初に剣を構えていたことを知らなければ、何をしているのか速すぎて分からないか。
「ウオアッ!?」
「ディー!!」
ディルが耳と尾を毛羽立たせ反射的に横へと跳んで避けるのと殆ど同時に、一条の軌跡が俺の張っていた防壁の8層目までを一瞬にして砕き貫く。
それは9層目でようやく逸れ、外側へと弾き飛ばされた。
勿論ディルは無傷だ。驚いて固まっているが。
良い反射神経だったと思うぞ。
即座に防壁を追加構築しつつ弾き飛ばした先を視界の端で捉えると、その岩壁には折れた剣の切っ先が赤熱したまま深々と突き刺さっていた。俺の防壁で付与が削れたからこそ、刺さる程度で済んでいるのかもしれない。
打ち合いに耐え切れず折れてこそいるが、その鈍く光る刀身には俺の防壁を8層も通過した影響自体は全く見て取れず、その形を保っている。
末恐ろしい。
眼前の危険と隔てるために構築した1万層の積層防壁。その層間に生み出している1万倍と1万分の1倍の時流差は不連続な時空断層として振る舞い、本来ならば物理的な構造の通過を許さない。『平等微塵』程じゃないが理論上1つの境界面ですら無理に通過しようとすれば木っ端微塵だ。
そして、俺達3人と剣を振るい続ける2人と工房の徒弟達とは別に。そんな岩壁に刺さった鋒を腕を組んだまま見つめ、静かに、しかし獰猛に口角を引き上げる者がいた。
防壁の外側に、だ。
剣と己を隔てる野暮な存在は、1つでも少ない方が良いと言わんばかりに、ジリジリと近付いては離れ、また違う角度から見やって近付いていく。
傍から見れば、審判か狂人か、判断に迷うことだろう。
答えは──両方。
ただし“剣の技”の審判ではない。“剣そのもの”の審判だ。
剣戟によって火花を纏って数多に飛び交う、俺の防壁を数枚は割るような凶悪な欠片を、さながら子供が野花か木の実でも摘むように時折空中で掴み取っては検分している。
ディルよりも頭半分程小柄なその短躯は、ドワーフらしい体格と言える。
「木枝風情が……良いじゃねェの……コイツァ、滾っちまうなァ」
赤熱する地の底の震えが滲み出たと思わせる声音だった。
最も若きエルダードワーフ。
この〝大鉄砧〟の大工房主。
〝鉄砧のステディア〟。
その歓喜に打ち震える様は、狂人そのものだった。
────
◇
工房に着いた途端、俺達は歓待を受けた。
言ってしまえば、その時点でおかしかった。
いくら『金』で直接足を運んできたとは言え、新進気鋭の若手の工房の初めての客というならまだしも、〝大鉄砧〟のような大工房ならば、その程度の太客は俺達以外にも大勢居る。
現に他の客は、簡素な防音個室で徒弟と対面での依頼要件の確認や素材提供を済ませれば、契約魔法の刻まれた羊皮紙を交わしてすぐに帰されている。
にも拘らず俺達は工房側から出迎えられ、案内されたのも奥のコボルトやノッカー、見習い達の生活空間にほど近い──もっと言えば工房により近い──離れの応接間。
俺達の滞在すら想定していると匂わせていた。
湧きたての炭酸水──〝大鉄砧〟のドワーフ程になると、鉱脈だけでなく地下水脈も支配する──が、お茶請けのように出された邪猪鬼『パイア』の熟成肉の濃厚なテリーヌの余韻を洗い流し次のひと口を誘えば、先に口を開いたのは俺達を接待していたこの工房の徒弟、スヴェルスだった。
彼はただの徒弟ではない。ステディアの直弟子で、今や弟子を取ることを許された副工房主の1人。
しかもその中でも彼が作業場からここに出てきている時点で、俺の情報が漏れているのは間違いなかった。
「久しいなグレン」
案の定、出てきた言葉は本人確認ですらなく、再会した友人に向ける挨拶だった。
「よく外の人間の事など覚えていたな、スヴェン」
「姿形が違おうと判る。嘗て共に鎚を並べ、鍛冶の腕で競った同朋の鋼を打つ音だ。忘れんとも。
この鎚を振るう道でヒトの短き命を惜しんだのは、結局あの一度きりだった。
この嘘吐きめ。
お前に比肩する鎚の持ち主など、ついぞ現れんかったぞ」
ドワーフは容姿や声で個々人を識別していない。
相手の今までの金属や鉱石を扱ってきた経験を感じ取り、それで判断している。そのせいで多くの人間の区別がついていないし興味も無い。
エルフも魂がどうとか言っているからな。それと似たような感覚だ。だから彼等に変装の類は余り意味が無い。
その辺も考慮して、他の客に紛れて俺を知らない徒弟を相手にさっさと済ませようとしていたんだがな……。
俺の事が漏れる経路があるとすれば、マイス達クレイグモア家、クレイジー森野郎のウェンシャン、そしてアカーラとムージャ。
マイスには、ドワーフの里に立ち寄るとは伝えていない。予測はできても確度は低い。確証のない場所に俺の正体を伝えるとは考えにくい。
イカレエルフのウェンシャンはアレで口堅い。少なくともドワーフに対してわざわざ事前に情報を流すような親切な質ではない。
だが……後者2人だった場合、俺には対処がかなり厳しくなる。
そう警戒していた俺の耳に飛び込んできたのは、やや意図を理解しかねるものだった。
「で、本題なんだがな……俺の……いや、一人前から副工房主の奴等の傑作が揃いも揃ってお前の知り合いの木剣に負けちまってな……。
そいつが、お前が勝てる剣を持ってるって言うからよ……頼む! 見せてくれねえか」