汽車に乗ろう
ドワーフの里へと続く鉄道。
4本の鋼鉄製の軌道が、岩壁に開いたトンネルの中へと延びている。
300年前は、武具を求める冒険者達やその技術を求める多様な種族の職人達が作った手漕ぎ貨車だったが、さすがに今は人力ではない。これだけの駅舎もあるしな。
「わあ〜! 大っきいけどかわいい! こんな列車もあるんだあ」
「ニオイはすげえ鉄って感じだけどな」
駅のホームに停まっている車両は、同じ鉄道の名を冠するニルギリ横断高速鉄道と比べると些かレトロなブリキ玩具を思わせる趣きだ。
車両全体に塗装された色とりどりの高彩度な幾何学的紋様が、さながら民族衣装を纏っているかのようだ。
エルフと張り合っているのかもしれない。
ま、息子たちの可愛さの前では全て無力だがな。
さっと中身を見た感じだが、どうやら燃料自体は鉱山由来の魔石の魔力。
熱量移動でボイラーでの高温高圧蒸気の生成と復水器での冷却凝集を同時に行い、材料と形状が最適化された5機の小型タービンを高速回転させ、遊星歯車や流体金属を用いた精緻な変速機で制御している──いわゆる蒸気機関だ。
「たしかに、前と後ろのとこからずっとシューシュー音してる」
「俺全然聞こえないよ。ディーはやっぱ耳がいいんだね」
「べ、べつにフツーだし」
蒸気タービンの職人芸のような有機的形状が、蒸気の乱流や機関部の共振を限りなく抑え、振動によるエネルギーの散逸を殆ど無くしている。
カイルの言う通り、聴覚の優れた種族でなければ蒸気の音は聞き取れない程だ。周囲の人間の騒音の方が余程大きい。
ディルの尻尾がもそもそと揺れていて喜んでいるのが丸分かりだという事はもう少し黙っていよう。
「機関部がとんでもなく高効率に作られているのもあるが、どうやら蒸気を外に排出していないようだ」
「へえ〜、それでセイロニアの方で走ってる機関車よりもずっと静かなんだあ」
セイロニア大陸で普及している蒸気機関は、加熱術式や燃料の燃焼でボイラーを沸かし、ピストンを駆動させた後の蒸気は外気に放出する。機械的にも術式的にも作りが単純な分、多くの国々で量産され広く利用されている。
一方、このドワーフ謹製の汽車では、蒸気は機関部の中で循環し続けている。
この列車が走るのは少々広いとは言え坑道だ。多量の蒸気を出せば、坑道の壁面やレールを濡らし続けることになる。それを防ぐためだろう。
◇
「そこまですんなら、じょーき使わなきゃよくね?」
「そういえば、ニルギリの列車や車は蒸気じゃなかったよね」
鋭い! いやぁ〜素晴らしい観察力。
あぁ、気を抜くと鼻腔が広がりそうになる。
「その通りだ。ただの人間だけでこれと全く同じレベルの蒸気機関を安定して量産・運用しようと思ったら、かなり骨が折れる」
ただの人間が汎用・量産体制を整えて扱うには、要求素材の理不尽さや技術の繊細さを極力無くし、凡人の域に落とし込む必要がある。
だが種族レベルで職人気質のドワーフにそんな加減は無い。技術と素材を好きなだけ注ぎ込む。
そのまま他国で真似しようにも頓挫するわけだ。
「そっか、ドワーフは熱を扱うのが得意だから蒸気機関で作ったんだ」
鋭い! いやぁ〜素晴らしい洞察力。
あぁ、気を抜くと瞳孔が広がりそうになる。
ドワーフは岩と炎に長じている。当然熱の扱いにも長けている訳だ。これはエルフのそれと同じ種族的な特性で、人間で言う魔法の『属性』とは異なる。
『属性』はあくまで魔法への理解を手助けするために人間が生み出した分類に過ぎない。
「逆にニルギリだと魔力を直接物理的な力に変換する魔法が『力属性』として元々普及していたからな。
330年前、軍用に運用されていた初期の列車も初めから車体を直接加減速する方式だった」
ニルギリでは他国よりも空間魔法について深く研究されている。『空属性』と区分されるそれは、空間を歪め、切り貼りする魔術だ。
とは言え、性質を調べ理論的な研究する事と、実際に使いこなす事は別問題だ。誰でもすぐ簡単に扱える代物ではない。
制御が誤っていたり間に合わなかったり魔力が足りなかったりすれば術式は中途半端に発動し、作用空間──未熟な術者は自分自身かその至近距離にならざるを得ない──に強烈な引力や斥力が発生する。
その力を打ち消せる師に恵まれていなければ、魔導師の卵は肉団子か壁の染みに早変わりだ。
逆に、始めからその用途で誰でも扱えるレベルまで空間魔法を限りなく単純に容易に質を劣化させたものが、物体に特定の運動や力をもたらす『力属性』の魔法。
「はぇ〜」
あぁ……カイルの「はぇ〜」が俺の全身の細胞を駆け巡り肉体が活性化していく……。
……あとはニルギリでの列車の始めの需要が兵站線──前線への物資や人の運搬だったのも蒸気機関にならなかった理由の1つか。
水を調達する魔法には『湧水』という初歩的な術式がある。付近から水を喚び出す魔術だ。
そう、無から純水を生み出す訳ではない。
そういう術式もあるが魔力消費が馬鹿にならない。
『浄化』『解毒』系の魔法もあるが、それを扱えるような衛生兵は、当然少しでも多くの魔力を治療に回す。他のものを綺麗にする余力がない地獄もあった。
だから汚染の心配のない水と言うのは、それだけで価値ある物資だ。動力としての水が要らない分物資としての水を運搬できる。蒸気機関ではない兵站線というだけで他国に対しアドバンテージになった。
敵国が焦土作戦の一環で水源や井戸へ無色無味無臭の毒を仕込み撤退した所で運悪く『湧水』を使ったバカの末路を、息子達は知らなくて良い。
◇
さて、ここの列車には等級がある。
上から『金』、『銀』、『銅』、『鉄』、『炭』、『礫』と呼ばれる。
なんの等級かと言うと、車内で提供される飲料、つまり酒だ。
ドワーフの里の環境に耐えられる魔樹製の樽に百年単位で熟成された高級酒が出るか、酔えるだけの酒精さえあればなんでも良いような安酒が出るか。ちなみに一番下の『礫』はセルフサービスのノンアルになる。
当然内装も客層も違う。
『金』や『銀』には上流階級やその遣いが、『銅』『鉄』『炭』には冒険者や職人が多い。『礫』に乗るのは未成年か聖職者ぐらいだ。
俺達が乗る『金』は個室タイプのバーになっている。今の俺達はニルギリで特急車両に乗っていても違和感が無い程度には良い身なりだ。
別に『礫』でも良かったが、教会関係者と近づくリスクは避けたい。
差し出されたウェルカムドリンクの120年物ワインで軽く舌を濡らせば、年代物の酒に影響を与えない僅かな加速感のみで滑るように車体が動き出す。
息子達には、サイレントバレーで買っておいた高級フルーツを使わせ作らせた、搾りたてジュースだ。
美味しさに驚いたり顔を綻ばせたりする様子は、最早1つの芸術……ちょっと大理石で彫刻にしていいか?
「そういえばウェ……エルフのお兄さんが『スウォルテンヒデルス』って言ってたけど、みんな『ドワーフの里』って言ってるんだね」
カイルが俺に気遣ってアホの名を口ごもり言い直す。圧倒的慈しみ……ホスピタリティ……或いは、自分の顔にはねていた泥水に気付いて拭ってから恥ずがしがり照れた笑みを零している時のような趣がある……。
カァーッ、酒とかどうでも良くなってくるな。これだけで酔える……いや、酩酊などしている場合では無い、隈なくこの脳に刻み込むべき事象だ。
さて確かにカイルの言う通り、あちこちの看板の表記も駅員らしきコボルトが口にするのも皆『ドワーフの里』である。
「ドワーフの里ってここにしかないの?」
「いや、この大陸で一番大きな里はここだが、他にも何箇所かある。セイロニア大陸にもあるし、世界各地の大きな鉱床近辺にはそこそこの確率で里があったはずだ」
「……? それってどう区別して……もしかして区別してないの?」
その発想に思い至るとはやはり天才だな……同じ歳の頃の俺など、命令の遂行以外に碌な思考力を持ち合わせていなかったというのに……。
拍手の代わりに心臓を多めに脈打っておこう。ドドドドドドドドドドド──おっと、ディルを驚かせてしまったようだ。
「そうだ。彼等は自分達の住んでいる場所を〝里〟だとか下手すれば〝工房〟としか呼ばない。
素材やその産地を細かく区別する独自の名付けをしているが、自分達の国や集落という観念は持っていないんだ。
素材と工房と己の腕が全て、という者が多い」
「素材にこだわんのに、自分でとりに行かねえの?」
「素材の採集は若手のドワーフ、コボルトやノッカーの仕事だと聞いたな」
素材の重視という点では、工房を作った時点でその地の素材を気に入った、あるいは力の強いドワーフならそれこそ土地を変質させ良質な鉱床を引き寄せられる。だからそれを持ってくるのは若手の仕事だ、という考えだった。
「昔のニルギリ、特に軍部は、この里を〝大鉄砧〟と呼んでいた」
「? どうして?」
「当時の並の付与術では到底実現できないような特異な効果を持つ武具が、数少ないものの各地で確かに出回っていた。そして回収できたその全てに、その武具の名と合わせて〝大鉄砧〟と刻まれていたんだ」
打撃を爆発的に増幅拡散させる大剣『エーコー』。
切っ先が周囲の表面を延々と走り回る大鎌『コーレマ』。
地面ならば何処からでも無数に生える槍『マニターリ』。
接触箇所を石膏に変えあらゆる物を砕く鎚矛『ギプソス』。
攻撃を吸収蓄積し任意の対象にまとめて返す大盾『バロニ』。
火矢を自動で無限に撃ち出す弩『ゴーニモス』。
戦場やそうでない場所でそれなりの被害を撒き散らした末、ニルギリ軍が鹵獲した物の一部だが、俺が関わったこれだけでも、入手経路の洗い出しには骨が折れた。
「同じ場所だろうとは予測できていたが、調査の結果、その全ての出処はこの里だった。だから他の里と区別するためにそう呼んでいたんだ。
本当は里の名じゃなく一工房の銘だったんだがな」